あの世についてはこれまでにも様々な議論が戦わされてきました。
そしてあの世があるのかないのか、未だに決着はついていない状況です。
当サイトの他の記事をお読みいただいている方はご存知かと思いますが、私はあの世については「存在する」という立場をとっています。
だって、臨死体験をした人の話を聞くとあの世を垣間見てきたようなエピソードがたくさんあるじゃないですか。
反面、臨死体験で見る世界が本当にあの世なのか定かではないという意見も多々あります。
そこで今回は臨死体験で見る世界はあの世と同じものなのかについて考えてみたいと思います。
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臨死体験で見る世界は死後世界といえるのか
まず最も議論となるのが、臨死体験が本当に「死後世界」を垣間見たのかという点でしょう。
脳の働きに関する近年の研究では臨死体験は「脳が創り出した幻覚の一種」とされています。
この論拠について簡単に見ていきたいと思います。
まず、確固たる事実として「心肺停止した後に快復した人のうち臨死体験をしたと語った人は18%もいた」と言うこと。
そして彼らの体験は「不気味なほど」に似通っているということが挙げられます。
代表的な共通点として、
・幽体離脱体験
・先立った人との邂逅
・トンネルのような通路を通り抜ける体験
・とても穏やかな気分
・遠くに強烈な光を見る
などが挙げられます。
臨死体験者はこれらの体験そのものがまさに「あの世を垣間見てきた」証拠であると信じて疑いません。
そしてこの体験により人間が肉体だけでなく意識が独立して存在する(だから死後の意識も在る)と主張します。
臨死体験に関する科学の見解
これに対し、脳科学の研究者は必ずしも納得していません。
例えば、臨死体験者たちがみな揃いも揃って似たような体験をすること、そして臨死体験者の約5人に1人は何らかの臨死体験をしていることから、臨死体験は幻覚に似た脳の働きによるものではないか、と主張します。
これは強力な幻覚剤として知られるDMTを投与することにより様々な幻覚を引き起こします。
そしてこの幻覚として見る内容が臨死体験ととてもよく似ているといわれます。
研究を行ったインペリアル・カレッジ・オブ・ロンドン(ICL)の研究チームによれば、DMTを投与した被験者の多くが見た幻覚は実際の臨死体験と著しい一致が見られたとのことです。
この研究を主導したICLハリス教授は、臨死体験が
「脳の働きに重大な変化が生じることによるもので、脳以外の何かのせいではない」
と主張しています。
つまり、臨死体験は死後世界を垣間見たのではなく、幻覚剤投与による場合と同様に脳が創り出した単なる幻覚に過ぎない、と言いたいのでしょう。
この主張は一見、理に叶っているように思えます。
臨死体験は本当に脳が創り出した単なる「幻覚」なのか?
しかしこの主張は次のように言っているに過ぎません。
「臨死体験なんて死ななくても出来るし幻覚剤を使えば同じような体験が出来ちゃう」
これってよく考えてみれば、臨死体験と似た体験を創り出すことが出来ると言っているだけなんですよね。
つまりこのこと自体臨死体験が死後世界を垣間見たということを否定出来るのもではないんです。
前出のハリス教授の言っている「臨死体験なんて脳が創り出したものでしょう」という主張は「臨死体験=死後世界を垣間見た」を否定出来ていないということです。
臨死体験は100%脳が創り出した幻覚である、だから実際に死後世界を見てきたものではない、その証拠に幻覚剤の投与で似たような体験が出来てしまうではないか。
やはり死後世界なんて無いんだ。
と言うことなんでしょうが、この主張には重大な欠陥があります。
臨死体験が「脳の創り出した幻覚」であるとして、その幻覚が死後世界を垣間見たものでないとどうやって証明するのでしょうか?
脳はなぜそのような幻覚を創り出したのでしょうか?
お分かりですよね?
臨死体験が死後世界を垣間見てきたものであるという主張を証明できないのと同様に、臨死体験が死後世界を垣間見てきたものではないという主張もいっさい証明できないんです。
だって、脳が勝手に創り出した幻覚なら、それは単なる幻覚であって死後世界とは無関係でしょう、とお思いですか?
