
身近な人の突然の死は、深い悲しみとともに、私たちの心に大きな空白を残します。
まるで時間が止まったような感覚になり、言葉では表せないほどの喪失感に包まれることもあるでしょう。
残された者にとっても、そして突然この世を去った本人にとっても、その戸惑いと混乱は計り知れません。
なぜこんなことが起きたのか、どうしてもっと何かできなかったのか――そうした思いが心の中で渦を巻き、現実を受け止めるまでには長い時間を必要とします。
私も、過去に親しい人を突然亡くした経験があります。
その出来事をきっかけに、ヘミシンクによる意識探求を通して「人は死後、どのような意識状態をたどるのか」というテーマに強く関心を持つようになりました。
死とは終わりなのか、それとも別の世界への入り口なのか。
体験を重ねるうちに、私は意識の連続性を感じるようになり、肉体を超えて続く存在としての「魂」の動きを垣間見るようになりました。
本記事では、私自身のヘミシンクによる体験をもとに、「突然亡くなった人の魂がどのような経過をたどるのか」について、スピリチュアルな視点から丁寧に解説していきます。
ここでお伝えする内容は、特定の宗教的教義や科学的理論に基づくものではなく、あくまで個人の体験と考察として受け取っていただければ幸いです。
読者の皆さまが、死に対する恐れを少しでも和らげ、愛する人の存在を心の中で温かく感じられるよう願っています。
死後の世界は「非物質的な体験領域」
物質世界では、科学的な観察や測定によって多くのことが説明されます。
しかし、私がヘミシンクを通じて体験してきた領域は、物質の存在しない非物質的な意識の世界です。
そこでは時間や空間の感覚が大きく異なり、「意識」そのものが現実を形づくるように感じられます。
たとえば、想念が瞬時に形になったり、距離という概念が消え去ったり、さらには感情や意図そのものが環境を変化させるような体験をすることがあります。
まるで思考や感情が直接的に世界を創造しているかのようであり、物質世界の物理的制約から完全に解放された自由さを感じるのです。
この世界では、言葉というコミュニケーション手段が不要になります。
思いはそのまま相手に伝わり、意識同士が響き合うような交流が行われます。
私が感じたのは、そこでは“分離”という感覚がなく、すべてがひとつの流れとして存在しているということでした。
物質的な体験を通じて得てきた「自分と他者の区別」が溶けていき、より大きな意識の海に溶け合うような感覚です。
こうした非物質的な領域は、自然科学の枠組みでは説明が難しいものです。
科学は物質を扱う学問であり、観察・測定を前提としていますが、この体験領域には観察する“物”が存在しません。
ですから、「科学で証明できない=存在しない」と断定するのではなく、「科学とは異なる方法で理解できる世界もある」と考えると分かりやすいかもしれません。
たとえば、瞑想や意識探求、夢の中での体験など、主観的ながらも一貫した法則性を持つ領域として捉えると、死後の世界の理解がより現実的に感じられるようになります。
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突然亡くなった人に起こりやすい3つの状態
私の体験や他の探求者たちの報告を照らし合わせると、突然亡くなった方の意識には、いくつか共通する傾向が見られます。
以下はあくまでスピリチュアルな理解としての整理です。
このテーマを扱うとき、私はいつも「人が死後に体験する世界は、どれほど多様で、同時に個人の信念や生き方に深く影響されているか」を強く感じます。
突然の死という出来事は、本人の意識にとって大きな“ショック”であり、その混乱や戸惑いは想像以上のものです。
まるで夢の中で自分がまだ現実にいると思い込むような状態が続くこともあります。
ヘミシンクを通して出会った多くの体験者の中にも、「自分が亡くなったことを理解するまでにかなりの時間がかかった」と語る人は少なくありません。
このような体験の多くには、共通して“気づき”のプロセスが存在します。
つまり、自分が肉体を離れたという現実を受け入れ、それまで慣れ親しんだ世界とは異なる意識の領域に移行していく過程です。
そのプロセスには個人差がありますが、どの場合も“理解”と“受容”の段階を経て次のステップへ進んでいきます。
また、突然亡くなった方に共通して見られる傾向として、感情の余韻や未練が非常に強く残る点が挙げられます。
特に、強い愛情や責任感をもっていた人ほど、そのエネルギーがこの世に向けられ続け、意識がなかなか切り替わらないのです。
これは恐れや執着というよりも、深い愛情の延長線上にある自然な現象といえるでしょう。
ヘミシンク体験の中で、私はこうした意識状態にある存在たちが徐々に“光”や“導き”の存在に気づき、少しずつ次の段階へ進む様子を何度も感じ取ってきました。
それはまるで夜明け前の薄明かりのように、静かに、しかし確実に魂を導く力として働いているようでした。
突然亡くなった方がこのような段階を経ることを理解しておくと、私たち生きている者にとっても、死という現象をより穏やかに受け入れる助けになるのではないかと思います。
1. 自分が亡くなったことに気づかない
事故や急な発作などで突然肉体を離れた場合、本人は「まだ生きている」と感じ続けていることがあります。
物質的な身体感覚が一瞬で途切れるため、意識の上では現実との区別がつかないまま、しばらくこの世に留まってしまうようです。
