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臨死体験は単なる幻覚という科学的解説が信じられない理由とは?

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臨死体験が幻覚なんて嘘

臨死体験。

事故や病気で死の間際まで行ったが奇跡的に生還した人が垣間見た世界。

そうした人たちの中には「三途の川を見た」「綺麗な花畑が広がっているのを見た」などという体験が少なからず存在します。こうした体験を総称して「臨死体験」といいます。

臨死体験は死後の世界を垣間見たのでしょうか?

そう信じる人も数多くいますが、「臨死体験は単なる幻覚だ」という人もいます。そして臨死体験幻覚説は科学的に説明できるとする人もたくさんいます。

しかし私には、臨死体験が幻覚だとする科学的説明を素直に受け入れることができません。

今回は、なぜ臨死体験が幻覚だとする説明が信じられないかについて書こうと思います。

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臨死体験を取り巻く2つの見解

臨死体験とはどのような体験なのでしょうか?

まず最初に臨死体験がどのようなものなのかを明確にしておきたいと思います。

死の淵まで行きながら幸運にも生還した人たちの一部は「似たような」体験をしています。

長いトンネルのような通路を抜けるとそこは明るい光に満たされていて、美しい花や木が生い茂った草原のようなところだといいます。そしてそこには亡くなった家族や友人、ペットなどが待っていた、という声も多く聞かれます。

生死を彷徨い、死後の世界に足を踏み入れる寸前で垣間見たこの風景はきっと死後の世界に違いない——そう信じる人はたくさんいます。

そして臨死体験で見た世界は「意識」が肉体から遊離して見てきた死後世界であり、これこそが「あの世」が存在する証拠だ、と主張する人もいます。

こうした主張に対し、科学者たちは「すべてが説明できる」と主張します。

科学が説明する臨死体験とは

生死の境を彷徨うほどの状況のとき、人の身体にはさまざまな変化が起きるといいます。

まず、死に瀕した際、苦しみや痛みを軽減させるため体内ではエンドルフィンという物質が大量に放出され、これにより痛みが和らぎ喜びの感覚が増幅されるのだそうです。これが臨死体験を引き起こすと主張する科学者もいます。

また死に瀕して人間はジメチルトリプタミン(DMT)という幻覚剤に似た物質を放出していると主張する科学者もいます。DMTの効果で幻覚が起こり、それが臨死体験として認識されると。

別の科学者は脳の酸素欠乏によって幻覚が生じる、と主張します。

これ以外にもさまざまな研究が成されているようですが、どれも「臨死体験は単なる幻覚であり、死後世界を垣間見たわけではない」という点で一致しています。

さらに、臨死体験の際に死んだ家族や友人が現れる点については、過去の記憶の一部が出てきて幻覚と相まってひとつのストーリーを脳内で創り出しているのだと主張します。そしてこうした現象は、人が死に瀕していなくてもDMTを投与することで再現が可能だといいます。

科学的説明への疑問

こうした一連の「科学的説明」を聞くと、なるほどと思ってしまいがちです。

しかしこれらには、どうしても納得できない部分があります。

健常者にDMTを投与して臨死体験と似た幻覚が起きたからといって、死に瀕した人が垣間見た世界と同じだとは言えないのではないでしょうか。

はっきりと言えるのは「幻覚を見たときに臨死体験とよく似た体験ができる」ということだけです。

このことが「臨死体験が単なる幻覚だ」と証明したことにはなっていません。

スピリチュアルな視点

これらに対し、臨死体験は断じて死後世界を垣間見てきたものだ、と主張して譲らない人たちもいます。

彼らは「人間は肉体と意識からなる」と主張します。人が死ぬとき、一体化していた肉体と意識が分離し意識は自由になる。意識は物質ではないため時空の束縛を受けませんから、どこにでも行けてしまう。臨死体験とは人が死に瀕し、意識が肉体から遊離し死後世界を垣間見てきたものだ——という考え方です。

この「肉体と意識は別物」という考え方は、私には非常に合理的に感じられます。この考えを認めるなら、幽体離脱(体外離脱)も説明できますし、遠隔透視などの現象についても説明が可能となります。

