日頃の行いが悪いと、死んだあと成仏できないよ!
なんて、子供の頃に悪いことをするたびに、よく親からたしなめられたものです。
要は「良い行いをしていれば成仏できる(幸せになれる)」けれども、「悪い行いを繰り返すと成仏できない(幸せになれない)」みたいな、いわば教育的な意味合いだったのかなとは思いますが、それにしてもこういう教育ってどうなんでしょう?
そもそも、行いの善し悪しって、成仏と関係があるものなんでしょうか?
今回は、私たち日本人の日頃の教育に普通に浸透してしまっている「成仏の嘘」について考えてみたいと思います。
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まず最初にお断りしておきますが、成仏という言葉は仏教用語であることは言うまでもありませんが、本記事では仏教的な解釈を説明していくものではありません。
私たち日本人の多くは、信仰の有無にかかわらず仏教に根ざした考えやしきたり等に触れながら育ってきています。
彼岸には先祖の墓に行ってお参りするとか、夏の夜には怪談に出てくる幽霊を怖がったり、お盆の時期には仏様が迷わないように迎え火を焚いたり・・・
好むと好まざるとに関わらず、私たちは日頃の生活の中で「死者と接点」を持って生きているんです。
そしてその死者と私たちの間に介在するのが仏教思想なんですね。
成仏するとは?
仏教で言うところの「成仏」とは、「成仏陀」すなわち「仏陀に成る」という意味です。
しかし仏陀になる、といっても厳密には誰もが仏陀になれるわけではないため(これまでに仏陀になったのはお釈迦様だけとのことです)一般的に成仏とは、死んだ後「この世に留まることなくあちらの世界に行く」ことと言われています。
そして、怪談なんかに出てくる怖いお化けや幽霊は、何らかの理由から成仏できなかった死者が生きている者に危害を加える、というのがお決まりのストーリーですよね。
成仏できないと、お化けや幽霊みたいになっちゃうぞ、みたいな。
子供たちはこうした怪談を通して、お化けは怖い、幽霊は恐ろしい、という記憶が強烈に残ります。
そこへ親や先生が追い打ちをかけるんです。
「悪いことばかりしていると成仏できないぞ」
この言葉は、子供に底知れぬ恐怖心を与えます。
いやだ、自分はお化けや幽霊みたいにはなりたくない、だから良い子になろう。
とまあ、かなりシンプルに書いていますが、大筋はこうした教育的な見地から発せられる大人の言葉から「成仏できないととんでもないことになる」とたたき込まれるわけですね。
巷に溢れる「成仏できない」理由(みんな嘘ばっかりです)
こうした長年にわたる悪しき習慣(?)のお陰で、成仏という言葉は他人をコントロールするのに都合良く利用されてきました。
たとえば、葬儀社の中には「故人のためにも豪華なお葬式で送り出してあげましょう」とか「直葬(通夜や告別式を行わず火葬だけを行う葬儀のこと)では成仏できません」とか言って、高額な通夜や告別式を営業してくるところもあるようです。
大事な家族が成仏できない、とか言われたら、多少費用が嵩んだとしてもなんとかしたい、と思うのが人情ですよね?
はっきり言って、直葬でも、シンプルな葬儀でも、故人が成仏できないなんてことはいっさいありません。
遺族が納得できるか否か、という部分では直葬やシンプルすぎる葬儀は関係してくるかもしれませんが、成仏すなわち死者の魂が囚われることなくあちらの世界に行けるかどうかに関しては、全く関係ありません。
では、他にはどのような「成仏できない」という嘘があるでしょうか?
代表的なものをいくつかご紹介していきましょう。
霊的世界(死後世界)があると思っていない人は成仏できない
死後世界すなわち「あの世」の存在を信じていない人は成仏できない、という人がいます。
科学者の中には、人間は死んだら無になるだけで、あの世なんて存在しないと断言する人は多いことでしょう。
ですが、そうした信念と成仏は基本的には関係ありません。
科学の視点は「存在するなら必ず証明できるはず」ということですが、証明できるかどうかと成仏できる出来ないは無関係でしょう。
ですから、死後世界を信じていないから成仏できない、というのは無理があります。
ただし、この信念が強すぎる場合、死後世界の特定の領域に囚われてしまうということはあります。
そのへんの事情については、以下の記事で説明していますから併せてお読み下さいね。
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悪事を働いたが償いをすることなく生涯を閉じた人は成仏できない
なにか大きな悪事を働いて、多くの人に不幸な思いをさせたにもかかわらず、それを償うことなく一生を終えてしまったような人は死んでも成仏することが出来ない。
なんて言う人がいます。
心情的にはよく分かります。そうあって欲しいと思う人がたくさんいることも理解しますし、私もそうあって欲しいと思います。
ですが、この世での行いが成仏(あちらの世界の行くべきところに行く)に関係するということはありません。
どんなに良い行いをくり返し多くの人に貢献した人でも、どんなに悪事を働いて関係する人たちを傷つけたとしても、それは成仏(あちらの世界の行くべきところに行く)とは無関係です。
なぜなら、物事の良い/悪いという道徳的・倫理的な尺度はこの世で人間が創りあげたものに過ぎないからです。
この尺度が有効なのは、この世に生きている間だけなのです。
生きている人の思いが強すぎると成仏できない
亡くなった家族のとこが忘れられず、いつまでも悲しんでいたり、未練を残していたりすると、死んだ人が成仏できない、という人がいます。
これも嘘です。
遺族の思いや未練は、遺族側のなかでいつまでもくすぶってしまうことはよくあることです。
ですが、それは遺族側の思いであり、亡くなった方の成仏(あちらの世界の行くべきところに行く)とは関係ありません。
以前に流行った歌で、「千の風になって」と言うのがありました。
「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません」という歌詞がありましたが、まさにそう言うことです。
遺族の方々が強い悲しみとともにいつまでも故人のことが忘れられないとしても、故人がそれに絡め取られてしまうようなことはありません。
よほどのことがない限り、成仏しちゃうんです。
まとめ
今回は、成仏(あちらの世界の行くべきところに行く)ことができないことに関して巷で言われている「嘘」を説明してきました。
死後の世界は物質のない世界です。
つまり、肉体もなければ空間も時間もない世界です。
もっと言ってしまえば、「個」という概念すら希薄な世界と言えます。
そんな世界に行くことが「成仏」ということですから、これを私たち生きている者の通念とか常識、倫理観などで考えても理解しにくいわけです。
この世に残った私たちがどのように考えようと、故人はほとんどの場合、ちゃんと行くべきところに行きますし、生きている間に悪事の限りを尽くしたとしても、多くの人の幸せのために身を粉にして尽くしたとしても、ちゃんと行くべきところに行くんです。
まあ、行った先でどうなるのか、についてはまた別の機会で説明させていただきますね。
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。