シンクロニシティ。
意味のある偶然の一致という意味の言葉で、日本語では「共時性」と訳します。
え、偶然っていうのはなんの因果関係もない状況で起こることでしょう?
そこに意味なんてあるわけないでしょう。笑
シンクロなんてただの妄想に過ぎないよ。
本当にシンクロニシティには意味がないんでしょうか?
とかくサイエンス畑の人はシンクロニシティを否定し、スピリチュアル寄りの人はシンクロニシティを肯定します。
賛否両論のシンクロニシティ。
今回はそんなシンクロニシティについて考えていきたいと思います。
そもそもシンクロニシティ(共時性)とは
冒頭でシンクロニシティの意味を「意味のある偶然の一致」と説明しました。
もう少し正確に説明しますね。
もともとシンクロニシティは心理学者ユングが提唱したものです。
ユングは原因があって結果があるという「因果性」とは独立して「共時性」が存在すると考えました。
因果性しかなければ、物事は必ず何らかの原因があって初めて起きてくることになりますから、そもそも「偶然」という概念は存在しないことになります。
この考えはいかにも理系っぽい考えで、物事は必ず合理的に説明できるという考えがベースにあると言えます。
しかしながら世の中には理屈じゃ説明できない出来事なんて山ほどあるわけです。
特に一見なんの関連性も必然性もない出来事が同時に起きてくるとき、偶然という概念なしには説明がつかなくなります。
いくつか具体例を紹介しますね。
シンクロニシティの具体例
たとえば友人と話をしているときに、自分がふと心に浮かんだことを友人も言い出す、なんてこと良くありますよね?
または自分が「今日はなんとなく気が進まないから会社を休んじゃえ」なんてムチャクチャな理由で会社を休んだ日に、いつも自分が乗っている電車が事故でたくさんの死傷者が出たとか。
虫の知らせ、なんていうのもシンクロニシティといえるでしょう。
家にいたら風もないのにタンスの上の人形が落ちてきた・・・これ、田舎のおばあちゃんがくれた人形だ、なんて思っていると電話が鳴って「おばあちゃんが危篤だからすぐに戻ってこい」とか。
こうした「どう考えても因果関係のない偶然の一致」をシンクロニシティと呼ぶんです。
こうした出来事が起こるためになにか「明確な原因」があったかといえば、合理的に説明できる原因はないんですよね。笑
なぜシンクロニシティは起きるのか
上で説明しましたが、シンクロニシティが起こることに関して合理的な説明は困難です。
それでも私たちはこうしたシンクロニシティをさまざまな場面で体験していますよね?
サイエンスに基づいた合理的な説明は困難だとしても、何らかの説明がないことには落ち着かない気分になりますよね?
実はスピリチュアルな視点で考えると、シンクロニシティがなぜ起きるのか説明できちゃうんです。
シンクロニシティが続くスピリチュアルな意味
私はヘミシンクの公認トレーナーという仕事をしている関係上スピリチュアルに関しては精通していますので、専門家の立場からシンクロニシティについて説明しますね。
ヘミシンクにつきましては以下の記事に詳しく説明していますので併せてお読みくださいね。
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サイエンスとは異なり、スピリチュアルでは「目に見えない」世界を対象にします。
目に見えないとは肉眼で捉えることができないという意味にとどまらず、現存するあらゆる測定機器を用いてもその存在を確認できないという意味です。
たとえば喜怒哀楽などの感情や思いやる心、好奇心、不安、愛情、恐怖、空想、妄想、アイデア、閃きなどは目に見えませんよね?
これらを総称して「意識」といいますが、私たち人間は肉体とこの「意識」からできているんです。
サイエンス(科学)の基本的な考え方
サイエンスの世界では人間は肉体のみであり、意識は肉体の一部である脳が作り出すものと考えます。
つまりサイエンスでは意識は脳が作り出した産物に過ぎず、肉体以外に人間を構成しているものはないと主張します。
ですからサイエンスでは死後の世界を否定します。
死ねば肉体は機能停止し、したがって脳も機能停止する。
脳が機能停止すれば、脳で生み出されていたあらゆる思考すなわち意識も消失する。
つまり死んでしまえば何もかもが消えてなくなってしまうから、死は無を意味する。
と、こう考えるわけですね。
ところがスピリチュアルでは全く異なった考え方をします。
スピリチュアルの基本的な考え方
サイエンスでは目に見えないものは研究対象外でした。
このため本来は「意識」もサイエンスの扱い範囲外なのでしょうが、厄介なのは意識は目に見えなくてもレッキとして存在しているわけです。
ですから何とか物質の範疇で説明しようとしたため「脳が創り出した」なんてデタラメを言い始めちゃったんですね。笑
脳が創り出したなんて言っては見たものの、合理的な説明ができず「現段階ではまだ謎の多い分野なんですが将来的にはこの謎を解明できる日が来ることでしょう」なんて言っちゃいます。
サイエンスが目に見えないもの、すなわち物質でないもの=非物質の存在を認めない限り、意識について合理的な説明はできないでしょう。
そこでスピリチュアルの出番です。
スピリチュアルはサイエンスとは対照的に目に見えないもの=非物質がメインの研究対象です。
スピリチュアルではどう考えるか?
