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死後の世界がありえない、と仮定した場合に起きてくる数々の矛盾を科学は説明できるのか?

死後の世界なんてありえない?

死後の世界の話になると、

死後の世界なんてあるわけないじゃん。
そんな言い草、今を懸命に生きていない奴のエクスキューズだよ。
これだからオカルトはなぁ・・・笑

なんて全否定してくる人がいっぱいいます。
いわゆる「科学至上主義者」たちですね。

結論から言いますが、死後の世界はありますよ。

死後の世界がないと仮定すると、多くのことが矛盾します。
そして死後の世界があると仮定すると、それらは全て説明できてしまいます。

今回は、死後の世界なんてありえないと言っている科学至上主義者たちの矛盾を突っつきまくってみたいと思います。

 

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死後の世界がありえないって、マジで言ってる?

どうやら世の中の大半の人たちは死後は無に帰すだけだから死後の世界なんてないと思っているようです。

そしてそういう人たちは「だって考えてみろよ」といいます。

理屈をこねくり回して、なんとか死後の世界がないと納得させようと必死です。

でも私には、そういう人たちの言うことが全く理解できません。

それ、マジで言ってる?

死後の世界がありえないなんて言う人たちは、自分たちが言っていることが論理的に破綻していることに気付いてすらいません。

 

否定する人たちの言い分とは

死後の世界を否定する人たちは、自分たちの言っていることが正しいと信じ込んでいます。

そして死後世界があると信じている人たちのことを「ものごとを理解できないお花畑な脳みその持ち主」であるがごとく嘲笑します。

まずは彼らの主張を見ていきましょう。

 

科学が否定している

最も多く、最も馬鹿げた主張が科学的に死後世界は存在しない、というものです。

こうした主張をするのは、ちゃんと勉強をしてきた(と思っている)人たちに多いです。

ものごとを論理的に考える能力は平均以上に高く、そのため自分の考えに自信を持っています。

彼らの特徴は、科学という言葉をまるで「神のお告げ」のように猛進している点です。

科学的に考えて死後世界なんてあるわけないだろう、と自信たっぷりに言います。

だって人間は死ねば肉体が機能停止してしまい、肉体は焼かれて肺と煙と化してしまうだけ。

後には何も残らない、無だよ無。
死後世界なんてあるはずがないだろう。

そんなことを言います。

ここで、この論理の欠点をズバリ突っつきましょう。笑

そういう人たちが主張している「死後世界の存在は科学が否定している」という思い込みは完全に間違っています。

いいですか、よーく耳の穴をかっぽじって聴いてくださいね。

科学は死後世界の存在を否定なんてしていません。
ちゃんとした科学者は誰ひとりとして死後世界が科学的に否定されているなんて思っていません。

科学が言っているのは「死後世界の存在を証明できない」ということだけです。

だからちゃんとした科学者なら死後世界がないなんて絶対に言いません。

死後世界について、科学的に存在を証明できないため「死後世界があるとはいえない」と言っているに過ぎないんですよ。

「あるとはいえない」イコール「無い」ではありません。

だって考えても見ろよ、死後世界なんて科学的に証明出来ないじゃん、だからあるはずがないんだよ。

こういうことを言う人は、自分が物事を正確に理解することができない人だと言いふらしているようなものです。

こういうことを言う人にはそのままこの言葉をお返しします。

あなたこそ、ちゃんと考えてみろよ。

はっきり言いますが、科学なんて森羅万象のごく僅かなことしか説明できていませんよ。
言い換えると森羅万象のほんの僅かなことが、科学で説明できているに過ぎません。

にもかかわらず科学が万能で、どんなことも科学で説明できると信じているとしたら、そんな人こそお花畑だと言わざるを得ません。

科学が進化発展してくる過程で、以前は正しいと信じられていたことが間違っていると「証明」されたことは数多くあります。

これは科学が発展途上の学問であり、あらゆる物事を正確に解き明かせる代物ではないということの証明です。

今後、科学で死後世界の存在を説明できる日が来ないとは言い切れません。

そうなれば死後世界の存在について疑っていた人も信じるようになるでしょう。

つまり科学は死後世界の存在を否定なんてしていない、科学は発展途上だから死後世界についてなにひとつ決定的なことがいえない、単にそれだけの話です。

科学の名を借りて死後の世界を否定する人は、自分の愚かさを認識すべきです。

 

