最近は神社巡りをする人がたくさんいますよね?
・近所の神社に散歩がてら気軽に立ち寄る
・旅行のついでに神社を参拝する
・1日にいくつもの神社をハシゴする
・賽銭を入れずにお願いだけする
まあいろいろな人がいると思いますが、
神社の参拝って気をつけてしないととても危険!
と警笛を鳴らす人も結構いますよね?
結論から言いますが、危険なんて欠片ほどもありません。
今回はその辺のところを解説していきたいと思います。
巷で言われている「神社に行き過ぎる」のが良くない理由
とはいうものの、神社関係の人が「神社の行き過ぎは良くない」とか言っていたりもするので、そういう話を聞いてしまえば多くの人は疑うこともなく信じてしまいますよね?
ということで、まずは世間でどのようなことが言われているのか代表的なところを幾つか見てみましょう。
ついでに参拝は良くない
何処かに旅行をした際にその地域の神社があるのを見つけたのでついでに参拝した。
こういう人は多いと思いますが、これは良くないと言っている人が結構います。
そういう人たちの言い分は「神様の身になって考えてみれば、自分のことを知りもしない人が遊びのついでに立ち寄ってお願いをしていくって、良い気持ちはしないでしょ?」というものが大半です。
そういう参拝の仕方は神様に対してたいへん失礼なことだと言うわけですね。
何も考えずにこういう話を聞くと「なるほど、そうだよね」なんて思ってしまうかもしれません。
しかしそれはとんでもない勘違いですから。
いいですか?
あなたが旅行先でたまたま見つけた定食屋さんに立ち寄って食事をしたとしましょう。
その定食屋さんのオヤジさんが気分を損ねると思いますか?
たまたま見つけた定食屋に、美味しそうだな、美味しいと良いな、と期待して入って食べたら凄く美味しかった。大満足!
そう思って貰えたら、定食屋のオヤジさんだって嬉しいのでは?
神社だってそれと同じですよ。
良いじゃないですか、ついでだってなんだって。
立ち寄ってみたいと思ったんだったら堂々と立ち寄れば良いんですよ。
そして賽銭を入れて堂々とお願いをしてくれば良いんです。
そもそもそんなことでヘソを曲げるような神様なんていませんから。
ちゃんと下調べもせずに参拝するのは神様に失礼、とか言っている人の方がよっぽど神様に失礼だと思いますよ。
神様って、そんなにちっぽけでケチな了見なんて持っていませんから。
人気の神社は危険
最近では神社の特集が雑誌に掲載されたり神社巡りのための本が売れたりして、人気の神社にはたくさんの人が参拝に訪れますよね?
そういう神社では、多くの参拝者の「願いを叶えたい」という思念が渦巻いて邪気となり他の参拝者に悪影響を及ぼすことがあるといいます。
そして叶えられなかった願いは「穢れ」となり悪さをするんだそうです。
私はこの話を聴いたとき、自分の耳を疑いました。
え、その程度の人々の思念すら処理できない神社なんてあるの?
いったい何人の人が参拝すればそんなことが起きるわけ?
10万人?100万人?
たとえそれが1000万人だとしても、神様にしてみればものの数ではないはずです。
そして叶えられなかった願いが穢れとして残るって、笑
おいおい、神様を侮辱するのもいい加減にせぇよ!
って感じです。
こういうことを知ったかぶりに得意満面に話す人って、ホントに恥ずかしいです。
スピリチュアルな世界のことが何も分かっていない証拠です。
アニマル柄のアイテムを身につけて参拝してはいけない
トラ柄のパンツをはいて行ったり、ヒョウ柄のパンプスで参拝するのはNG。
賽銭を革の財布から取り出して入れるものNG。
こうした「動物の殺生」を思わせるアイテムを身につけて神社を参拝するのは神様に対して失礼に当たるからダメなんだそうです。
同じ理由でペットの犬や猫と一緒に参拝するのもNGだそうです。
とくに狐が祀られている稲荷神社は犬を連れて行くのは神様の怒りを買うため危険とか。
これらもはっきり言って、なんとも稚拙な理由ですね。
それを言うなら人間そのものがもっとも穢れているんじゃないでしょうか?
