
生まれ変わり、輪廻転生――
人がたった一度きりの人生だけでなく、何度も異なる人として人間経験を重ねていく、という考え方です。
生まれ変わりという考え方には、賛否両論があります。
それでも私は、これまでヘミシンクを通じた体験や、この分野を探究してきた中で得た実感をもとに、当ブログでは一貫して「生まれ変わりはある」という立場で記事を書いてきました。ですのでここでは、あるかないかという議論には触れず、話を進めさせてください。
さて、生まれ変わりがあるとして、何度も何度も生まれ変わるとは、いったいどういうことなのでしょうか。
- なぜ、何度も生まれ変わるのか
- そもそも私たちは、何回くらい生まれ変わってきたのか
- 生まれ変わりを繰り返すと、最終的にどうなるのか
こうした疑問は、私たち自身の根源に関わる、次の問いにもつながっていきます。
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」
今回は、生まれ変わりを繰り返すということについて、私なりに考えていることをお伝えしたいと思います。
※本記事は、筆者自身の体験や探究してきた内容をもとにした、一つの視点としてご紹介するものです。特定の効果や結果を保証するものではなく、感じ方には個人差があります。
生まれ変わりを理解するために必要な考え方
生まれ変わりについて考えるとき、まず前提として「人間は肉体と意識(魂)から成っている」こと、そして意識と肉体は完全に別のものである、という捉え方が出発点になります。
肉体+意識=人間
普段、私たちはほとんど意識してすらいませんが、起きている間はずっと、何らかの形で肉体を感じながら生きています。寒い、暑い、筋肉痛だ、今日は歩き疲れた、寝不足でフラフラする、お腹がいっぱいだ、鼻がつまって苦しい……。
好きな人に見つめられてドキッとした、上司に叱られて落ち込んだ、お笑いのネタで大笑いした――こうした感情の動きも、肉体を通して起きている出来事だと言えます。
では、眠っているときはどうでしょうか。
夢を見ることはあっても、肉体の存在を感じながら眠っている、ということはないはずです。高熱が出ているときでさえ、眠っている間は体のだるさや関節の痛み、喉の痛みを感じてはいません。
目が覚めて初めて「まだ熱があるな、めまいがする」と気づく。つまり、眠っている間、私たちは肉体をまったく感じていないのです。
これは、
眠っている間、意識は肉体と一体ではない
ということを示しているのではないか、と私は感じています。夢を見るというのは、意識が肉体という制約から離れ、肉体とは独立した体験をしている状態だと捉えることもできそうです。
意識は肉体とは別に存在している、という視点
もちろん、脳が眠っている間に記憶を整理する過程で夢を見る、という科学的な説明をする方もいます。それも一つの真実なのだろうと思います。ただ、それだけでは、予知夢や、亡くなる直前の知人が夢枕に立った、といった出来事の説明がつきにくいのも事実です。
私自身はヘミシンクを通じた体験も踏まえて、肉体と意識は別のものだ、と考える方が腑に落ちています。もしそうだとすれば、肉体が機能を失ったとき(つまり死を迎えたとき)、意識は肉体から離れるだけで、肉体とともに消えてしまうわけではない、と考えることができます。
意識が肉体から離れる、という視点で見ると、眠っている状態と死を迎えた状態は、実はよく似た状態だと言えるかもしれません。
では、眠っている状態と死んだ状態は何が違うのか。
端的に言えば、肉体側の状態の違いです。意識そのものには違いがない、という捉え方です。どちらも、意識が肉体から離れている状態には変わりないのですが、眠っているときは肉体がまだ機能しているので、意識は肉体に戻ることができます。
肉体の機能停止=死
ですが肉体が機能を失う、つまり死を迎えると、意識にはもう戻るべき肉体がありません。これが、眠りと死との違いだと私は理解しています。
戻るべき肉体がなくなることで一つの人生が終わり、次に生まれ変わるまでのあいだ、肉体を持たない期間に入ります。いわゆる「中間世」と呼ばれる状態です。
中間世では、それまでの人生を振り返る、と言われています。この振り返り方については立場や解釈によっていろいろな説明がありますが、少なくとも、それまでの人生で得た学びを踏まえたうえで、次にどんな人生を送るかを考えていく、という点では共通しているように感じます。
そして次の人生のおおまかなテーマを決めたうえで、それにふさわしい環境を選んでいく――
