洋の東西を問わず、死後世界についてはさまざまな形で表現されています。
天国、涅槃、彼岸、黄泉の国・・・
それぞれに意味するところは微妙に異なるかもしれませんが、どれも「人が死んだあとに行くところ」という意味の言葉です。
そして日本では一般的に「あの世」という表現を用います。
いま私たちが生きているこの世界を「この世」というに対し、死んでから行く世界なので「あの世」というわけですね。
あの世については、さまざまな立場の人がさまざまな主張を繰り広げています。
科学者、哲学者、宗教家・・・
みんな言うことが違います。
本当のところ、あの世って何なんでしょうか?
今回は、その有無も含めて「あの世」に関するさまざまな疑問に答えていきたいと思います。
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あの世は果たしてあるのか
そもそも、あの世は本当にあるのでしょうか?
あるという人もいれば、ないという人もおり、それぞれもっともな理屈を持っています。
否定派:あの世の存在を証明できない
まず、否定派は
あの世があるなら証拠を示せ
といいます。
否定派は「証拠がない」という一点において、徹底的に否定します。
ここでいう証拠とは、科学的に証明できる客観性のあるものを指します。
しかし、あの世があるとしてもそれを証明することは至難の業です。
だってあの世は死ななければ行くことができませんので、それを「物証」で示すためには「いちど死んで、あの世の証拠を集めてから生き返って」こなければ無理です。
そんなこと、出来るわけがありません。
だから「あの世なんて存在しない」と主張します。
肯定派:あの世は物質ではないものの行くところ
しかし、肯定派はこの考えに対し
存在を科学的に証明できないものなんて山ほどあるではないか
と反論します。
そもそも、人間は肉体だけの存在だと考えるからあの世が存在しないという「間違った」結論にいたるのだ、と。
否定派が「意識」は脳が作り出すものとするのに対し、肯定派は「意識」は肉体とは独立して存在している、と考えます。
人間が肉体だけの存在なら、意識も肉体の一部である脳で作り出され、肉体の機能停止、すなわち死とともに意識も消えてなくなる。
死は無に帰すことであり、死後には何もない。
だからあの世なんて存在するわけがない。
これに対し肯定派は、意識は肉体とは完全に独立して存在しているため、生きている間は肉体と意識は一体化して機能するが、死とともに肉体の機能が失われると、意識は肉体から離れる、と考えます。
肉体から離れた意識は物質のない世界へと移行します。
物質のない世界、非物質世界。
それが「あの世」というわけです。
意識は非物質ですから、当然のことながら物理法則には束縛されません。
ですから、あの世を物理的な視点で議論すること自体ナンセンスなんです。
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あの世がある証拠
あの世とはどのような世界でしょうか?
なるべく正確に、ひとことで表現すれば、
生きている状態「以外」の状態
の総称といえます。
・人が死んだ後に行く世界=死後世界
・生まれる前にいるところ
・前の人生と今の人生の間の期間にいる世界
これらを総称したものが「あの世」です。
人間が肉体だけでなく「意識」も含めた存在である以上、死後、肉体の機能が失われたあとに意識が行く世界があるはずです。
肉体から放れた意識は物質としては存在していませんから、死後に行く世界も物質世界ではありません。
物質世界ではない世界とは
物質が存在しない世界、すなわち非物質世界とはどんな世界なんでしょうか?
そこは物質が存在したいため、すべてがひとつに融合している世界とも言えます。
いままで物質世界では「個」として存在していた私たちですが、非物質世界ではこの「個」という概念が希薄になります。
その分、互いの思いや考えはつながります。
これにより物質世界では当たり前だった「見解の相違」とか「認識のずれ」「思想や宗教観の違いによる対立」といったものがなくなります。
互いが繋がりあうだけではありません。
空間や時間という概念もなくなります(これらは物質世界では不可欠ですが非物質世界では不要なものです)ので、時空を超えて意識が繋がりあうことも出来てしまいます。
特に時間の概念がないということは、過去も現在も未来もすべてがひとつになっている状態です。
私たちがこれを理解しようとすると、
意識はこれまで数々の人間の人生を渡り歩いてきた、これからも。
ということになります。
あの世=非物質世界が存在する証拠とは
あの世が物質世界とは異なる「非物質世界」であることがご理解いただけたと思いますが、でもそれが存在する証拠って?
