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死んだらどうなる?についてスピリチュアルな視点から答えてみた

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死んだらどうなる?

人間、死んだらどうなるのでしょうか?

この問いに明確に答えるのは、とても難しいことです。

たとえば、

熱湯に水を注いだらどうなるか?

みたいな問いであれば、温度が下がってぬるいお湯になる、明確に答えられます。

実際に熱湯に水を注いでみてどうなるかを実験してみることも可能です。

ですが、人間が死んだらどうなるのか、については実験してみることは出来ません。

いちど死んでみて、どうなるか見てみよう・・・

死んだ人が生き返ることが可能ならこうしたことも可能かもしれませんが、残念ながら人は死んでしまうと生き返ることは出来ないんです。

ですから、科学にしてもスピリチュアルにしても宗教にしても、死んだらどうなるのかについては確証をもって明確に答えることはできません。

とはいうものの、いずれ誰にでも例外なく訪れる死について、死後どうなってしまうのか考えてしまう人は多いことでしょう。

立場によって答えも違ってくると思いますが、今回は私の専門分野であるスピリチュアルの立場からひとつの答えを出してみたいと思います。

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視点の違いによる「死後の世界」の解釈

まず、代表的な視点からみた「死後の世界」をかんたんに見ていきましょう。

 

科学の視点:死んだら「無」に帰すだけの話でしょ!

科学は基本的に「実証主義」の立場をとります。

これは「それが正しいなら必ず証明できる」という考えです。

言い替えると「証明できないことは正しいとはいえない」ということで、今回のテーマである「死んだらどうなる」についてはある意味とても明確な答えを持っています。

死とは、肉体のあらゆる器官が機能停止することであり、当然ながら脳も機能を停止する。これは科学的に証明できますし、誰もが納得するところでしょう。

人間の記憶や経験などはすべて、この「脳」によって作り出されたものであるため、死ねば記憶や経験なども消失する。

脳の機能停止により、ものごとを認識することも出来なくなるため、そもそも死後世界などというものは存在するわけがない。

死んだらどうなる?

科学の答えは「無」です。

なにもない、無、空、虚・・・

もっと言えば、脳が機能停止してしまえば「無」を感じることも出来ないわけで、そういう意味では私たち人間にとっては死そのものも「存在しない」と解釈することも出来る。

科学の視点では、

死んだら何も分からない。

これが答えです。

 

宗教の視点:死んだら神の御許に召される

宗教、とひとことで括ってしまうのは乱暴すぎます。

なぜなら、宗教ごとに死についての解釈が異なるからです。

とはいうものの、すべての宗教の考えをここで羅列するつもりはありません。

ただし多くの宗教に共通する部分もあるため、ここでは「共通する」考えについて説明していきます。

多くの宗教に共通しているのは「崇拝の対象」が存在する、ということです。

いわゆる「神」という存在のことです。

人間は不完全なものだ、神を崇拝し祈ることで、日々神に近づく努力を怠るな。
そうすれば、死後は神のもとに召され祝福されるだろう・・・

程度の差はあれ、どの宗教も「不完全」な人間が「完全」な神のもとに召されるために存在するといえます。

いわゆる「魂の救済」ですね。

ですから、宗教の視点では、

死んだら神に召される。

これが答えです。

 

スピリチュアルの視点:死んだら意識が「非物質世界」に移行する

スピリチュアルに関しても、十把一絡げにして扱うのは少々乱暴です(笑)

いろいろなスピリチュアルが存在し、科学や宗教よりもはるかにバリエーションが豊かです(笑)

とはいうものの、大半のスピリチュアルに共通している考えがあります。

それは「死後世界」の存在を肯定している点です。

死後世界が存在すると考えているため、科学の視点とは異なり肉体の機能停止後も意識は在り続ける、と考えます。

意識は肉体が機能停止しても存在し続ける、ということは、生前の記憶や経験などもすべて消失することなく「存続」し続けると考えます。

つまり、生前の記憶や経験などは肉体の一部である脳に存在するのではなく、肉体とは「別」に存在する、それが「意識」である、という考え方です。

ただし、意識(スピリチュアルによっては「霊体」とか「魂」「心」などと呼ぶこともありますが、ここでは「意識」という表現で統一します)は肉体のように形を持ちませんから、物質と同じような状態で存在するわけではありません。

形のない存在(それを「存在」といえるかは議論すべきですが、ここでは便宜上、意識もある種の「存在」として説明していきます)である意識は、死後、すなわち肉体が機能停止した後も存在し続けます。

しかし、形のない「意識」はどこに、どのように存在するのでしょうか?

