あなたは自分がもうじき死んでしまうのではないか、という思いに囚われたことはありませんか?
あるいはそんなことを言っている友人や知人がいたりしませんか?
人は自分が死ぬ前に死期が近いことを何らかの形で知るようです。
これは不治の病などで自分の死期が迫っているとこを知った人はもちろん、病気などの自覚症状が全くない健康体の人が突発的な事故で命を落とすような場合も含みます。
もちろん「あ、俺もうじき死ぬかも」と死期を意識することもありますが無意識に自分の死期を悟るような場合もあります。
しかしなぜ私たちは自分の死期を事前に知ることが出来るのでしょうか?
実はスピリチュアルな視点で考えると「たったひとつの理由」が見えてくるんです。
今回はこの「死期が近い人の特徴」をスピリチュアルに解き明かしていきたいと思います。
死期が近い人に現れる特徴・サイン・兆候とは
まず一般的に言われている「死期が近い人」に現れる特徴について、代表的なものをいくつか挙げてみますね。
身辺整理をはじめる
普段はよほどのことがない限り掃除や片付けなんてしない人が、突然多くの持ち物を処分したり複数あった銀行口座をひとつにまとめたりと身辺整理を始めます。
これはいつ自分が死んでも良いように、言い換えれば自分の死期が近いことを悟ったための行動だと言われています。
懐かしい人にどうしても会いたくなる
もう何年も、下手をすれば何十年も会っていない懐かしい友人知人にどうしても会いたいと思い始めます。
特に理由があるわけでもなく「いや、なぜかあなたのことを急に思い出して懐かしくなっちゃって・・・」なんていう理由で会いに行ったり電話したりします。
普段は言わないことを言う
今までは滅多なことがない限り言わないようなことを急に言います。
たとえば「いつもありがとう」とか「君の作ってくれるご飯は本当に美味しいよ」など、今まではそう思っていても口に出すような人じゃなかったはずなのに、突然感謝の言葉とかを言い出します。
他の人には見えないものが見える
そこにいるはずのない「誰か」と急に会話を始めたり、あるはずのないものをあると言い張ったりします。
よく聴くのは、先立った家族が会いに来てくれたとか迎えに来てくれたとか・・・
自分の手を長い間見ている
死期が近い人はよく自分の手のひらをじっと見ていると言います。
そこに何が見えるのかは分かりませんが、一般的によくある現象のひとつなんだそうで「手鏡現象」といいます。
窓を開ける
暑いとか寒いとかに関係なく、窓を開けることが多くなります。
これも理由は分かっていませんが、もしかすると誰が来てくれるのを待っているのか自分がどこか別の世界に行くために開けているのか・・・なんて解釈する人もいます。
穏やかな表情をする
普段から穏やかな人の場合は気付きにくいかもしれませんが、とても神経質でいつもピリピリしていた人が急に穏やかな顔になり、誰に対しても微笑んでいたりします。
いろいろ言われているけれど・・・
巷でよく言われている、死期が近い人の特徴をいくつか挙げてみました。
これらにどこまで信憑性があるのかは分かりませんが、自分の死期を悟った結果の行動だと考えることで納得できるものも幾つかありますね。
これらに共通するのは「いままでそんなことしなかったのに」突然し始めるという点です。
科学的な根拠はどこにもありませんが確かに起きている現象なので、死期が近いことと何らかの関係がある可能性は十分にありそうです。
そしてこれらの行動を理解するためには、まず死期が近づくとはどういうことかをしっかりと理解する必要があります。
死期が近付くとはどういうことか
死期が近づくとは文字通り、自分が死ぬときが迫っているという意味です。
自分が死ぬときが迫っているとは、高齢化して天寿を全うする日が近づいているような場合もあれば、何らかの病気(不治の病や致死率の高い感染症など)で若くして死なねばならない、あるいは不慮の事故に巻き込まれてしまうような場合もあります。
死期が近づいていることに対し、自分で納得できる場合もあれば到底納得できない場合もあるでしょう。
自分が死ぬということを知ってからの時間も人や状況によってさまざまです。
事故などの場合は死ぬと認識するかしないかのうちに死んでしまうこともありますし、病気の場合には死を自覚してから死ぬまでに何年もかかる場合もあります。
事ほど左様に状況は人によってまちまちですが、人は自分が死ぬことを事前に認識していると考えて良さそうです。
死期が近い状況についてスピリチュアルに考える
たしかに病気などの場合には事前に自分が死ぬ時期を知ることは可能だと思います。
しかしながら突然の事故などで一瞬にして命を落とすような場合にも事前に死期が近いことが分かっているというのは、なかなか納得できませんよね?