と思いますよね?
科学的な証拠ではないですが、あの世の存在を示唆する数々の証拠があります。
前世・過去世の記憶
まず、自分の前世記憶を持った人が(少ないながらも)存在します。
自分は生まれる前、○○時代の農家の娘だった。
なんて記憶がある人がいますが、このような「今の人生をスタートする前に別の人間として生きていた記憶」が本当ならば、これは「生まれ変わり」の証拠といえます。
世界中にこのような「過去世の記憶」を持つ人がいるわけですが、こうした人の記憶のすべてが「本物」とは言えないでしょう。
なかには客観的にみて正確性を欠くものも多く、これらを「生まれ変わりの証拠」とすることは困難です。
ただし、こうした中にも「疑いようのない前世記憶」もあります。
ある人の前世記憶は、その人が過去に行ったことも見たこともない国と場所と時代について、知るはずのない情報を正確に知っているという事象があります。
たとえば、江戸時代の多摩地区に暮らしていた小谷田勝五郎という少年は、自分の前世を思い出します。
勝五郎は前世は藤蔵という名前で、天然痘で亡くなったと語ります。
調べてみると藤蔵という人物は実在し、確かに天然痘で亡くなっていました。
こうした一連の事実を勝五郎が知る由もなく、勝五郎が藤蔵の生まれ変わりでない限り説明がつきません。
こうした事例から、人間が肉体だけの存在であるとしたのでは説明がつかないため、やはり肉体とは別に意識が存在している、と考えられるわけですね。
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生まれ変わりの日本における研究は意外にもかなり古くからあった?
あの世の仕組み
科学的に証明は出来なくても、どうやらあの世はあると言えそうです。
ではあの世の仕組みってどのようになっているのでしょうか?
まず、人は死んだらどうなるのでしょうか?
・そんなの死んだ人しか知らないでしょう
・死んでから考えればいいじゃん
でも、自分が死んだらどうなってしまうのか知らないって、怖いと思いませんか?
あの世を理解するためには、人間が肉体だけの存在ではなく、意識が肉体と独立して存在するということを認める必要があります。
人間は肉体と意識から成る
本来、肉体と意識は別々に存在しますが、生きている間は意識は特定の肉体と一体化しています。
このため意識が肉体と別物である、という感覚を持つ人はほとんどいません。
ところが、肉体が機能停止すると(すなわち死ぬと)意識は肉体から離れます。
私たちが「死」と認識しているものは、実は肉体の機能停止のことであり、意識は相変わらず存在し続けます。
生きている間は、意識は肉体を通して多くの情報を得ています。
それがいわゆる五感というもので、見たり聴いたり嗅いだり味わったり触ったりして情報をインプットしていくわけです。
ところが肉体が機能停止してしまうと、もう肉体を通して情報が入ってこなくなります。
こうなってしまうと、もう意識は肉体と一体化している必要がなくなりますので、肉体から離れていくわけですね。
あの世とは「中間世」
肉体を離れた意識は、本来いた場所に戻ります。
本来いた場所とは、生まれる前の世界であり、死後世界であり、生と生の間の世界です。
表現は異なりますが、要は肉体を持たない状態の時に意識がいるところのことです。
分かりやすく言えば「中間世」です。
中間世は非物質世界ですから、すべてが「在る」世界といえます。
過去も現在も未来も、ここもそこもあそこも、あなたも私も・・・
これらすべてがひとつになった世界です。
人はこの「中間世」で、次の生に向けた準備をするといわれています。
次の生に向けた準備って、何をするのか?
これには諸説ありますので、興味のある方はいろいろと調べてみると良いですよ!