実際、私自身もヘミシンクのセッションを通じて、意識が肉体から切り離されたような感覚を何度も経験しています。フォーカス21の体験で橋や川を知覚したり、セッション中に自分の身体の感覚がすっと遠のいていく感覚を覚えたりした体験から、「意識は肉体とは独立して存在できるのかもしれない」という感覚を持つようになりました。

もちろん、それが絶対的な証拠にはなりません。ただ、「意識が肉体を離れることはあり得る」という感覚は、私の中では体験として積み重なっています。

ただし、スピリチュアルな視点の唯一最大の難点は、この説を「証明することができない」ことです。

死については科学も含めまだ分からないことだらけの分野ですから、臨死体験についても本当にあるのか、ただの幻覚かについても結論は出ていません。


科学的説明に納得できないのはここ

死に瀕し痛みや苦しみを和らげようとさまざまな物質が分泌され、それによって幻覚を見ている可能性自体は否定しません。

しかし、だからといってそれが死後世界を垣間見ていることを否定する根拠にはなりません。

なぜ死んだ家族や友人が出てくるのか

臨死体験の中で、死んだ家族や友人が出迎えてくれるというのは、共通した体験として多くの人が語っています。

これを幻覚だというひと言で片付けるのはあまりにも乱暴ではないでしょうか。

幻覚として過去の記憶の一部が出てきたといいますが、過去の記憶なら死んだ人でなくてもいいはずです。なぜ死んだ人だけ出てくるのでしょうか。

臨死体験はもしかすると幻覚とよく似ているのかもしれませんが、似ているからといって「だから臨死体験は幻覚だ」という結論には、どうしても納得できないのです。

また、こうした幻覚で説明できないような体験も数多く報告されています。

遠隔透視したような体験

ここまで紹介してきたような、多くの人の共通した体験ばかりではなく、臨死体験中にとても興味深い体験をしている人もいます。

たとえば、昏睡状態の最中に意識が肉体を抜け出して病院の外に出て行き、建物の隙間に挟まっている運動靴を見た——本人はその建物の隙間には行ったことがなく、そこに運動靴が挟まっていることを事前に知るよしもなかった、という事例があります。

これは幻覚ではまったく説明がつきません。

また、昏睡状態の最中に見た女性が、快復後だいぶ経ってから存在すら知らなかった自分の親戚の女性の顔だったという体験も報告されています。これも事前に知るよしもないことであり、幻覚で自分の過去の記憶の一部が出てきたという説明には無理があります。

このように科学的に説明のつかない臨死体験も数多くあるわけで、そうした事象に関しても納得のいく説明を聞かせてほしいというのが、私の正直な気持ちです。


まとめ

臨死体験について考えてきました。

臨死体験が単なる幻覚だとする科学的説明は、やはり私には納得できません。

もちろん、スピリチュアルな視点が絶対に正しいと言うつもりもありません。なぜならどちらも確たる証拠をもって納得のいく説明ができていないからです。

ただ、私にはスピリチュアルな視点の方がしっくりくるのは事実です。

本当に死後の世界があることを100%証明するためには、死んで死後世界の存在を確かめた上で戻ってくるしか方法はありません。しかしながら、そんなことは現実的にできないことです。

臨死体験は本当に死後世界を垣間見た体験なのか、それとも幻覚なのか。

あなたにはどちらの説明が納得いきますか?

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免責事項

本記事は筆者自身の体験や、一般的に知られている情報・スピリチュアルな視点をもとに構成されています。
記事内でご紹介している内容は、特定の宗教や思想を強制するものではなく、読者の皆さまがご自身の感性と照らし合わせながら自由に受け取っていただくことを意図しています。
あくまで「こうした見方もある」という一つの視点としてお読みください。


筆者プロフィール

Hiro(アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナー)
2008年よりヘミシンクを本格的に探究し、意識の拡張や内的成長をテーマに継続的に実践。
アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナーとして、これまでに延べ1,000名以上の参加者にプログラムを提供・ガイドしてきた実績を持つ。
現在は、スピリチュアルや意識の世界を探究するブログを複数運営中。
専門知識と体験に基づいた、初心者にもやさしい情報発信をモットーに、誰もが自分の内なる声とつながるきっかけづくりをサポートしている。

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