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あの世がないと言う人がいるが、その理由がぶっ飛んでて面白い。

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あの世は無いと言う人の言い分が面白い

あの世?

ないない、あるわけないでしょう。笑

まさか、あなたはあの世があると思ってる?恥ずかしいから他では言わない方がいいよ。

なんて言う人、いますよね。

私から言わせれば、あの世がないと思う方がずっと恥ずかしいと思いますけど。笑

さて、あなたはどちらですか?

今回の記事では、あの世が存在することについて私なりの結論をお話しします。

▼関連記事▼
人は死んだらどうなるのか?意識はどこへ行くのか行かないのか?

 

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あの世がないと主張する人の理由が面白い

あの世なんてないと主張する人たちは「科学」を盾にしてまくし立てます。

肉体が機能を失えば、脳も機能停止する。

脳が機能停止すれば記憶も全て消失する。

人生経験も何もかもが消えてなくなる。

あの世だって生きている人間の脳で創り出された都合の良い概念に過ぎない。

死んでしまえばその概念だって消えてなくなる。

・・・とまあ、こんなことを言うわけです。

科学の視点「だけ」で考えればこの結論に至るのは理解出来ます。

なぜなら科学は「物質」のためのものですから。

ところが人間は物質だけで出来ているわけではありません。

その証拠にあなたの感情や意識には形も大きさもありませんよね。

人間は肉体(物質)と意識(非物質)から出来ているのです。

こういう言い方をすると科学の信者は意識は物質である脳が創り出したもので、意識が肉体とは独立して存在している証拠はない。

といいます。

この議論についてはあとにして、仮に科学の視点を認めたとしても実におかしなことになってしまうんです。

 

科学理論の脆弱性

科学の視点では人間は肉体(物質)で出来ている。

これ以上でもこれ以下でもないといいます。

思考とか記憶、感情などはすべて脳でつくり出されているものである。

これは脳が老化に伴い記憶が曖昧になり不正確になることからもほぼ間違いない。

感情の変化も外部からの刺激が脳に伝わり脳がそれに反応した結果と言える。

だから人間が死ぬと脳を含めた肉体の全ての機能が停止するため、記憶や感情などの意識も消失する。

ザックリと言ってしまえばこんな感じでしょうか。笑

一見、この説明は理に叶っているように思えます。

 

エネルギー保存の法則で説明がつくのか?

物理学の有名な法則のひとつに「エネルギー保存の法則」というのがあります。

これは簡単に言えば

物質はその性質が変わってもエネルギーの総和は変化しない

というものです。

ちょっと難しいですか?

ひとつ例を挙げて説明してみますね。

たとえば「紙」について考えてみます。

1枚の紙に火をつけると燃えます。

そして紙は灰になってしまいます。

燃やす前の紙と、燃やしてしまった灰。

このふたつの重さを比べると、灰の方が軽くなっています。

これは紙が燃えることによって一部が灰になり、残りは燃えるときの熱エネルギーなどに変化したからですね。

ですから燃える前の紙と燃えた後の灰を比べると差があるのですが、灰に燃えるときの熱エネルギーなどを合わせるともとの紙と同じになるんです。

これがエネルギー保存の法則です。

物理学では、物質が変化したとしても、変化前後のエネルギーの総和は変わらないと説明します。

この説に異議を唱えるつもりはありません。

しかしながら、これは「物質が持つエネルギー」に関する法則ですから、記憶とか感情という「物質とは言えない」ものについても適用できるのでしょうか?

言い方を変えれば、非物質に対してもこの法則は成り立つのでしょうか?

 

人間は本当に肉体だけの存在なのか?

ここで「意識」について考えましょう。

私たちが生まれてから今まで様々な経験をしてきていますよね?

両親との思い出、友達との思い出、奥様、ご主人様との悲喜こもごも・・・

こうした記憶はそれこそ山ほどありますよね。

また喜怒哀楽といった感情。

これもさまざまな場面で多岐にわたって経験してきているのではないですか?

こうした意識全般については肉体とは違った共通点を持っています。

それは「形を持たない」ということ。

形がない、というと空気とか気体だって特定の形を持たないじゃないか、と言う人もいるかもしれませんが。笑

意識は形だけでなく物質としての質量も持ちません。

言い換えれば「物質ではない」と言えます。

こうした物質ではない=非物質に対し物理学でいうエネルギー保存の法則は当てはめることが出来るのでしょうか?

私は物理学の専門家ではありませんから最新の研究結果ではどうなのかまでは分かりません。

分かりませんが、私の知る限り「あてはまらない」と考えるのが妥当ではないでしょうか。

このため、物理学で何とか説明しようと意識を「脳がつくり出したもの」と定義しているのでは、と思います。

そうすることにより人間を「肉体のみ」の存在として議論できる。

実証主義を是とする科学にはとても都合の良い考え方と言えますね。

 

やっぱり無視できない「意識」の存在

しかし都合の悪いことに、意識はれっきとして存在しています。

形もない、物質でもない意識ですがそれでも全ての人間が持っている。

科学が「意識なんて脳の産物」と言って存在を軽視しようとも、非物質の意識は「存在する」んです。

エネルギー保存の法則に意識を当てはめてみるとどうなるか?

