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死ぬと無になることがなぜ怖いのか、その本質を知れば何も怖くない!

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。

死ぬと無になるって考えると怖い

死んだらどうなるのか?

本当の意味でこの答えを知っている人は、この世界にひとりもいません。
なぜなら、その答えは「死んだ人だけが知り得る」ものだからですね。
この世界に生きている人たちは死んだ経験がありませんから、死後どうなるかを経験した人は誰ひとりとしていないんです。

え、臨死体験した人とかいるんじゃないの?

はい、臨死体験は「死んだ体験」ではありません。
臨死体験は、死にそうになって、すんでの所で死なずに戻ってきた人の体験です。
死後の世界を垣間見てきたと言えるかもしれませんが、実際に死んだわけではありませんから臨死体験で見るものと実際の死後世界とが同じものだという保証はありません。

また科学の視点に立つと、死とは「無」です。

人間は死ぬと肉体の機能がすべて停止し、従って脳も機能停止します。
これにより今までの人生の記憶もすべて消えてなくなり、完全な「無」になる・・・

これって怖くないですか?

今回は死と無について、本質的な部分をしっかりと考えて行きたいと思います。

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死ぬことが怖いのではなく、無になることが怖いのでは?

実は私も若いころ、死について考えるといても立ってもいられないほどに怖くなりました。

人間死んだらどうなるんだろう・・・
すべてが「無かったこと」すなわち「無」に帰す・・・って?
自分の意識も含め、存在のすべてが完全に消えて無くなってしまうって、どゆこと?

いくら考えてもこれらの答えを得ることは出来ませんでした。

怖くないですか?
自分が完全に存在しなくなってしまうんですよ?

よく「人は死ぬからこそ生に真剣に向き合える」とか言う人っていますよね?
もっともらしいこと言っているようで完全に意味不明です(笑)

さらに「無になりたくなければ意味のある人生にすれば良いのでは」
とか言う人までいます。

どんなに有意義な人生を送ったところで最後は完全に無になってしまうのなら、生きることに何の意味があるんでしょうか?

そして無になった後、自分という存在はどうなるんでしょう?

無は無だよ、だから無なんでしょう?
いやいや、あなたには理解できますか?
自分、というか自我そのものが完全に消失してしまったら、その時どう感じるのか?

科学という欺瞞

科学では軽々しく「死ねば無に帰す」と言い放ちますが、無って何でしょう?

もちろん、言葉としての意味は分かります。
でも自分のすべてが無に帰すって、どういうことでしょう?
科学的には以下のようなことだと思いますが。

人間は死とともに肉体のすべての機能が停止、脳も機能停止する。
このため脳が創り出していたあらゆるもの(記憶・経験・思い出・感情など)も完全に消失してしまう・・・これすなわち「死」である。

いかにも科学的な解釈だとは思いますが、ではなぜ人間は生きるのでしょうか?
という哲学的な問いには何ひとつ答えられません。

人間は誰しも、生まれて親の愛情をふんだんに浴びながら成長していきます。
そしてさまざまなことを学び、別の誰かを愛し新たな命を育みます。
そして社会的にも何らかの功績を残し、老い、やがて死んでいきます。

もしも科学の言うとおり死が無に帰すことなら、人生って何でしょうか?
どんなにエキサイティングな一生を送っても、どんなに地位と名誉を得ても、そしてどれだけ家族を愛していても、死ねばそのすべてが無になる・・・

すべてが「無かったこと」になる。
それが死だとすれば、生きる意味はどう理解すれば良いのでしょうか?

なにを青臭いこと言ってるんだ?
人生経験を積んでいけば死なんて怖くなくなるさ。

はっきり言いますね。
死が怖くないなんて、ただ何も考えていないか余程の鈍感かのどちらかです。
これは人生経験が解決してくれることではありません。

死が無に帰すと考える限り、死の恐怖、自分が無になることの恐怖は決して解決できません。
じゃあ、どうすれば良いのでしょうか?
私は科学の視点で死を捉えている限り、この答えを得ることは出来ないと思っています。

死について、科学以外の説明は可能か

もしも死について、科学的な説明「死は無」を採用するなら、私たちは生きる意味を完全に見失ってしまいます。
だとしたらそんな説明、受け入れられますか?

