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「ばったり会う」の本当の意味|偶然の再会に潜む驚愕の真実とは?

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。

ばったり会う 偶然の再会

あなたは「偶然の再会」を信じますか?

いつものように街を歩いていたら、何年も(もしかすると何十年も)会っていなかった「昔の知り合い」にばったり会ってびっくりした!

私たちは誰しも、このような体験をしたことがあると思います。

いやぁ、久しぶりだよね!
元気だった?
いま何してるの?

こんな感じで、あなたが予期しないタイミングで「偶然の再会」は起こります。

当然のことながら、あなたがこの出会いを意図したわけではないでしょう?

まして相手だって長年会うことすらなかったあなたとの出会いを、こんな形でお膳立てする理由がありませんよね(笑)

お互いにまったく予期しない再会。

でも、これって本当に偶然の再会なんでしょうか?

今回は、誰しも一度や二度は体験しているであろう「偶然の再会」について考えていきたいと思います。

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偶然の再会は本当に「偶然」なのか?

まず、偶然について考えてみましょう。

偶然という言葉を辞書で調べると、

「因果関係もなく、思いがけなくそのようになること」
出典:明鏡国語辞典(大修館書店)

と説明されています。

つまり偶然とは、因果関係も意図もないのに起きてしまった出来事を指すということが分かります。

普通に考えれば、両者ともに意図せずたまたま出くわしてしまうのですから、偶然の再会は「偶然」の出来事なんでしょう。

でも・・・

やはり「偶然」では片付けられない

あなたはこんな経験はありませんか?

朝、何気なくテレビ番組を観ているときに、ふと小学校時代のクラスメイトだったAくんの顔を思い出した。もう何十年も会っていないし、クラスメイトというだけで仲がよかった訳でもないのに、なぜか思い出した。

その日の午後、昼食を食べに入った定食屋でAくんにばったり出会った・・・

何十年ぶりにばったり会うだけでも奇跡に近いのに、何十年ぶりの再会を果たす日の朝、たまたまAくんのことを思い出している・・・って(笑)

偶然にしては出来すぎていると思いませんか?

というより、これは偶然では片付けられないでしょう。

それを「偶然」と思うか「必然」と思うか

こうした「偶然の再会」は、科学的には「偶然」としか言いようがありません。

お互いが意図することもなく、まったくの無計画に起きる再会は「偶然」であり、それ以上でもそれ以下でもない。

でも、スピリチュアルな視点で考えるとき、世の中に「偶然」なんて存在しないということが分かります。

すべての出来事は「偶然」ではなく「必然」なんです。

たとえそれがどんなに特異な状況下で起きたとしても、どんなに偶然っぽく見えたとしても、それは必然なんです。

先ほどの例で、何十年ぶりに再会したAくんですが、これを偶然と考えれば「いやあ久しぶりに会ったけど、こんなことってあるんだ・・・面白い」で終わってしまいます。

でも、この出会いを必然と捉えるなら「何十年も会うこともなく、ましてAくんのことを思い出すこともなかったのに・・・この出会いにはきっとなにか意味があるのでは?」なんて考えるかもしれません(笑)

すべての出会いは「必然」である

何十年ぶりかでAくんとばったり再会。

このこと自体は「単なる出来事」です。

ただ、その出来事をあなたがどのように捉えるかで、その後の展開が変わってきます。

単なる偶然、と捉えるなら、きっとこの「偶然の再会」は単なる「ちょっと珍しい出来事があったんだ今日」という、ひとつのエピソードとなって、やがて忘れてしまうでしょう。

でも、Aくんとの再会を「必然」と捉えるなら、そこからあなたの行動が変わるかもしれませんよね?

なんでAくんとばったり再会なんかしたんだろう・・・と考え、そこから何かに気付くかもしれない。

そしてこのAくんとの再会から何年後かに、

あのときの出会いにはこういう意味があったのか!

なんて(笑)

馬鹿馬鹿しい寓話の一種だと思いますか?

自分の胸に手を当ててみよう

でも、きっとあなただって、これに似た出来事を数多く体験してきているんじゃないですか?