では聞きますが、脳はなぜそんな幻覚を見せたのでしょうか?
それも臨死体験者たちは多くの部分で共通した「世界」を見ているんです。
勝手な幻覚ならばそれぞれの臨死体験者は好き勝手な「世界」を見るんじゃないでしょうか?
つまり、幻覚剤DMT投与によってもたらされる幻覚と臨死体験による知覚とが似ていることは、死後世界の存在の否定にはなっていません。
でも、ここでひとつの疑問が出てきます。
「臨死体験でみる世界と幻覚剤DMT投与で見る世界はいったい何なのか?」
という疑問が。
幻覚って、いったい何なんだろう?
ここでひとつの仮説を立ててみたいと思います。それは、
「臨死体験は実際に死後世界を垣間見ている」
というものです。
今までの議論とは真逆ですね。
臨死体験者たちは確かに「死後の世界を垣間見てきている」との視点に立ってみるんです。
つまり「死後世界すなわちあの世は存在する」という前提で考えると言うことです。
臨死状態の時、肉体はまさに機能停止寸前ですが意識は肉体を離れてこれから向かうべき「あの世」を垣間見ている・・・
この仮説は「意識は脳が創り出したものではなく肉体とは独立した存在である」と考えれば納得のいく話ですね。
これまでの科学で考えられてきた「意識は脳が創り出したもの」という「常識」を真っ向から否定する考え方です。笑
しかしこのように考えると、先ほどの議論の辻褄が合わなくなってきます。
それは「幻覚剤DMTの投与でも臨死体験と酷似した幻覚を見る」というものです。
臨死体験が死後世界を垣間見ているものなら、DMTによる幻覚はいったい何なのか?
薬物による幻覚は死後世界とは無関係だから、だとすれば臨死体験も怪しくなってくる・・・
いったい何が正しくて何が間違っているのか・・・
大胆なパラダイムシフト
臨死体験は脳が勝手に創り出した単なる幻覚なのか、それとも実際に死後世界を垣間見たのか。
この相反するふたつの結論は視点が異なっています。
ひとつは科学の視点、そしてもうひとつはスピリチュアルの視点です。
ここでこのふたつを明確に区別しておきましょう。
科学の視点の論拠
まず科学の視点の重要なポイントは、人間は「肉体のみ」である、と考える点です。
このため、臨死体験もDMT投与による幻覚もいずれも脳が何らかの作用によって「よく似た世界」を体験させるというものです。
脳が創り出したイメージですから、臨死体験も結局のところ単なる幻覚ということになるんです。
この前提(人間は肉体のみである)で考えるから、臨死体験で見た世界とよく似たイメージをなんとかして「創り出せないか」というアプローチになるんですね。
臨死体験が幻覚なら、幻覚剤で似たような体験が可能なのでは?