- どの両親のもとに生まれるのか
- どの国に生まれるのか
- 男性として生まれるのか、女性として生まれるのか
- 兄弟姉妹はいるのか、いるとしたら何番目に生まれるのか
- 人生でどんな人間関係を経験するのか
こうしたことを、大枠として決めたうえで、次の人生をスタートしていくようです。
何度も生まれ変わるのはなぜか
ただし、生まれてから死ぬまでのすべてを決めてから生まれてくるわけではありません。次の人生のテーマに沿った、大きな出来事の枠組みを決める程度で、その周辺で起きる細かな出来事までは決まっていない、というのが私の理解です(あえて細部を決めずに生まれてくる、という見方もあります)。
そのため、生まれる前にテーマを決めていたとしても、そのとおりに生きられるとは限りません。人生の中で起きるさまざまな出来事を乗り越える過程で、本来のテーマから外れた生き方をすることも少なくないので、一回の人生ではテーマに向き合いきれない、ということも起こり得るのだと思います。
そうした場合、同じテーマにもう一度向き合う人生を、あらためて選ぶこともあるようです。
ここで一つ、誤解のないように付け加えておきたいのですが、これは「学びをクリアできないと罰が与えられる」というような、因果応報の仕組みとして起きていることではない、と私は考えています。宇宙の法則として「善行には報い、悪行には罰を」というルールがあらかじめ存在するわけではなく、むしろ「同じテーマにもう一度向き合ってみたい」という、意識そのものの興味や好奇心から、自然と選ばれていくことのように感じています。
生まれる前に選んだ人生のテーマは、簡単にクリアできるものではないからこそ、多くの困難とセットで用意されているのだと思います。それを乗り越えていく過程にこそ、かけがえのない学びがあるのではないでしょうか。
もちろん、その困難を乗り越えるのは簡単なことではありません。乗り越えられずに、その課題から目をそらしてしまうことだってあると思います。ただ、目をそらし続けている限り、形を変えて同じような課題に何度も出会うことになるのかもしれません。
とはいえ、私はこれを「絶対に立ち向かわなければならない試練」だとは思っていません。目の前の困難とどう向き合うか――逃げるという選択も含めて、それ自体が一つの経験であり、学びだと思うからです。それでも、どうせなら逃げずに踏ん張ってみたときに見えてくる景色を、私は大切にしたいと感じています。
こうして人生のテーマに向き合っては、また次のテーマに挑んでいく。これを繰り返していくことが、生まれ変わりということなのだと、私は理解しています。
まとめ
今回は、生まれ変わりを繰り返す意味について、私なりに考えてきたことをお伝えしました。
一つの人生を全うするというのは、想像を超える困難を乗り越えながら、肉体が機能を失うまで生き続けていくことです。直面する困難の中には、本当につらいものもあるはずです。
それでも何度も生まれ変わってくるのは、そうした苦労を上回るだけの「楽しさ」や「素晴らしさ」が、人生というものにはあるからなのかもしれません。
余談ですが、「では、生まれ変わりには回数や期間といった決まりがあるのか?」という疑問を持たれた方もいるかもしれません。その点については、以下の関連記事で詳しくお話ししていますので、よければあわせて読んでみてください。
▼関連記事▼
生まれ変わりの期間について。死後どのくらいなんだろう?
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。あなたは、これまでの人生でどんな「テーマ」に向き合ってきたと感じますか?ふと立ち止まって振り返ってみると、思いがけない気づきがあるかもしれません。
著者プロフィール
Hiro(アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナー)
2008年よりヘミシンクを本格的に探究し、意識の拡張や内的成長をテーマに継続的に実践。
アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナーとして、これまでに延べ1,000名以上の参加者にプログラムを提供・ガイドしてきた実績を持つ。
著書に『軽トラでやってきた神さま』(ハート出版)がある。
現在は、スピリチュアルや意識の世界を探究するブログを複数運営中。
専門知識と体験に基づいた、初心者にもやさしい情報発信をモットーに、誰もが自分の内なる声とつながるきっかけづくりをサポートしている。