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証拠がない

死後の世界が存在する証拠なんてどこにもないだろ、あるなら証拠を見せてみろよ。

こういう稚拙なことを言う人もいますが、これも自分がいかに物事を知らないかということを世間に言いふらしているようなものです。

恥ずかしいからそういうことを言うのはやめたほうがよろしい。

そもそも死後の世界というのは物質の存在しない世界、すなわち非物質世界です。

非物質の存在に関して「証拠を見せろ」とうのはそれこそ論理破綻しています。

物質として存在しないのに、どうやってそれを見せればいいのでしょうか。

前段で科学がいかに不完全な学問かについて説明しましたが、「あるならその証拠を見せろ」というのは科学的な証明手段です。

科学、少なくとも自然科学では物質ではないものは研究対象外です。

このため非物質である死後世界を科学で検証しようという姿勢そのものが、そもそも矛盾しているんですよ。

死後世界なんてありえないという人に訊きますが、あることが証明できないから「ない」んですか?

存在証明がないことと存在しないことは全く別のことです。

そこは絶対に勘違いすべきではありません。

 

体験した人がいない

これもよく言われることですね。

死後世界を見てきたり体験してきた人は誰もいない、だから死後世界なんてありえない、って。

これに関してはまともに反論する気にもなれません。

死というのは肉体の機能停止ですから、完全に機能停止した肉体が復活することはありません。

だから死んだ後どうなるかを「身を以て」体験してきた人がいないのは当たり前です。

でも臨死体験とかあるでしょうに、という人がいますが、臨死体験は「臨死」の体験であり「死後」体験ではないことに注意すべきです。

臨死というのは読んで字のごとく「死に臨む」ところまでは行っていますが、そこはまだ死の手前といえます。

つまり生死の境界線付近を垣間見てきただけで、そこは死後世界ではない。

ですから死後世界を見たとは言えないわけですね。

この「体験した人がいない」ということを理由に死後世界を否定的に語るのも、科学至上主義がもたらした弊害のひとつと言えます。

これ、言い方を変えれば死後世界の存在を見てきた人がいないということは存在する証拠がないということと同意である、といっているわけです。

 

結論は「わからない」が正解、とか言って大人ぶる

そして最もタチの悪い言い草が「結局は死んでみなきゃわからない」というもの。

この言い草を持ち出した時点で、それはもう思考停止です。

一見、否定も肯定もしていないように見えますが、要は自分の立場をはぐらかしているに過ぎないんです。

相手が死後世界の肯定していようが否定していようが、この「死んでみなきゃ結論は分からない」という言葉を投げつけられたら黙るより他に方法がありません。

相手を黙らせるのに効果的な「分からない」のひとことは、黙らせるのと同時にあなたのことを「自分の意見すらまともに持つことの出来ない人」と評価されるということを忘れてはいけません。

 

死後の世界を否定すると多くの矛盾が生じる

ここまで死後の世界の存在を否定する人たちの言い草を紹介してきましたが、要は死後世界が科学で説明できないから、という一言に集約されることが分かります。

こういう人たちは科学が万能なものと信じて疑いません。
つまり「科学教」という宗教のようなものです。

科学の力を信じなさい、そうすれば全てがクリアになるから。
科学で説明できないものは偽物だから信じてはいけません。
科学さえ信じていれば全てが上手くいきます。

上の文章の「科学」という部分を「神」に置き換えれば、ほぼそのまま宗教の教えみたいに見えませんか?

科学で説明できないものはない、だから科学で説明できないものは信じない。

とまで言い切る人のなんと多いことか。

でも世の中には、科学で説明の付かないものでもちゃんと存在するものってたくさんあるんですが、その辺についてはどうします?

いくつか見ていきましょうか。

 

前世の記憶を持った人の存在

前世の記憶を持った人というのは世界中に数多く存在します。

それらの多くは単なる勘違いとか妄想として説明できてしまうのも事実ですが、中にはどうしても説明の付かないものも僅かながら存在します。

例えば、前世で生きていた記憶に、その時代にその場にいなければ知り得ないことを知っているというものがあります。

たとえば、過去世の記憶を持つ子供の言うことが「その子が知り得ない内容」であり、かつ過去の事実と符合するという事例です。

詳細は以下の記事に書きましたのでご参照ください。

▼関連記事▼
生まれる前の記憶を持った子供。その驚愕の話を紹介します!

また日本国内にも有名な事例が存在します。

▼関連記事▼
生まれ変わりの事例|日本における研究はかなり古くからあった?