そしてさまざまな実験の結果、DMTという幻覚剤を投与することにより臨死体験とよく似た体験が可能であることが分かるわけです。
だから臨死体験も「脳が創り出した幻覚」であり、死後世界を垣間見たわけではない、死後世界なんて存在しないという結論に至るわけですね。
実はこれが科学のアプローチの特徴で、ある現象に対し仮説を立て実験などにより検証していく、そしてさまざまな検証を繰り返した結果ある現象を再現できた場合、その仮説は正しいとされるわけです。
今回のICLによる研究結果が言及できるのは「DMTという幻覚剤が臨死体験ととてもよく似た幻覚を引き起こす」ということ「だけ」です。
この研究結果から「臨死体験なんてただの幻覚」と結論づけるものではないんです。
ここのところ、くれぐれも誤解のなきように。
ちゃんとした科学者はそのことが分かっていますから、臨死体験が幻覚だなんて断言することは絶対にしません。
彼らは「臨死体験なんて科学的にほぼ再現できる」とは言うでしょうが、だから臨死体験なんて・・・とは言わないんです。
人間が肉体だけの存在であるならば、その肉体の一部である脳が臨死体験とよく似た体験を作り出せるのだから「臨死体験は脳が創り出した幻覚の一種」である可能性が高い。
これが科学の視座といえましょう。
スピリチュアルの視点
これに対しスピリチュアルではまったく違った考え方をします。
科学では人間とは「肉体のみ」の存在であるという視点に立ってすべてを論じていますが、スピリチュアルでは人間は「肉体だけの存在ではない」という立場をとります。
人間とは「肉体+意識」である、これがスピリチュアルの考え方です。
意識は肉体の一部である脳が創り出すものではなく、肉体とは独立して存在している。
肉体は幽玄の存在だが意識は無限の存在なので、肉体のようになくなってしまうことがない。
こういう考え方をしますから、当然のことながら科学とは全く違った結論に至るわけです。
意識は肉体から独立して存在するため、人間が死ぬと意識は消えてなくなるのではなく肉体から離れて別の「世界」に移行する。
つまり私たちが「死」と認識しているのは「肉体の機能停止」のことで、意識は機能停止した肉体から離れて物質のない世界、非物質世界に移行する。
こう考えてはじめて、死後世界や生まれ変わり、前世記憶などの現象も説明がつくんです。
人間が肉体のみの存在と考える科学では、死後世界も存在しませんし生まれ変わりなんて寝言の類いと冷笑され、前世の記憶に至っては妄想扱いです・・・
単に科学で説明出来ないだけなのにね(笑)
臨死体験に関しても、スピリチュアルでは「人間が死に瀕して意識が肉体から遊離し死後世界を垣間見てきた」と考えます。
まさに臨死体験は死後世界の入り口を見てきた、と。
ここで科学信者から次のような罵声が聞こえてきそうです。
「じゃあ幻覚剤による幻覚が臨死体験とそっくりなのはどう説明するのさ?」
はい、そう来ると思っていましたよ。笑
スピリチュアルでは、人間は「肉体+意識」と考えると説明しました。
意識はなにも死に瀕したときだけ肉体から遊離するわけではないんです。
その証拠に心肺停止を伴うような状況で起きる臨死体験でなくても、体外離脱(幽体離脱)は普通に寝ているときなんかに起きますよね、あれだって意識が肉体から離れて肉体のいる場所以外の出来事を体験する現象ですから。
つまり、幻覚剤の投与によって意図的に意識が肉体から遊離した、と考えることだって出来るということです。
ゆえに臨死体験の時と同じような体験をした、とも考えられます。
このように考えれば、臨死体験のみならず体外離脱(幽体離脱)なども説明出来てしまいます。
科学では「幻覚だ」「気のせいだ」「勘違いだ」と言って臨死体験が説明出来ないことをはぐらかしますが、スピリチュアルな視点で考えれば綺麗に説明出来てしまう。
それなのになぜスピリチュアルの視点を受け入れようとしない人が多数いるのか、理解に苦しみます。
そろそろこのへんで、科学至上主義的な考えから脱却しませんか?
大胆なパラダイムシフト(発想の転換)が必要なときですよ?
で、臨死体験で見る世界は死後世界なのか?
ここまでの議論で、臨死体験についてはスピリチュアルな視点に分があるようです。
臨死体験者たちが垣間見てきた世界はどうやら「意識が肉体から離れて見てきた世界」と言えそうです。
少なくとも、幻想なんかではなさそうです。
では、臨死体験者たちが見てきた世界は本当に「死後世界」なんでしょうか?