私には到底、受け入れられません。

だとすれば、科学以外の何らかの説明がきっとあるはずです。
若いころの私は、死の恐怖、無に帰す恐怖にのたうち回りながら、どこかにあるに違いない「納得できる説明」を探し回りました。

そしてその「答え」を見つけたのです。

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死の本質は「無に帰す」ことではなかった!

詳細については割愛しますが、私が見つけた答えとはヘミシンクにありました。

ヘミシンクとは、特殊な音響技術を用いた瞑想ツールで、ヘッドホンで音(この音をヘミシンク音といいます)を聴くことにより脳波を特定の意識状態へと誘導します。

この特定の意識状態とは「変性意識状態」と呼ばれるもので、ひとことで言えば「通常の意識状態ではない意識状態」の総称です。
通常の意識状態を覚醒している状態とすれば、変性意識とは

リラックスしている意識状態
瞑想しているときの意識状態
寝て夢を見ているときの意識状態
深い睡眠状態
昏睡状態
白日夢を見ている時の意識状態

などなど、とても広い意味を持ちます。
そしてこの変性意識状態には「死後の意識状態」も含まれるんです。

なにをバカなことを!
死んだら無なんだから意識なんて在るわけ無いでしょうに!
なんて思いますよね?

前章で私は「科学の説明は到底受け入れられない」と言いました。
つまり、死は無に帰すことである、という説明は受け入れていないんです。
じゃあ死が無ではないなら、死って何?

死とは肉体の機能停止だが、意識は存続する

人は死ぬと肉体の機能がすべて停止します。
これは科学が説明していることと同じです。
でもここからが科学の説明とは違ってくるんです。

ヘミシンクでは「人間は肉体を超えた存在である」と言っています。
肉体を超えた存在ってどういうこと?
意味が分からない、分かるように説明して!

と思いますよね?

人間が肉体を超えた存在とは、人間は肉体だけの存在ではないという意味です。
肉体だけの存在ではないって、肉体以外に何があるというのでしょう?

人間は肉体と意識から成る

つまり意識は肉体とは別物で、肉体が機能停止しても(すなわち死んでも)存続し続けるんです。
その証拠に人間は生きていながらも肉体と意識が別であることを体験することがあります。
それが「体外離脱」ですね。

体外離脱とは何らかの理由により意識が肉体から一時的に分離してしまう現象のことで、この経験をした人の多くは「肉体と意識が別物」という認識を明確に持つようになります。

そしてこの考えは、科学では決して説明のつかないいくつかの現象についても説明することが出来ます。
それが前世や過去世の記憶や生まれ変わり、遠隔透視、未来予知などです。

そしてこの考えを受け入れると、死についてまったく違った世界が見えてくるんです。

死とは意識が肉体から独立すること

人間は肉体と意識からなる。

一般的に言う「死」とは、肉体が機能を停止することで意識が肉体から遊離することです。
肉体を失いますが意識は相変わらず存続し続けるんですね。
どうやらそれが本当の死ということのようです。

つまり、死は無に帰すことではないんです。

肉体を失いますが意識は存続しますから、当然のことながら人生経験や記憶は残ります。
このことを知り、私は死の恐怖から解放されました。
だって自分は死んでも完全にすべてが消失してしまうわけではないのですから。

これまで生きてきた経験や記憶、感情なども無駄になるわけではない。

肉体を失った意識が、死後世界でこれまでの経験をどう活かすのか?
これはこれで別の意味ですごく興味のあるところですが、それは別稿で詳しく説明しますね。

とにもかくにも、死の本質は「無」ではないことがご理解いただけましたか?

まとめ

今回は、死と無について考えてみました。

この「死=無」という科学の説明はどう考えても理に叶っていません。
それは科学が「物質を対象にした学問」だからですね。

ところが人間は肉体という物質「だけ」の存在ではなく、意識という「非物質」も合わせた存在なんです。
つまり単なる物質ではないということです。

単なる物質ではない人間について、物質のみを対象にした科学の説明が不十分なのはある意味「当たり前」と言うことです。

死んだら無になるなんてことはありませんから、死を怖がる必要は無いと言うことですね。

今回の説明に出てきたヘミシンクや死後世界に関しては、以下の記事で詳しく説明していますので併せてお読みいただければ幸いです。

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