自分たちの楽しみのために動物や魚を乱獲し毎日のように食卓に並べて食べるし、願い事を聴いてみれば「高級外車が欲しい」とか「彼と結ばれますように」とか私利私欲ばかり・・・
そういう人間そのものは問題なくて、動物柄のアイテムが悪いとか、マジですか?
もういい加減にしてほしいものです。
鳥居をお辞儀しないでくぐると悪霊に取り憑かれる
鳥居はあの世とこの世を隔てる境界線だから、そこで無礼があると不浄霊に取り憑かれることがある。
だから失礼のないようにちゃんとお辞儀をしてくぐりましょう。
お辞儀をして鳥居をくぐること自体に反対するつもりはありませんが、それをしなかったら不浄霊に取り憑かれるって・・・ちょっといい加減にしてくださいよ!
鳥居というのは単なる結界であり、鳥居の内側のエネルギーを保つためのものです。
あの世とこの世を隔てるというものではありません。
鳥居の「神域と俗世界を分け隔てる」という役割を拡大解釈したのでしょうが、そこで仮にお辞儀をしなかったからといって不浄霊に取り憑かれるなんてことがあるわけありません。
いい加減にもほどがあります。
もうそろそろ目を覚ましてください!!
で、実際のところ神社に行き過ぎるのは良いのか悪いのか
要は、こうした「軽いノリ」で神社に参拝する人が増えたから「行き過ぎは良くない」という声が出始めたのでしょう。
神社は神様を祀ってある神聖な場所なのだから、参拝もそういう気持ちで「大事に」参拝して欲しいということなんでしょう。
しかし前章で説明した「こういう参拝はダメだよ」という説明の全てに共通したものがあるのに、あなたは気付きましたか?
ちょっと考えてみてくださいね。
答えは「すべて人間目線」ということです。
これをすると神様が不愉快になる、とか、大勢の人が参拝する神社では神様が願い事を叶えきれないため穢れが残る、とか、失礼な振る舞いは不浄霊に取り憑かれる、とか。
これをするとこうなる、これをしないとこうなる、のように、私たちの側がどうかによって神様の御利益が変化するって、神様ってそんな程度のものなのでしょうか?
私は神道を信仰しているわけではありませんし他に特定の信仰を持っているわけでもありませんのではっきり言いますが、神様などという存在がいるとは思っていません。
ただ、私たち人間を超えた「何らかのエネルギー」の存在はあると信じています。
それをある人たちは神様といったり仏様といったり天使といったりするのではないでしょうか。
そしてそうした存在は、私たちをはるかに超えたものであり、私たちがこうしたとかああしたとか、礼儀を欠いたとか、そんなことが影響するようなものではないんです。
神社にいったら二拝二拍手一排とかいうのだって、人間が後からとってつけた勝手なルールに過ぎません。
それをしなかったからといって、どうなることもないです。
ですから神社に行き過ぎたからって、それが良いとか悪いとかいっさい関係ありません。
参拝というのは、あなた自身の思いや考えを整理するために行うものと理解するのが最も正しいのではないか。
そのために必要ならいくつもの神社をハシゴすれば良いし、ひとつの神社だけに何度も通うのもいい。
すべてあなたが決めれば良いんですよ。
私はそう思っています。
結局のところ
今回は神社に行き過ぎるのは良くない、という通説について反論してみました。
全然平気ですから、行きたいだけ行けばいいんです。
そして細かい作法とかも気にしすぎることはありません。
他の参拝者が不愉快にならない程度の気配りは必要ですが、それ以上のことは不要です。
どうかあまり神経質に考えず、自分の想いに素直に従うのが良いと思いますよ。
ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。