日本の生まれ変わり事例として有名な勝五郎の碑を訪ねてみた

 

もしも死後の世界などなく、死が無に帰すだけとするならば、死後の記憶も完全に消失してしまう筈ですよね。

であれば、この前世や過去世の記憶をどう説明しますか?

またお得意の「そんなの勘違いだよ」ですか?

あるいは「そんなの本人が事前に何らかの方法で知っていたんだよ」ですか?

証拠がお好きなようですから、是非とも「どうして勘違いと言えるのか」「どうやって事前にそれらの情報を知り得たのか」について明確で合理的な証拠を見せていただきたいものです。

 

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臨死体験の真偽

臨死体験について、脳科学的にある程度は説明が付くという人がいます。

その根拠として、多くの臨死体験者は共通した体験をすることが挙げられています。

・長いトンネルを抜けていった
・トンネルを抜けた先には明るくて素敵な世界があった
・そして先立った友人知人が迎えに来てくれていた

などが代表的なものです。

多くの臨死体験者がこうした共通する体験をするのは、臨死の際の脳機能によるものだといいます。

脳の特定の部位が影響を受けることでこうした幻覚のようなものが体験される、と。

確かにこうした脳科学的な説明で多くの臨死体験は説明が付くのでしょう。

しかし、脳科学ではどうしても説明の付かない体験をした人も僅かながらいるのも事実です。

▼関連記事▼
臨死体験の話で信用できるものはどのくらいあるのだろう?

 

体外離脱体験

体外離脱(幽体離脱)に関しては、かなりの割合の人が体験しています。

魂が肉体から遊離し、肉体とは別の場所に行き何らかの体験をする。

まあここまでドラマチックではないにせよ、自分の肉体から抜け出して第三者の視点で寝ている自分の肉体を見た、という人は結構います(私もこうした体験をしています)

これに関しても、魂という非物質存在を認めない限り説明のつけようがありません。

まあ、そんなのただの夢だよ、なんて言うんでしょうね。笑

死後の世界が存在せず、人は死んだら無に帰すだけだとしたら、魂も死とともに消失してしまうことになりますが、これは人の魂すなわち意識というものが脳が作り出したものとする科学の前提によります。

魂も物質ではなく非物質ですから、科学至上主義者は頭ごなしに否定することでしょう。

また「存在するなら証拠を見せろ」と言いますか?

 

なぜ科学が正しくてスピリチュアルは戯言と思ってしまうのか

さて、ここまで科学ではどうしても上手く説明できないことを紹介してきました。

この宇宙に存在するあらゆる出来事や物事(これを森羅万象といいます)を見たとき、そのうちのほんの僅かしか説明が出来ないにもかかわらず、科学がいまの世の中では大多数の声を代表しています。

前段まででも説明しましたが、科学は物質に関して研究する学問ですから、物質ではないものを対象にした場合うまく説明できないのは当たり前なんです。

にもかかわらず、死後世界という「物質の存在しない」世界の有無を科学で説明しようとすること自体に無理があります。

こうした当たり前の前提があるのに、それでも科学では説明が付かないから死後世界なんてありえない、とか言い張る人ってどうかしていると思いませんか?

そして物質ではないものすなわち非物質を主なテーマとして扱うスピリチュアルで説明すると、そんなのナンセンスだ戯言だと嘲笑う。

死後世界の存在を認めてしまえば、前世の記憶を持って生まれてきた子供の話も臨死体験で垣間見た世界も体外離脱もすべて綺麗さっぱり説明できるのに・・・

世の中の大多数の人が信じる科学ではまともに説明すら出来ないものを、スピリチュアルではいとも簡単に説明してしまう。

それでもスピリチュアルは戯言と言えるんでしょうか。

 

結局のところ

今回は死後の世界がありえないと言っている科学の言い分がいかに不完全なものかについて説明してきました。

いえ、科学そのものが悪いんじゃありません。

科学は科学の扱う範囲というものがあり、死後世界はその範疇から外れているというだけのことです。

だから科学で死後世界について上手に説明できないのは当たり前のことなんですね。

それを、科学は全てに万能だと勘違いした人たちが「科学で説明できないならそんなものは存在しない」と騒いでいるだけの話です。

科学が死後世界について語るのは、水泳のコーチが中世ヨーロッパ文学を語るのと同じようなものです。

つまり「畑違い」ということ。

餅は餅屋です。
専門に任せておけばいいんです。

 

ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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