いずれにしても、あの世とは「生と生を結ぶ役割がある、とても大切なところと言えそうです。
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ここでひとつの疑問が出てきます。
人間は死ぬと、必ずあの世にいくのか?
という疑問です。
死後世界の総称として「あの世」という言葉を使うなら、答えは「イエス」です。
あの世の本来の目的は「輪廻の中継点」としての役割です。
しかしそう考えると、肉体を離れたすべての意識が「輪廻の中継点」に行くかというと、必ずしもそうではありません。
囚われの領域がある
肉体が機能停止しその機能を失うことで、意識は肉体から離れます。
しかし、何らかの理由で「自分が死んだことに気付かない」意識がいます。
たとえば、急な事故などで命を落としてしまったり、何らかの病気で長患いの末に命を落としたりした場合、意識が「肉体から離れたことに気付かない」ことがあります。
そうすると、意識は本来行くべき「輪廻の中継点」ではなく、この世にとらわれてしまいます。
そしてそこに居続ける・・・なんてことになったりするんです。
自分が死んだことに気付いていませんから、何故自分がそこにいるのか、そこで何をしているのかをちゃんと認識できません。
たとえば交通事故などで命を落としたような場合、その場でいつまでも助けを待っている、なんてことがあります。
とても悲しいことですが、さまざまな理由で本来行くべき「輪廻の中継点」に行くことが出来ず囚われている意識は数多くいるようです。
この世の未練に囚われることもある
また、この世に強い未練を残しているがゆえに、その場に囚われてしまうこともあります。
誰かに騙されて身も心もボロボロになり、自らの命を絶ったような場合、自分にそのような仕打ちをした人に対する恨みに囚われてしまうとか、幼い子供を残してこの世を去らなければ成らないような場合、その子のことが心配で意識が囚われてしまう、なんてこともあるようです。
こうした「囚われの状態にいる意識」をなんとか救出してあげたいものです。
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あの世での時間の流れ
あの世は物質が存在しない世界、すなわち非物質世界ですから、物質をがんじがらめに束縛しているものから自由になっている状態です。
物質世界では「時間」という概念がすべての事象を支配しています。
時間は過去から未来へと一定の時を刻み続けます。
そしてこれを止めたり逆行したりすることは決して出来ません。
あの世には「時間」という概念がない?
しかし、あの世には時間という概念が存在しません(意識がこちらの世界に囚われている状態では時間という概念から完全に開放されてはいませんが、それでもかなり希薄にはなっています)
たとえば、事故で命を落とした人の意識が、自分が死んだことに気付かずにその場で助けを待っているというようなケースでは、自分では助けを待っているのは1時間程度だと思っていても、この世では100年以上の時間が流れている・・・なんてこともよくあります。
これは時間という概念が希薄になっているがゆえに起きる典型例といえます。
物理学で習うこととは全く違った話ですので、受け入れがたいと感じる人も多いことでしょう。
しかし、あの世について議論する上ではこの「時間」に関する認識はとても重要な意味を持ちます。
先立った家族や友人と会話できる?
時間という概念が無いからこそ、先立った家族や友人知人と会話が出来たりもするわけです。
どうやって?
というツッコミが来そうですが、方法はいろいろとありますよ(笑)
・ミディアムを通して情報を受けとる
・夢の中で故人と会って話をする
・ヘミシンクを用いて自分自身で故人に会いに行く
などなど。
もしも興味があるなら、以下の記事が参考にアンると思いますので併せてお読みくださいね。
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まとめ
今回は、あの世についていろいろと説明してきました。
そもそもあの世があるのかないのか?
科学的には「ない」のでしょう。
でも、あの世がないとした場合、多くの疑問が残ることも事実です。
それらの疑問に答えるべく、さまざまな研究が為されていることも事実ですが、なかなか答えにたどり着くことが出来ません。
しかし、科学のアプローチに固執しなければ、納得のいく説明はいくらでもできます。
世の中、科学だけですべてを説明しようなんて考えるのは人間の傲慢でしょう。
そういう意味で今回の記事をお読みいただけたなら幸いです。
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。