・たまたまいつもの電車に乗り遅れたことで、今の奥さんと出会った、とか
・希望の大学はすべて落ちて滑り止めに受けた大学にいくことになったけど、その大学で人生の師に恵まれて人生が変わってしまった、とか
・たまたま立ち寄った書店で目に付いた本を読んで転職を決意した、とか・・・

ことの大小はあれど、どれもが偶然を装ってあなたの目の前に現れ、あなたの人生そのものを少しずつ変化させていきます。

そして年月が経って「あのときの出会いがあるから今の自分がある」という大きなターニングポイントになっている・・・そんなことだらけだと思いませんか?

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実例をひとつ紹介します

私自身の例をひとつご紹介しますね。

実は私、若い頃から死というものが怖くて怖くてしかたがなかったんです。

当時の私はバリバリの理系人間で、理屈で説明の付かないことはいっさい信じない、という考えでした。

そんなですから、死について、理屈で説明が付かないことが納得いきませんでした。

でも死は必ず自分のもとにも訪れる。

死んだら無になる、との説明が当時は当たり前でしたから、自分が死んで無になることを考えたわけです。

でも、それがどうにも理解できない・・・

無になるって、どういうこと?

人間、寝るときには意識がなくなるよな。
でも朝になれば目が覚める、意識が戻るよな。
死ぬって、意識がなくなって二度と意識が戻らない状態だよな・・・でも、

それって、どういう状態???

いくら考えても「意識がなくなって二度と戻らない状態」がどういうものなのか理解できません。

なぜなら、いまこの世に生きている人でその状態を体験した人はいないからです。

無になるとは、何もなくなること・・・つまり物質として存在しなくなるということ。

物質ではありませんから、物理学をベースとした化学の理屈では説明のしようがないわけです。

考えても答えの出ない、でも何十年か経てば自分も必ずそうなる状態・・・

自分が死んだら「どうなるのか」が分からないことに恐怖に悶えました。

こうした「死」に関する恐怖を抱えたまま若い頃を過ごしていましたが、ある日、ふと立ち寄った書店である本に目がとまります。

「死後体験」(坂本政道著:ハート出版)

なにげなく手に取ってパラパラと読んでみると、なんとそこには死後世界のことが書いてあります。

それだけでなく、それを自分で確かめてくることが出来ると書いてある。

・どうやって?
・死後世界は死ななきゃ体験できないだろ!

ところが、死ぬことなく安全に「死後世界を体験できる」方法がある、と書いてある。

その方法が「ヘミシンク」だったんですね。

私も最初は半信半疑でした。

・マジかよ?

と思いました。
でもそれと同時に、

・マジだったらすごいな・・・

とも思いました。

これが私とヘミシンクの出会いです。

ふと立ち寄った書店で1冊の本と「ばったり出会って」しまった。

それから十数年、いま私はヘミシンク開発元である米国モンロー研究所公認のアウトリーチ・トレーナーになっています。

この本と出会うことがなければ、きっと今でも普通のサラリーマンを続けていたことでしょう。

私にとって、この「偶然の出会い」は、決して偶然ではなかったのです。

ヘミシンクについては、以下の記事に詳しく説明していますので、興味のある方は併せてお読みくださいね。

▼関連記事▼
ヘミシンクについて、その真実の姿を専門家が余すことなく説明します

自分以外の「なにか」の力が働いている

お分かりかと思いますが、このへんの話は「科学的」ではありません。

なぜなら、真偽について証明が不可能だからです。

科学で説明しようとすれば、その出来事に何の相関も意図もないならば、それは「偶然」です、となります。

ですが、もし偶然でないなら、何らかの力が働いていることになります。

「何らかの力」とは?

それは物質が存在しない世界からの力です。

その世界は、人それぞれ、さまざまな言い方がされています。

その世界について、ここで結論めいたことを言うつもりはありません。

なぜなら、それは他人から「こうだ」と押しつけられるものではないと思うからです。

方法はどうであれ、自分自身で調べて、探求して、そして理解すべきもの。

私はヘミシンクを使って、自分なりの理解を得ることが出来ました。

ですから、自分以外の「なにか」についてあなたが知りたいと思うなら、ご自身で調べてみると良いと思います。

方法はお任せします(笑)

まとめ

今回は、「ばったり会う」ということについて考えてきました。

こうした偶然の出会いは偶然ではない、と私は考えます。

大なり小なり、結果として自分の人生を変えてしまうような出来事が偶然おこるわけがないと思いませんか?

いまこの記事を読んでいることだって、もしかしたら「あなたにとってとんでもない意味を持つこと」かもしれませんよ(笑)

 

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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