前段でも少し説明しましたが、人間は肉体と意識からできています。
意識は肉体とは完全に独立しており、肉体の存在にいっさい依存しません。
どういうことかと言いますと、肉体があろうとなかろうと意識は「在り続ける」ということです。
私たちは肉体が機能している間は、肉体と意識は同化しています。
ですから肉体と意識が別物だと感じることは「ほとんど」ありません。
ほとんどと前置きしたのは、ときどき肉体と意識が別物だということを垣間見る機会があるからです。
その機会とは、臨死体験とか体外離脱とか、あるいは寝ているときに意識が肉体から遊離してしまうこともあります。
私も体外離脱の経験がありますが、肉体から意識が抜け出る体験を一度でもすると、これは間違いなく肉体と意識は別物だと信じざるを得なくなります。笑
事ほど左様に、意識は肉体とは切り離された存在である、というのがスピリチュアルの基本的な考え方なんです。
シンクロニシティのスピリチュアルな意味
いよいよ本題に入りますね。
目に見えない世界すなわち非物質世界には「類は友を呼ぶ」という大原則があります。
似たもの、似た思いは引き付けあう。
願い事が叶ったりするのも、実はこの大原則があるからなんですね。
他にも恋愛とか占いなんかもそうです。
たとえば占い師があなたに「南東の方角に吉あり」なんて言われれば、どんな良いことがあるのか気になって南東の方角に出かけていきますよね?
そして「何か良いことは起きないだろうか」と期待しながら周囲に目を向けていると、あなたのその思いに引き寄せられてくる人やモノがあるわけです。
そして「占いすごい」となるわけですが、占いがすごいわけではなく非物質世界の原則ですから。
言ってしまえば南東でなくても北北西でも南でも良いわけです。
その言葉のあとに来る「吉あり」が重要で、あなたは「吉あり」に引き付けられて行動した結果、そこが南東でも北北西でも南でも何かを得ることができます。
占いが当たるとか外れるとか、占い師が真実を言っているとか嘘をついているとか、その辺のことはあまり重要ではないんですね。
スピリチュアルの視点で見れば、占い師が当てるのではなく占ってもらう側が「当てに行く」ようなものですから。笑
恋愛についても然りです。
たとえば「運命の人に出会うでしょう」とかなんとか言われれば、きっと出会う人みんなが運命の人かもしれないと思えちゃいますよね?
そしてその中にあなたと波長が合う人がいれば、その人が「運命の人」になっちゃう訳です。
すべて「類は友を呼ぶ」という非物質世界の大原則のもと、当たり前のように起きることなんです。
で、シンクロニシティですが、上記のような「前振り」がない状態で似た者同士が引き寄せあった結果といえます。
運命の人に出会うとか、南東の方角に吉あり、みたいな事前情報が何もない状況で「類が友を呼んだ結果」がシンクロニシティなんです。
類は友を呼ぶというスピリチュアルの大原則さえ分かっていれば、シンクロニシティは偶然でも何でもなく「当たり前のように」引き寄せられた出来事ということが理解できるでしょう?
シンクロニシティが頻繁に起こる意味の理解のしかた
この辺の事情が理解できてしまうと、シンクロニシティが頻繁に起きるようになってきます。
というよりシンクロニシティに気付きやすくなった、といったほうが正しいんですが。
だってシンクロニシティなんて日常茶飯事、四六時中起きてるんですから。笑
ほんの些細な出来事の中にもシンクロニシティはたくさん起きています。
どうしようか迷っているときに目の前を白い蝶がヒラヒラと飛んでいた・・・
これはきっと良いことの前兆かもしれない、と根拠なく思い込み行動したら大成功!
なんてことはよくあることです。
要は日頃の出来事ひとつひとつにすべて意味があり、その意味にどれだけ気付けるか。
シンクロニシティが頻繁に起こるようになってきたのは、そうした出来事の意味に気付き始めたということです。
こうなればしめたもので、人生は間違いなく良い方向に動き出します。
結局のところ・・・
今回はシンクロニシティについてスピリチュアルの視点で説明しました。
何が起きても「すべてに意味がある」とすれば、すべての出来事はシンクロしていると考えることができますよね?
良いんですそれで。笑
自分の思った通りに生きていけばいいんですよ。
だってすべての出来事はシンクロしているんですから。
あらゆる出来事はあなたにとって「最高のご縁」だと思うことです。
どんな生き方をしたところで人生なんてたかだか80年〜100年です。
良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいことも、そして死ぬことすら「ご縁」です。
そう考えれば何が起きても飽きることなく生きていけると思いませんか?
ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。