自分の死期を知るということについてスピリチュアルに考えることで、これらの疑問は解決します。
自分の本来の姿
スピリチュアルな視点で考えた場合、人間は肉体だけの存在ではありません。
科学の視点では人間とは肉体が全てですが、スピリチュアルでは人間とは肉体とそれをはるかに超える「意識」が合わさった存在であると考えます。
この考え方では、肉体と意識は「別物」ですから肉体が死んだとしても意識は死ぬことはありません。
肉体が機能しなくなれば(肉体が死ねば)意識は機能しなくなった肉体から離れます。
意識はもともと「形のない」存在ですから、肉体から離れれば物質の存在しない世界、すなわち「非物質世界」へと移行していきます。
この非物質世界というのが、私たちが死後世界と認識しているものです。
私たちの意識は死後世界に移行し、やがて別の肉体に宿ることになります。
これが「生まれ変わり」なんですね。
肉体は有限ですが意識は無限ですから、いくつもの肉体でさまざまな人生を経験することになります。
こう考えたとき、私たちの本質は肉体ではなく意識の方だと言うことが分かります。
もう少し分かりやすくするために、たとえ話をしてみましょう。
肉体と意識の関係は、クルマとカーオーナーの関係に似ています。
カーオーナーであるあなたは、気に入ったクルマを購入しそのクルマと時間をともにするようになります。
お気に入りの観光地にドライブにも行くでしょうし、日頃の買い物のときも一緒でしょう。
クルマをぶつけたら、ちょっとしたキズくらいならタッチペイントを塗って済ませるかもしれませんが大きなキズなら修理に出しますよね?
そうやって大事に乗り続けますが、いよいよちゃんと走らなくなってくれば買い換えを検討します。
そうして次のクルマに乗り換えていく・・・
このようにして何台ものクルマを乗り継いでいるのではないですか?
肉体と意識もこれと同じです。
意識は肉体に宿り、一緒に人生を送ります。
そしてさまざまな経験をしながら成長していきます。
怪我をすれば、ちょっとした擦り傷ならバンドエイドを貼って直しますし大きな怪我なら入院して手術するかもしれませんね。
そうやって大人になりやがて年老いていく。
そしていよいよ肉体が機能しなくなったとき、意識は肉体を離れ死後世界へと移行し次に宿るべき肉体を探します・・・
ね、プロセスはほとんど同じだと思いませんか?
でも意識と肉体は常に一緒だけど、クルマの場合はあなたはクルマを降りて生活することもあるのだから同じとは言えないのでは、と思っていませんか?
いえいえ、そこも同じことなんですよ。
あなたが夜になり寝ている間、意識はあなたの肉体から離れることが出来るんです。
そして肉体のあずかり知らない体験をする、それが夢だったりするんですね。
事ほど左様に、私たちの主体は肉体ではなく意識の方であるということがご理解いただけましたか?
死期が近い=次のステージへの準備
死期が近くなるというのは先ほどのたとえ話で言うところの「新しいクルマへの乗り換え準備」といえます。
新車への乗り換えのために、あなたは今まで乗っていたクルマとの日々を思い返し、良かった点と悪かった点を拾い上げることでしょう。
そして次に乗るクルマは「こういう機能や性能をもった」クルマにしよう、と決めます。
その「テーマ」に叶うクルマを色々と探すわけですよね?
人間もこれと一緒で、私たちの意識は肉体の死後これまでの人生を振り返ります。
そして良かった点、今ひとつだった点、もっとこうしておけば良かった点などを洗い出し、次の人生の「テーマ」を決めていきます。
そしてそのテーマに叶う肉体を探してその肉体に宿っていくわけですね。
死期が近づいた人がするさまざまな特徴ある行動は、こうした「次のステージへの準備」と捉えると納得できることばかりだと思いませんか?
肉体の存在しない世界へ移行する、その準備としてこれまでの人生を総ざらいしておくための行動と、移行していくための準備行動・・・
これらの行動は肉体が存続し続けるなら不要不急のものばかりです。
つまり、私たちが本来の世界である死後世界へと「戻る」ための準備が、死期が近づくとみられる特徴というわけです。
結局のところ
今回は死期が近い人の特徴についてスピリチュアルな視点から解説してきました。
死は終わりではなく、次のステージに向けての準備だと言うことがご理解いただけましたでしょうか?
ですから死ぬことを恐れる必要なんてないんです。
だってあなたの主体である「意識」は今までも、そしてこれからも連綿と続いていくわけですからね。
ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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