スポンサーリンク

死ぬと三途の川を渡ってあの世に行くというのは本当か?

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

三途の川の渡し船

死ぬと、人は三途の川を渡ってあの世に行く・・・

私たちは子供の頃から、両親や祖父母からこのような話を聞かされて育ってきました。

これは日本が古来から仏教を主たる宗教としてきた歴史があり、また各地域に独自に広まった民間信仰などが合わさることによって出来上がったものとされています(諸説あり)

この「三途の川」については、多くの人は日本独自の考え方だと思っているようですが、実は洋の東西を問わず世界中で似たような話があるんです。

そこで今回は、この「三途の川」と死後世界の関係について考えてきたいと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

死と三途の川

まず、三途の川についての由来とか出典などについては、ネットで調べていただければ詳しいことが分かりますのでここでは説明を割愛させていただきますね。

ここでは私たちが子供の頃に親や爺さん婆さんから聞かされた話をもとに話を進めていきたいと思います。

そうする理由は、細かい研究や文献調査から導き出される結論よりも、昔から人々の口から口へと語り継がれてきたものの方が、本質を捉えていることが多いからです。

私たちが聞いて知っている三途の川の伝承とは、概ね以下のようなものでしょう。

 

人は死ぬと、三途の川を渡ってあの世に行く
三途の川のこちら側がこの世(此岸)、向こうがあの世(彼岸)
三途の川を渡るには渡し船に乗る必要がある
渡し船に乗るには「渡し賃」として六文銭が必要

 

これらの伝承を順番にみていきましょう。

三途の川を渡ってあの世に行く

まず、三途の川というのは古い仏典が由来になっており、多分に仏教思想から来るものと思われています。

三途の川を否定する人たちは、なぜ仏教徒だけが死ぬと三途の川を渡るのか、仏教徒以外は死んでも川なんて渡らないじゃないか、宗教的にねつ造された妄想に過ぎない、といいます。

しかしこれは大きな誤解です。

私はヘミシンクの公認トレーナーをしている関係上、ヘミシンクのセミナーで多くの参加者の体験のお手伝いをさせていただいてきました。

ヘミシンクでは、音を使って脳波をさまざまな意識状態へと誘導していきますが、このなかでこの世とあの世の境界領域である「フォーカス21」という意識状態に脳波を誘導すると、多くの人が川のようなものを見ます。

ヘミシンクについての詳細は、以下の記事で詳しく説明していますので合わせてお読みくださいね。

参考記事:ヘミシンクって何?いまひとつ分からない人のために徹底解説

さて、この世とあの世を隔てる川・・・

これは私たち日本人にとっては三途の川に他なりませんが、フォーカス21では欧米の人たちも川のようなものを目撃します。

この「川のようなもの」ですが、大きな川を見る人もいれば小さな小川や田んぼの水路のようなものを見る人もいます。

さらに、川ではなく大きな亀裂や崖のようなものとしてふたつの陸地を隔てている、と知覚する人もいます。

これらから、こちら側とあちら側、すなわちこの世とあの世を隔てる何らかのものが存在することが分かります。

そしてそれを多くの人は「川」と認識するんだということです。

つまり、この「この世とあの世を隔てるもの」を私たち日本人は「三途の川」として代々口伝にて言い聞かされて育ってきたということ。

欧米人にはこうした口伝伝承の習慣がないため、隔てるもの、イコール三途の川という発想にならないだけなんです。

三途の川(それを三途の川と呼ぶかどうかは別として)は地域や国の違いはあれど存在する、ということが分かります。

三途の川のこちら側がこの世であちら側があの世

さて、三途の川で隔てられたふたつの領域ですが、向こう側の世界は果たして本当に「あの世」なんでしょうか?

臨死体験者やヘミシンク体験者の話から、ある「共通点」が見えてきます。

それは、三途の川を隔てて向こう側を見ると「死んだはずの家族や友人がいる」というものです。

これらの体験談から、どうやら川向こうの世界は、こちら側の世界とはちがうということが分かります。

そして川向こうの世界には死者たちがいることも・・・

これだけで川の向こう側があの世である、と断じてしまうのは早計かもしれませんが、少なくともこちら側とは明らかに異なった世界であることは確かなようです。

臨死体験者の多くが、この川をこえて「あちら側」に行こうとすると、誰かから「まだそちらに行ってはならない」と止められたという話をします。

おそらく、世界をふたつに隔てる「川」を超えて向こう側に行くことは、こちら側に戻ってこられないことを意味するのでしょう。

だから向こう側に行かずに引き返してきた人たちは死なずに済んだ。

やはり、三途の川の向こう側は「あの世」と考えるのが自然でしょう。

三途の川を渡るには渡し賃を払って船に乗る

最後の「六文銭」についてですが、渡し船に乗り向こう側に行ったという体験談はあまり聞いたことがありません。

ヘミシンクのセミナーでも、参加者が向こう岸に死んだ家族を見たという話は数多く聞きますが、向こう岸に船に乗って行ったという体験談はあまり聞きません。

ただし、向こう岸ではなくさらに先、輪廻の中継点と呼ばれる領域に移行する際に、何らかの乗り物を使って行ったという体験は多いです。

たとえば、大きな駅のようなところから大勢の人たちが列車に乗り込んでいくところを見たとか、国際線の空港のようなところで多くの人がいたとか。

こうした体験談から分かることは、自分の意思でそこに「行く」のではなく、なかば自動的に移行していくのではないか、ということです。

その移行の過程を乗り物に乗って移動する、と認識するのではないか。

これが口伝伝承に出てくる「三途の川の渡し船」なんでしょう。

そして渡し賃の六文銭ですが、これは何らかの形で「向こう側に行くべき人かどうかを判断する」という意味で、渡し賃を持っていれば(向こう側に行く資格を持っていれば、すなわち死んでいれば)渡し船に乗ることが出来る、ということではないか。

ここは多分に私の想像も入っていますが、当たらずとも遠からずではないかな、と思います。

口伝伝承の由来

こうした三途の川の伝承ですが、どうして遠い昔から現在まで連綿と語り継がれてきたのでしょうか?

おそらく、遠い昔にある人が臨死体験をして、そのときの体験談を代わりの人に語ったのでしょう。

そしてその話があまりにショッキングであったため、死ぬとそうなるのか、ということで人から人へ、そして親から子へ、子から孫へと語り継がれてきたのでしょう。

もしかすると、最初の話はここまで物語的ではなかったかもしれません。

それが口伝いに語り継がれていく過程で、徐々に物語性を帯びていったと考えられます。

そして長い年月、この伝承が語り継がれてきたのには、やはりあの世は存在するからではないでしょうか。

三途の川は、この世とあの世を分け隔てるものの代名詞として、21世紀の現在も生き続けているんですね。

まとめ

今回は、死ぬと渡るとされている三途の川について考えてきましたがいかがだったでしょうか?

私は、この世とあの世を分け隔てる「なにか」を、三途の川と表現して現代まで語り継いでいる日本人の感性って、なんだか素敵だなと思いました。

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました