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あの世の世界に行く際に、三途の川を渡るって本当か?

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あの世とこの世の架け橋

この世とあの世のあいだには三途の川が流れていて、この川を渡っていくことで死後の世界、すなわちあの世の世界に行くことが出来る・・・

私たちは小さなころから、両親や祖父母などからこのような話をきいて育ってきました。

でも、これって果たして本当でしょうか?

本当なわけないでしょう(笑)
だいたいあの世なんて迷信だし。
あの世にあるのは無だよ、無!

なんて声が聞こえてきそうですが、実はこの「三途の川」ですが、どうやら本当にあるようなんですね。

今回は、三途の川の存在と、そこを渡っていくことで本当にあの世に行くのかについて、真面目に考えてみたいと思います。

▼関連記事▼
成仏出来ない例はどうなる?知られざる死後世界の真実とは?

 

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あの世の世界には三途の川を渡っていくのか?

まず、三途の川なんて迷信だ、そんなの無い、という否定論者の論拠から考えていきたいと思います。

 

否定論者の論拠

彼らが否定する理由は、

・死に瀕して三途の川を見るのは日本人だけ
・欧米では暗闇やトンネルを抜けていく
・日本人でも、見る川の大きさがまちまち

など、臨死体験談に一貫性が無いことを挙げています。

本当に存在するなら、人によって見るものが違うというのはおかしいではないか?

これは至極まっとうな理屈だと思います。

思いますが、これらの意見はあるひとつの根本的な事柄を見落としています。

それは、人間の見るものは「あてにならない」ということです。

え、それ言っちゃう?
それ言っちゃったら身も蓋もないでしょう・・・

でも、ここをしっかりと理解しておかない限り、この議論は決して解決を見ることはありません。

では、どういうことかを説明していきますね。

 

人間の見るものは当てにならない?

人間は何かを見たときに、それをどうやって認識すると思いますか?

たとえばレモンを見たとき、誰もがそれが「レモン」だと分かりますよね。

でもそれは、今まで生きてきたどこかで、黄色くてゴツゴツしたものが「レモンという果物で食べるとものすごく酸っぱい」と、教わったから分かるんです。

では、生まれてこのかた、一度もレモンを見たことも聞いたこともない、つまりレモンについての情報を全く持たない人の目の前にレモンが出されたとしたら、その人はそれがレモンだと分かるでしょうか?

分からないんです。

見たことも聞いたことも無いんだから、分からないのは当たり前ですよね。

じゃあその人は、レモンを見てどう思うと思いますか?

何これ?
黄色くて小さなラグビーのボールみたいな形してるけど・・・

とか思うんじゃないですか?

でも、この人がラグビーのボールがどのような形をしているか知らなかったら、このようには思いませんよね?

 

見ているものの正体

お分かりでしょうか?

人間が何かを見たとき、自分の過去の経験や記憶をひもといて理解しようとするんです。

ですから、過去にレモンを知っていればそれがレモンだと一瞬で分かりますし、レモンを知らなければ、ラグビーボールとか、自分の持つ記憶や経験から「それに近いものを持ってきて」当てはめようとします。

ですから、自分がこれまでに見たことも聞いたこともないものが目の前に現れたときに、それが自分の知っているものに置き換えられない(自分の知っている何ものにも似ていない)場合には、それは「見えない」んです。

実はこれがUFOを見ることが出来ない理由のひとつだとも言われているんですね。

このへんについては以下の記事で詳しく説明していますから、興味のある方は併せてお読み下さい。

▼関連記事▼
UFOが見える人と見えない人。いったい何が違うのか?

さて、話をもとに戻しましょう。

 

 

三途の川って、どんな形?

ここであなたに質問です。

三途の川はどんな形をしているか、知っていますか?

・・・って、すいません、知ってるはずがありませんよね。

あなたが臨死体験者でもない限り、三途の川を見たことは無いですからね。

誰も見たことのない三途の川がどんなか、それを教えてくれる人は恐らくいないでしょう。

ということは、あなたが死に瀕して三途の川を見たとき、それが三途の川だって分かりますか?

分かりませんよね?

 

見たことのないものは、どう見える?

見たことの無いものを目のあたりにしたとき、人は自分の過去の経験というフィルターを通して理解しようとします。

このため、同じものを見ていても人によって違って理解されるわけですね。

ですから、三途の川を見たときに、日本人の多くが「死んだら三途の川を渡ってあの世に行くんだよ」と教えられてきているために、この世とあの世を隔てる「なにか」を「三途の川」だと理解するというのはとても自然なことだと思いませんか?

当然のとこながら、欧米では三途の川という概念はありませんから、それが三途の川だと認識する人はほとんどいません。

いませんが、大きな川を見た、とか、向こう岸とこちら側のあいだには深い谷間があった、などという人は数多くいるんです。

また、暗いトンネルを抜けていった先に別世界があって・・・みたいな体験も多いです。

つまり、洋の東西を問わず、この世とあの世を隔てる「なにか」があることは、どうやら確かなようです。

そう簡単に越えることの出来ない「なにか」があり、これを越えていくことであの世に行くということ、理解のしかたは違えどこれは共通の認識といっていいでしょう。

それを日本では「三途の川を越えていく」という表現をしているんですね。

 

まとめ

今回は、死ぬと本当に三途の川を渡るのか、について考えてきました。

見え方、感じ方、理解のしかたは世界中で違いはありますが、私たちが生きている「こちら側の世界」と死んでから行くであろう「あちら側の世界」を隔てる「なにか」があって、日本ではそれを三途の川、と表現しているんですね。

そういう意味では、三途の川は「ある」んです。

 

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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