最後にこの点について考えてみたいと思います。
ヘミシンク体験と照らし合わせてみると分かること
私はモンロー研究所公認のヘミシンク・トレーナーですから、多くのセミナーで参加者さんたちの体験のお手伝いをしてきています。
加えて私自身も実際にヘミシンクを聴くことでさまざまな体験をしてきています。
ヘミシンクとは、特殊な音響技術を用いて意識を意図的に特定の状態に誘導する技術です。
特定の状態とは「変性意識状態」のことで、簡単に言えば「普通じゃない意識状態」のことです。
そして変性意識には「死後の意識」も含まれるんです。
ヘミシンクを用いれば、ヘッドホンで音(ヘミシンク音)を聴くだけでこうした特殊な意識状態へと誘導してくれます。
ですから心肺停止とか危険な目に遭うことなく死後世界を垣間見てくることが出来ます。
ヘミシンクについての詳細は以下の記事をご参照くださいね。
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ヘミシンクについて、その真実の姿を専門家が余すことなく説明します
臨死体験の内容をここでもう一度整理してみます。
・幽体離脱体験
・先立った人との邂逅
・トンネルのような通路を通り抜ける体験
・とても穏やかな気分
・遠くに強烈な光を見る
でしたね?
これらの体験に相当する状態にヘミシンクを使って意識を誘導しようとすると、フォーカス21と呼ばれる状態になると思います。
フォーカス21とは「あの世とこの世の境界領域」です。
そこにはあの世とこの世を分ける大きな隔たりがあります。
この隔たりを「大きな川」「深い谷間」などと知覚する人が多くいます。
この隔たりを超えた向こう側がいわゆる「あの世」で、そこには「橋」がかかっていると知覚する人が多くいます。
日本人の感覚では「三途の川」に近いイメージかもしれませんが、欧米人も川と橋を知覚します。
ヘミシンクではこの隔たりのこちら側もあちら側も自由に探索することが出来ますので、この領域で先立った人と会ったり話をしたりする体験をする人も多くいます。
そしてフォーカス21のイメージは「白い」とか「明るい」と知覚する人が多いです。
フォーカス21で先立った人に会う体験をした人は、多くがとても温かい幸せな気分になったといっています。
どうでしょう、臨死体験と似ていると思いませんか?
臨死体験にしてもヘミシンクによる体験にしても、科学で検証するのが困難なため、これだけで何かを断言することはもちろん出来ません。
出来ませんが、臨死体験で見る世界とヘミシンクのフォーカス21(あの世とこの世の境界)で見る世界がとてもよく似ていることは確かですね。
臨死体験は死後世界体験ではない?
ヘミシンクを用いることで境界領域のさらにその先、すなわち死後世界探索も出来ます。
そして死後世界を探索した結果と臨死体験とを比較すると、これがかなりの部分で異なっているんです。
死後世界の体験内容につきましては以下の記事を併せてお読みくださいね。
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ヘミシンクのフォーカス27では桁違いにさまざまな体験が出来る!
ということは、臨死体験は「死後世界を見ているのではない」といえそうです。
つまり、あの世とこの世の境界領域付近までは行けていて体験できてはいるようですが、完全に死んだ後で行く世界までは見てきていないと考えられます。
そういう意味では、臨死体験で垣間見る世界は死後世界の本の入り口だけ、です。
臨死体験は「あの世がある証拠」と言えるのか?
あの世とこの世の境界領域だけを見てきたのが臨死体験だとしても、この世の向こう側になにがしかの世界が存在することを垣間見たことはとても重要です。
科学の言うように、人間は肉体だけの存在で「死ねばすべてが消失し無に帰す」というわけではなさそうだ、と言う意味ではこれはれっきとした「あの世がある証拠」といえるかもしれません。
少なくとも私はあの世の存在を信じて疑いません。
ただし現段階では万人を納得させる確証を示すことは出来ません。。。
さて、あなたはどう思いますか?
まとめ
ここまで長々と説明してきましたが、臨死体験そのものがあの世の入り口を垣間見てきたものであることは間違いなさそうです。
ただしこの結論は科学の結論とは全くといって良いほど相容れないものです。
あなたに科学を信じるなとかスピリチュアルを信じなさいとか、そういうことを言うつもりは毛頭ありません。
どちらを信じるにせよ信じないにせよ、あなた自身が答えを出せば良いことです。
誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、あなた自身で確かめてあなた自身の答えを見つけてくださいね。
ということで今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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