死後の世界については、その存在について肯定派と否定派が激しく議論を続けています。
この議論については、いまだに万人が納得する結論は出ていません。
ホンマでっかTVにレギュラー出演されている科学者の武田邦彦先生は、死というもの自体が存在しないので、死について考える必要はない、と言っています。
(参考:https://youtu.be/9dHRHxVJIFc)
この意見については私も「一理ある」と思いますが、やはりどこまでいっても科学者の立場のご意見だなと思います。
今回は、死後の世界が「ない」と言えるその前提と、それでも「ない」とは「言えない」のではないか、ということについて考えてみたいと思います。
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死後の世界はない?死についての根本的な誤解
まず、先ほど私は死後の世界がないことについて「一理ある」と言いました。
本サイトの読者の中には、
おまえ、いつもと言ってること違うだろ!
いつも死後世界はある、って言ってたのに寝返りか?
と思っている方もいることでしょう。
いえいえ、滅相もない。笑
私は武田先生の意見にも「一理ある」と言ったまでで、私自身は死後の世界がないなんて思っていません。死後の世界はあります。
ではなぜ、死後世界がない、という意見に「一理ある」と言ったのか?
その辺の説明をしていきましょう。
物理学における「死」という現象とは
死を科学的な現象として捉えると、肉体の機能停止ということになります。
肉体が老化もしくは病気、事故などによってその機能を保てなくなると、あらゆる器官が機能を停止します。
心臓が機能停止すれば、血液が体内を循環しなくなりますし、肺が機能停止すれば呼吸が止まります。
これらの現象により脳に酸素が供給されなくなると、脳も機能維持ができなくなり機能を停止します。
通常、私たちはあらゆる物事を五感を通して受け取り、その情報を脳で処理することで認識しているため、脳が機能を停止すれば五感からの情報も受け取ることが出来なくなり、物事を理解したり認識したりすることが出来なくなってしまいます。
これが「死」なわけですが、死とはすなわち「脳が物事を認識できなくなった状態」を指すため、物事が認識できない以上、自分が死んだということすらも認識できないということになります。
認識できないものは「ない」も同然であり、このことから私たちは自分自身の死を認識することが出来ない、ということになるわけです。
死が「ない」のなら、死後の世界という発想そのものが無意味。
だから「死後の世界はない」と考えるわけですね。
科学ガーとかいうのは意味のないこと
科学の考え方に立脚すれば、たしかに自分自身が死ぬ際にはそれを認識することは不可能でしょう。
なぜなら科学では、人間は肉体だけで構成されている、という「誤解」を大前提にしているためです。
肉体のみの存在と考えると、私たちが考えたり興奮したり悲しんだり怒りを感じたりする源である「意識」も、脳によって作り出されたものであるということになります。
脳が作り出したものだから、死ねば脳も機能停止し、それとともに意識も消失してしまう・・・
どんなに楽しかった思い出も、誰よりも愛した家族の記憶も、仲間と過ごした光り輝く日々も、すべて死とともに消えて亡くなってしまいます。
ここでひとつの根本的な疑問が生じます。
何もかも消えて亡くなってしまうなら、人間はなぜ生まれてくるのか?
科学者たちは「それは科学の命題ではない、哲学者に聞け」というでしょう。
しかしその考え方そのものがおかしいと思いませんか?
だって私たちは、科学だ哲学だに関係なく生まれてきて数十年間を生き、死んでいくんです。
私たちが生まれてくる意味、生きている間にいろいろな経験をする意味、やがて死んでいく意味には、科学も哲学も関係ない。
人間の生と死は、そういうセクショナリズムで議論すべきことではないはずです。
科学的か否か、哲学的か否か、宗教的か否か、真面目か否か・・・
そういうことを超越した考え方が求められてると思うのです。
死という現象について、その意味を考える
人間が死んだらどうなるのか。
この問題についてどう考えれば良いのでしょうか?
私が個人的に最も納得できるのは以下のような考え方です。
人間は肉体だけの存在ではない
人間を肉体だけの存在と考える科学の立場では、死という現象は肉体の機能停止、すなわち「無」を意味しますが、実は人間は肉体だけの存在ではないんです。
肉体以外の「なにか」があり、それが肉体とともに人間を構成している、と考えることで、科学では説明の付かなかったさまざまな現象について説明できるようになります。
次の章からは、人間を構成するもうひとつの「なにか」について考えていきます。
肉体とは別に存在する「こころ」の正体
少し前になりますが、カメラメーカーであるオリンパスのCMコピーに「こころとからだ、人間のぜんぶ」というのがありました。
このキャッチコピーはとても秀逸です。
これを言い換えれば「人間は肉体だけではなく、心(意識)もあるんだ」となります。
ここでは、肉体と意識を「別物」として捉えています。
意識は肉体とは別に「独立して」存在しており、肉体が機能停止しても意識が一緒に消失してしまうことはない、という考え方です。
科学の視点で言う「人間は肉体のみで出来ている」が真実であるならば、体外離脱も生まれ変わりもリモートビューイングも「存在しない」ことになってしまう。
たしかに、意識が肉体とは別に存在することを科学的に証明することは出来ません。
出来なくても、そう考えないと理解できない数々の現象が存在しているんです。
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意識は肉体とは別に、独立して存在する。
こう考えてはじめて、死後の世界も生まれ変わりも体外離脱も説明することが出来ます。
つまり、意識の存在を肉体が生み出したものと捉えるか、肉体とは別に独立して存在していると捉えるかで、死後の世界についても有無が分かれてしまうということです。
武田先生のおっしゃるとおり、私たちが現在理解したり認識したり感動したりしているのは、すべて肉体の五感を通しての情報から得ています。
ですから、私たちが死んだとき、死というものをいま私たちが捉えているような情報として受け取ることは出来ないでしょう(だって肉体はもうないのだから・・・)
そういう意味(いまの私たちに理解できる形)で死というものは「ない」のかもしれません。
しかし、それが「死後の世界がない」ということにはならないのではないでしょうか?
死および死後の世界は、やはり「ある」のだと思います。
どういう形で認識できるのか、それは分かりません。
分かりませんが、死後の世界が「ない」と考えたのでは説明の付かない事がらが数多く存在する以上、「ない」とは言えないと思うのですが。
このへんについては、今後の研究の成果を待つしかなさそうです。
まとめ
今回は、死後の世界がない、ということの意味について考えてきました。
肉体である「脳」によって理解・認識できる「死」「死後の世界」は確かに「ない」のは事実ですが、そうした肉体を超えた理解・認識を認めるならば、死や死後の世界は間違いなく存在する。
そこを認められるか否かは、個人個人の問題ですのでどちらが良い悪いを決めるつもりはありません。
あなたは、死後の世界は「ある」と思いますか、「ない」と思いますか?
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。