多くのスピリチュアルでは、物質が存在する「物質世界」とは別に、物質ではないものが存在する世界がある、と解釈します。

それを非物質世界とか、死後世界、霊界、冥界、冥土、あの世などと呼んでいます。

どのような表現をしても基本的には形のない「意識」が存在する世界という意味ですから、ここでは「非物質世界」と表現したいと思います。

ですからスピリチュアルの視点では、

死んだら意識が肉体から離れ、非物質世界に移行する。

ということになるかと思います。

 

で、結局のところ死んだらどうなる?

科学、宗教、スピリチュアルと、死後に関する解釈は三者三様ですね。

そしてどの説明にも「確たる証拠はない」んです。

つまり「死んだらどうなるのか」について、現段階では正解は確定していないということです。

どの立場の考えも、肯定も否定も出来ない。

死んだら本当に「無」に帰してしまい、何もかもがなくなってしまうかもしれないし、死んだら光り輝く「神」に導かれ、神のもとで祝福されるかもしれないし、死んだら意識が肉体から離れて非物質世界に移行するかもしれない。

本当のところは「死んでみなければ分からない」んです。

とはいうものの、やはり何らかの答えが欲しい・・・そう思いますよね?

私はスピリチュアルの視点「死んだら意識は非物質世界に移行する」がもっとも正解に近いような気がしています。

その理由をこれから説明しますね。

 

 

死後「無」になるとすると説明の付かないことが出てくる

まず、科学の視点である「死後は無に帰す」ですが、この立場をとった場合、どうしても説明できない事がらが生じます。

それは、生まれ変わりについてです。

数は非常に少ないですが、前世や過去世について記憶を持っている人が世界中に存在します。

これについて科学では「そんなのは脳が作り出した妄想に過ぎない」と一刀両断にします。

たしかに、単に脳が作り出した妄想もあるとは思います。

思いますが、脳が作り出した妄想、ではどうしても説明が付かない記憶もあるんです。

生まれて数年の小さな子供が、見たことも聞いたこともない国の街で過去に生きていたと説明し、その説明が「その町に行ったことがなければ分からない」内容まで含んでいるという事例があります。

これは脳が勝手に作り出した妄想、という説明では無理があります。

その子はきっと、どこかでその国の情報を何らかの形で見聞きしたことがあり、それが記憶の片隅にあったため、それを引っ張り出してきたのではないか。

科学的に説明が付かないからって、これはあまりにも乱暴すぎます。

同じく、こうした説明の付かない事例は江戸時代の日本にもありました。

今のようにTVやネットなんて皆無の江戸時代、情報の伝達が極端に限られていた時代に8才の子供が遠く離れた村について詳細に知っていた、もちろんその村に行ったことはないし、子供の身内にもその村に関係する者は誰もいなかった。

にもかかわらず、この子供はその遠く離れた村で前世を過ごしていたと言います。

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こうした事例について、死んだら無に帰すとする科学の視点では答えることが出来ません。

 

幽体離脱はどう説明する?

また、幽体離脱(体外離脱)についても同様です。

科学では、幽体離脱は脳のある部位を刺激することで似たような体験が起きることから、脳内で作り出されている現象であり、実際に意識が肉体から遊離しているわけではない、と説明します。

たしかに幽体離脱と似た感覚を、脳が作り出すことは事実なんでしょう。

でも、見たことも聞いたこともない、本人が知るよしもないことを、幽体離脱することによって知る、という事例も報告されています。

これについては、幽体離脱が脳内で作り出される、という説明では不十分ですね。

生まれ変わりにしても幽体離脱にしても、科学的に十分な説明が出来ません。

このため科学ではこれらについて否定的です。

ですが、生まれ変わりも幽体離脱も、証明できなくても確かに起こっているんです。

 

意識は有限か無限か

ここで、もし生まれ変わりが本当にあるとするなら、死んだらおしまい、無に帰すという説明は正しくないと言うことになります。

なぜなら、無に帰さないから「生まれ変わる」わけですよね。

つまり、肉体は有限であり、数十年後には機能を停止する(これは100%間違いないでしょう)けれども、意識は肉体とは別に存在し死後も存続し続ける。

こう考えて始めて「生まれ変わり」が説明できることになります。

肉体が機能停止する。

その肉体から意識が遊離する。

そして何らかのプロセスを経て別の肉体に宿り別の人間として生まれる。

これを延々と繰り返す・・・

こう考える方がリーズナブルだと思いませんか?

そして、生きているときに何らかの理由で意識が一時的に肉体から遊離してしまう現象が「幽体離脱」だと考えれば、これら一連の疑問に一応の説明が付くでしょう。

もちろん証明なんて出来ません。

でもこの説明が科学的な説明よりも、遙かに納得のいく説明に感じるのは私だけでしょうか?

 

まとめ

今回は、死んだらどうなるのか、について説明してみました。

結論は「死んでみなければ分からない」ですが、それでもスピリチュアルな説明がもっとも納得しやすい気がするのではないでしょうか?

死後世界について、いくつか参考にして頂けそうな記事をいかに紹介しますので、併せてお読み頂ければと思います。

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ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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