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成仏できるとかできないとか、あまり気にしなくてもいい理由とは?

この記事を読むのに必要な時間は約 10 分です。

成仏できるとかできないとか

成仏。

残された家族にとって、故人が無事成仏できることを心より願うことでしょう。

誰もが故人に成仏を願うのはなぜなんでしょうか?

今回は、この「成仏」について、通常とは異なる視点で考えてみたいと思います。

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成仏について、宗教抜きに考えてみる

まず、成仏とはどういう意味でしょうか?

ご存じの通り、成仏とは「仏教用語」です。

成仏について、意味を辞書で調べてみると、

成仏
・煩悩を捨てて無上の悟りを開くこと。仏となること。
・死者が迷うことなく浄土に生まれること。また、一般に死ぬこと。
出典:明鏡国語辞典(大修館書店)

とあります。

日本の大多数は仏教徒であり、ゆえに日本人の死生観も仏教思想がベースになっていると言えます。

多くの日本人が成仏を気にするのは、上記の2つめの意味によるものでしょう。

つまり、死者が「迷うことなく」浄土に生まれる・・・逆に言えば、迷ってしまうと浄土に行けないということになる。

だから無事に「成仏」してほしい、となるわけですね。

ちょっとここで、死について仏教的な視点ではなく、というかあらゆる宗教色を排除した視点で考えてみたいと思います。

ただし、科学の視点に立つと「死は肉体の機能停止」であり「無に帰す」こと、となってしまい、故人というものも存在しないことになってしまいここでの議論が成り立ちません(笑)

宗教色を排除し、かつ故人が存在する視点・・・

ここでは以下の前提で考えていきたいと思います。

・人間は肉体と意識から成り立っている
・肉体は有限であり数十年で機能停止する(死ぬ)
・意識は肉体が機能停止しても存在し続ける
・肉体の死後、意識は肉体から離れ「非物質世界」に移行する

このように考えると、宗教、特に仏教で考えている死生観とは異なった世界が垣間見えてきます。

宗教で使う用語と区別するために、以下のように用語を定義します。

まず、魂とか霊といわれているものは「意識」、浄土とか天国といわれているものは「非物質世界」もしくは「死後世界」と表現します。

そして成仏は「非物質世界」もしくは「死後世界」に移行すると表現します。

人は死ぬとどうなるのか

さて、用語は定義しましたので、ここから「人が死ぬとどうなるのか」を考えていきたいと思います。

肉体から意識が離れる

通常、人が死ぬとは科学が定義しているとおり「肉体の機能停止」のことです。

肉体は有限で、通常は数十年、長くても百年そこそこで機能しなくなります。

生きている間は、肉体と意識は一体化しているためこのふたつが「別物」であることを実感する機会はほとんどありません(たまに起こる体外離脱などで、意識が肉体とは別に存在することを知ることはありますが・・・)

ところが、肉体が機能停止すると、意識は肉体と一緒にいる必要がなくなるため肉体から離れます。

いわゆる体外離脱と同じようなことが起きるわけですが、肉体は完全に機能停止しているため、いまの「あなた」としてそれを知覚することはないでしょう。

ここで、自分という「人格」が消えてしまうため、生まれ変わりは無いと主張する人もいますが、肉体個々が持つ人格という意味では肉体の機能停止とともに消失するのは事実です。

しかし人間の「本質」は肉体ではなく「意識」にあると考えれば、あなたという存在は複数の肉体(すなわち個々の人格)を渡り歩くということになります。

そう考えれば、生まれ変わりを否定する理由はまったくありませんよね。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、肉体が朽ち果てても意識は朽ち果てることはないのです。

肉体から離れた意識は、死後世界(非物質世界)に移行します。

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死後世界とはどのようなところか

さて、死後世界はどのような世界なんでしょうか?

端的にいって「肉体のない世界」もっというと「物質のない世界」です。

機能停止した肉体から離れた「意識」は、そもそも物質ではありませんから、物質が存在するために必要不可欠な物理法則にはいっさい束縛されません。

物質は「個」として存在するために、自分以外のものから分離しています。

これにより、物質個々の特徴が現れるわけですが、「個」であるが故に自分以外のものと交わることが出来ません。

石は石であり、木は木であり、犬は犬であり、人間は人間です。混ざり合うことはありません。

また、山田さんは佐藤さんではないし、藤枝さんでもありません(笑)

同じ人間でも個々に交わり合うことはあり得ません。

もっと言えば、あなた自身でも、昨日のあなたと今日のあなたは別物です。ひとつになることはないんですね。

でも、昨日の自分も今の自分も「自分」ですけど・・・

それは肉体ではなく「意識」がそう認識しているに過ぎません。肉体はいまこの「瞬間」しか認識できないんです。

死後世界には「物質」が存在しません。

物質が存在しないため「個」という概念もありませんから、昨日の自分も今日の自分も、5年前の自分も、さらに自分が生まれる前に別の人間だった「自分」もすべて混ざり合っています。

もっと言えば、あなたとか私とかの「区別」もない、あらゆるものが混ざり合った世界が死後世界なんですね。

肉体が機能停止すると、意識はこういう世界に移行するわけです。

死後世界では「あなた」というアイデンティティーはどうなるか

すべてが混ざり合ってひとつになった世界。

それが非物質世界である死後世界の正体でしたが、ではいまのあなたが「あなた」と認識しているものはどうなるのでしょうか?

人間の本質は肉体ではなく意識の方である、ということを先ほどお話ししましたが、あなた自身のアイデンティティーと言うべきものは、通常は肉体ごとに存在するものと考えられます。

ですから、肉体から離れるとその肉体で生きていたときのアイデンティティーは薄れていきます。

そして最終的には「本来のあなた」である「意識」のみとなります。

その状態になって過ごす世界が本来の「死後世界」なんですが、何らかの理由で死後世界にスムーズに移行できないことがあります。

たとえば、自分が死んだ(肉体を失った)ことに気付かない場合や、生前の物質世界に必要以上に強い執着がある場合などは、意識が「物質世界に向いて」しまっているため、死後世界に注意が向きにくくなって、結果として中途半端な世界に「囚われて」しまいます。

このへんの詳細については、以下の記事で説明していますので併せてお読みください。

▼関連記事▼
成仏出来ない霊はどうなる?知られざる死後世界の真実とは?

この「囚われ」の状態のことを仏教では「成仏できない」というのでしょう。

ならず者が横行するのは死後世界ではない

さて、ここで苦言を呈したいと思います。

肉体を離れた意識が、本来行くべきところに行けずに「囚われ」てしまうことは確かに起こります(いわゆる「成仏できない」状態のことですね)

そうなる理由は上記で説明したとおり「死んだことに気付かない」場合と「この世に強い執着を持って死んだ」場合の2つだけです。

ところが、死後世界がどうなっているかが明確になっていないがために、多くの宗教やスピリチュアリストたちがさまざまなことを言います。

そしてその中にはそれを「食いもの」にしているならず者が数多く存在するんです。

たとえば、亡くなったお父様が成仏出来ていないのでこの壺を買って毎日祈りを捧げなさい、などと言って高額の壺を売りつけるとか、高額のお布施を要求されたり・・・

騙されてはいけません。

高額のお布施をしたり何百万円もする壺を買っても、なにも変わりません。

変わるとすれば、あなたの大事なお金が減ってしまうくらいです。

そういう「ならず者」にはくれぐれもご注意くださいね。

何度も言いますが、肉体を離れた意識が本来行くべきところに行けずに囚われてしまう理由はたったのふたつだけです。

仮に囚われてしまっていたとしても、誰かに頼んで「解き放って」もらうまでもありません。あなた自身で簡単に「囚われた意識を解放してやる」ことが出来るのですから。

その方法については、別の記事で紹介したいと思いますので楽しみにしていてくださいね!

まとめ

今回は、肉体を離れた意識についてと、死後世界について説明しました。

多くの場合、肉体を離れた意識は放っておいてもちゃんと死後世界の「本来行くべきところ」に行くものです。

仮にスムーズに行き着けなくても、そうした意識を救出する方法もありますし、他人に頼まなくてもあなた自身で救出することも出来ます。

ですから、成仏できるとかできないとか、あまり気にすることはないんです。

本来、騒ぐようなことじゃないんです。

それよりも、私たちは今現在の「生」を思いきり謳歌することに集中すればいいんです。

どんなに偉い人でも、いずれは死んで肉体から離れるときが来ます。

そのときまでは、与えられた人生を存分に楽しむとしましょう。

 

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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