意識は非物質ですからそもそも質量なんてありません。

ですから物理学的に考えれば意識は存在しない、となるわけですが。

エネルギー保存の法則ではエネルギーの総和が変わらないですから意識の存在は無視できますし。

しかし逆の考え方をすれば、物質はその性質を変化させますが非物質は物質ではないため変化しない。

ですからエネルギー保存の法則には従いたくても従いようがないんですね。

無理やり当てはめても変化しないものは何をしてもゼロです。

増えもしないし減りもしない。

ですから意識が肉体の死とともに消えてなくなる、という説明はおかしいということになります。

だから意識が肉体の一部と考えるのは理に叶っていないことになるんです。

では、どう考えるべきなのでしょう?

 

 

「意識」は肉体とは別物としか考えようがない

エネルギー保存の法則から肉体は死とともに別のものへと性質を変えていきます。

肉体はやがて朽ち果て、白骨だけが残ります。

筋肉や贅肉は土へと還っていく。

でも白骨と土に変化したものの総和は生前の肉体と変わらない・・・形が変化しただけなんですね。

しかしながら意識はそもそも形がありませんから、生死に関わらず変化しません。

変化するものと変化しないもの。

つまり肉体と意識はそもそも別物だったんですね。

このように意識が肉体とは別に存在すると考えれば、肉体が朽ち果てたとしても意識は依然としてそこにあることになります。

端的に言ってしまえば、人間は肉体と意識から出来ている。

そう言っても良いと思いませんか?

 

人間の主体は肉体か、意識か

肉体と意識が別物であるならば人間の主体はどちらにあるのでしょう?

人間の主体が肉体にあるならば、人間は肉体が機能している間だけの存在ということになります。

つまり、生まれてから死ぬまで。

人によってこの期間はまちまちですが、長くても80年〜100年といったところでしょう。

この間に人間はさまざまな経験をします。

そして時が流れ、肉体が機能しなくなり死んで行きます。

主体である肉体が無くなりますから科学の主張どおり、意識も一緒に消えてなくなってしまうのでしょう。

では、人間の主体が意識にあるとしたらどうなるでしょう?

意識は物質ではありませんから肉体のように機能停止することはありません。

またエネルギー保存の法則に代表される物理法則の束縛も受けません。

なぜなら物理学は「物質」に関する学問だからですね。

どんなに小さくても、またどんな形をしていても、物質である以上それを数値化できます。

ところが非物質は数値化そのものが不可能です。

数値化できないものは存在しない。

それが物理学の立場ですから、数値化できない意識は(物理学では)存在しないということになります。

でも実際には意識は「ある」わけです。

そこで「脳の創作物」という苦し紛れの説明をするんですね。

意識は脳の創作物なのだから脳が機能停止すれば意識も消える、と。

だったら肉体の死とともに意識も消失することを数値化して説明してほしいものです。

事ほど左様に、科学には自ずと限界があるんです。

意識については科学の範疇の外にあります。

今後の研究で、科学の進歩により意識について解明される日が来るかもしれません。

そんな日が来れば良いと思いますが、それはまだ先の話でしょう。

いま現在、科学で説明出来ないことを無理やり説明しようとすることに何かメリットがあるのでしょうか?

 

で、あの世は存在するのかしないのか?

人間の主体が肉体ならば、死後には何も残らないことになります。

つまり、死後世界なんて存在しない。

でも、人間の主体が意識にあるなら肉体の機能停止、すなわち死後も意識は存続し続けます。

肉体がなくなったとしても意識は依然として存在し続けるとしたら、死後に意識が「行くべきところ」が必要です。

死後に意識が行くべきところ。

それが死後世界、すなわち「あの世」というわけです。

で、あの世は存在するのかしないのか。

それは人間の主体が肉体にあると考えるか意識にあると考えるかによって違ってきます。

でも科学が意識を数値化できず、その存在すら明確に説明出来ない以上、あの世の存在も否定することは出来ません。

 

まとめ

今回はあの世があるのかないのか、その存在について考えてきました。

いま現在の科学ではあの世の存在について合理的な説明は出来ません。

ですから科学の範疇で考えればあの世なんてない、となります。

しかし科学は完璧なものではありません。

科学で説明出来ないことはたくさんあります。

そうした事柄を頭ごなしに否定せず、謙虚な気持ちで受け入れてみては如何でしょう?

そうすることであなたの世界がより大きく拡がるかも?

 

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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