今回は「目に見えないものの存在」についてです。
目に見えるものは存在する。
これには誰しも異存はないと思います。
では、目に見えないものは存在するのかしないのか?
いえいえ、ちゃんと存在しますとも。
本記事では「見えないものの存在」について説明していきます。
目に見えないものとは?
目に見えないものって言ってもいろいろあるでしょう、と言う人のために、
ここで「目に見えないもの」について以下のように定義したいと思います。
目に見えないものとは「存在することの確証がないもの」のことです。
ですから、目に見えなくともその存在が明らかなもの、たとえば空気とかウィルスなど肉眼では見ることが出来なくても顕微鏡などの観測装置を使えばちゃんと存在が確認できるようなものは「見えるもの」ですから誤解のないようにしてくださいね。
存在することの確証がないもの、といっても結構いろいろありますよね。
たとえば人間の「感情」なんてどうでしょうか?
これって、見える?見えない?
答えは「見えない」です。
え、見えるでしょう、泣いてる人は悲しんでるから泣いてるんでしょう?
これって感情が見えるってことじゃないの?
はい、これは違います。
泣いている人はなぜ泣いているのか?
悲しいから?嬉しいから?悔しいから?
役者は泣く演技をしますが、必ずしも泣きたい気持ちというわけでは無いですよね?
泣いている、という状況から私たちは勝手に「悲しいんだ」と思ってしまいますが、その実、本当の気持ちなんて分かりません。
これは感情を見ているのではなく「泣いている姿」を見ているに過ぎない訳で、感情そのものを見ているわけではありませんよね。
つまり感情には実態はないということになります。
ですから、感情は「見えないもの」ですね。
では、幽霊とかはどうでしょうか?
これって、見える?見えない?
幽霊の実在を科学的に証明することは出来ませんよね。
少なくとも、現在はまだ幽霊の存在は証明できていません。
え、幽霊なんて空想のたまものでしょう?
そもそも居るわけないよ!
見える見えない以前に、いるかいないかを議論すべきでしょう。
っていうか、居ないでしょう。
本当に?
本当に幽霊は居ないのでしょうか?
それとも居るけど「見えない」だけ?
今回はそのへんを掘り下げていこうと思いますので、最後までお付き合いくださいね。
見えないからって、存在しないわけじゃない
幽霊が「見えないもの」である以前に「いない」と結論づける人々はこう言います。
だって、もう何百年も前からいるいるって言ってるけど、今日に至るまでその実在が証明されていないでしょう、本当にいるなら何らかの確証があっても良いんじゃないの?
これだけの年月、いると言われながらその存在を証明することが出来ない。
・・・って、結局いないってことでしょう?
はい、おっしゃることはごもっとも。
でも冒頭で私が提示した「見えないもの」の定義を思い出して下さい。
「見えないもの」とは、その存在を証明できないもののことでしたね?
あ、それって卑怯でしょう。
いるいないの議論をせずに存在を証明できないから「見えないもの」だなんて。
それを認めたら、どんなものでも存在を証明できなければすべて「見えないもの」になってしまうんじゃないの?
という声が聞こえてきそうです(笑)
ただ、幽霊に関して言えば数多くの目撃談がありますよね。
それも何百年も前から、山のような数の目撃談が。
普通はこれだけたくさんの目撃談があれば、幽霊はいる、と結論付けても良いのではないでしょうか?
それでもなお、幽霊に関してはいまだにいるいないの議論が続いています。
これって、ただ単に「幽霊がいるっていうことを証明できない」からですよね?
はい、ここで今回のテーマ「見えないものは存在するのかしないのか」に戻ってみたいと思います。
見えないものに共通している特徴は、
・見ること(観測すること)が出来ない
・それが存在することを証明できない(だって見ることが出来ないから)
これにもうひとつ付け加えるなら、
・存在を証明できないが、それを「見た」人がいる
となります。
幽霊はこれら3つの条件を見事に満たしていますよね(笑)
ですから幽霊は「いる」けど「見えない」ものと言えます。
ここで、ひとつの疑問がわいてきます。
見えないものなのに、なんでそれを「見た」人がいるのか?
うーん、たしかに・・・
見えないものをどうやって見るのでしょう?
これについては諸説ありますが、見えないものを見るのは必ずしも目ではないからだと考えられます。
たとえば、誰かがそばにいる「気配」がするとか、誰もいないはずの廊下から足音が「聞こえる」とか、なにかが自分の首筋に「触れた」とか、理由ははっきりしないけど急にある人のことを「思い出した」とか・・・
こうした現象に遭遇すると、
「いまの・・・幽霊・・・?」
なんて思っちゃいますよね。
また、これらの現象以外にはっきりと「姿を見る」ことも多々あります。
本来は存在しないはずの、たとえば何年も前に亡くなった親戚の叔父さんがニコニコしながら近寄ってきた、なんて体験をした人も結構いるんですね。
えー、それってみんな気のせいでしょう?
単なる勘違いのオンパレードでしょう(笑)
と思うかも知れません。
確かに勘違いや気のせいもあることでしょう。
でも本当に「存在するはずのない何か」を見ている、ということもあるんです。
たとえば、見たこともない人が交通事故で命を落とすところをイメージとして見てしまい、その数日後にその人が交通事故に遭ったことをニュースで知る・・・なんてこともあったりします。
いわゆる未来予知に近い現象ですが、
・未来のこと(時空を超えている)なので見ることが出来ない(はず)
・まだ起きていないことなので証明も出来ない
・でも、それが起きるイメージを見てしまった
そして、現実が未来のイメージに追いついたとき、それは本当に起きてしまうのです。
これって、見えないものを見てしまった・・・ってことですよね。
まとめ
このような例は、世の中に氾濫しています。
ただ、これらに共通することは「それを証明できないこと」です。
だとしても、証明できないから存在しないと言ってしまって良いのでしょうか?
今回は目に見えないものの存在について考えてみました。
果たしてその答えは・・・?
それはあなた自身が出して下さい。
・・・わたしは「目に見えないものでも存在するものは存在する」と信じてます!
ということで今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。