この状態の意識は、まるで夢の中にいるように自分の周囲を見渡し、日常の延長線上にいるつもりで行動していることがあります。
たとえば、自分の家族が自分を見えないまま生活しているのを見て不思議に思ったり、職場や家に帰ろうとする行動を取ることもあります。
本人にとってはそれが“生きている”感覚のままであり、肉体が存在しないという事実をすぐには受け止められないのです。
ヘミシンクの体験領域でも、このような状態にある意識は非常にリアルで、時間や空間の概念が曖昧になると感じられます。
物質世界のように朝と夜の区別もなく、意識の焦点が固定されないため、同じ場所を何度も繰り返すような循環的体験をすることもあります。
それは恐怖というよりも、“混乱と無自覚”の中に漂うような状態です。
こうした魂は、自分の存在を確認するために生前の環境に引き寄せられることが多く、身近な人の夢に姿を見せる、または特定の場所に残留するなどの現象として感じ取られる場合もあります。
もちろんこれは超常現象としてではなく、あくまで“気づきのプロセス”の一部として捉えるとよいでしょう。
やがて、ヘルパーと呼ばれる導きの存在や、祈り・思念といった光の働きかけによって、魂は少しずつ現状を理解し、自分がすでに肉体を離れていることを受け入れていきます。
この段階を経ることで、魂はようやく次の意識領域――中継点へ向かう準備を整えていくのです。
2. 死を受け入れられない
長い闘病の末に亡くなった人でも、意識の中では「まだ寝ているだけ」「回復を待っている」と感じているケースがあります。
非物質世界では時間の流れが異なるため、本人にとっては短い時間でも、物質世界では何十年も経過していることがあるようです。
このような状態にある魂は、肉体を離れたという現実をまだ完全には受け止められず、病室や自宅など、かつて過ごしていた環境の近くに意識を留めていることがあります。
まるで長い眠りの中にいるように感じ、自分の周囲にいる人々の変化にも気づかないまま「まだ目を覚ます時ではない」と思い続けてしまうのです。
そうした意識は時間の流れをほとんど感じないため、現実世界の数十年が、本人にはほんの数分や数時間に思えることもあるようです。
ヘミシンク体験を通して観察すると、この段階にいる魂は、穏やかな安らぎと混乱のあいだを行き来している印象を受けます。
彼らは痛みや恐怖からは解放されている一方で、「まだ生きている」という信念が残っているため、自らの状況を理解するのに時間がかかるのです。
こうした状態を長く続ける魂もいれば、優しく語りかける存在や光の導きに出会うことで、少しずつ目を覚ますように気づいていく魂もあります。
この過程は、私たちが夢から覚める瞬間にも似ています。
長く続く夢の中で現実と幻想が混ざり合うように、死後の意識も徐々に“本当の現実”を認識していくのです。
やがてその意識は、混乱から静けさへ、静けさから理解へと移行し、「もう休んでいいんだ」「次に進もう」という感覚を自然に受け入れていくようになります。
3. この世への未練が強く残る
家族への思い、やり残した使命、悔いなどが大きいと、魂が次の段階へ進みにくくなります。
特に、子どもを残して逝った親や、無念の思いを抱えたまま亡くなった人などは、意識がこの世に向いたままになることがあります。
こうした魂は、深い愛情や責任感からこの世界に意識を留め続けてしまう傾向があります。
たとえば、小さな子どもを残した母親が「自分がいなくなったらこの子はどうなるのだろう」と案じ続けたり、果たせなかった夢や仕事の途中で命を終えた人が「まだ終わっていない」という思いを抱えたまま留まることがあります。
その想念は、執着というよりも“愛の延長”であり、むしろ強い絆が働いている証でもあります。
ヘミシンク体験の中で私が感じ取ったのは、このような魂はしばしば自分が愛した人の近くに寄り添うように存在し、その様子を静かに見守っているということです。
彼らは自らの存在を伝えようとするのではなく、まるで「心配が少しでも軽くなるように」と祈るような気持ちで見守っています。
しかしその一方で、その思いが強すぎると自分自身が次に進めなくなり、意識の焦点がこの世に固定されてしまうこともあります。
この状態は、決して“悪い”ものではなく、愛情の深さがもたらす自然なプロセスといえるでしょう。
ただし、魂が次の段階へ進むためには、最終的に「大切な人たちは自分がいなくてもちゃんと生きていける」と信頼し、手放す勇気を持つことが必要です。
ヘルパーや光の存在が関わることで、こうした魂は徐々に安らぎを取り戻し、「見守る」という形から「委ねる」という形へと意識を変化させていきます。
また、残された家族の祈りや感謝の思いが、この魂の癒しを促すことがあります。
「もう大丈夫だよ」「ありがとう、安心してね」という心のメッセージは、非物質の世界でも確かに届くのです。
そうした思いのやり取りを通じて、未練のエネルギーはやがて穏やかに変化し、魂は再び前進するための準備を整えていきます。
魂が進む「中継点」とは
私の体験では、人が肉体を離れたあと、多くの魂は「中継点」と呼ばれる領域に導かれるようです。
そこでは次の人生に向けての準備――たとえば、どんな経験をしたいか、どんなテーマをもって生まれたいか――を計画しているように感じられます。
この中継点は、一種の“意識の中継ステーション”のような場所で、魂がこれまでの人生を振り返り、学びを整理し、次の旅路を選択するための静かな空間として機能しているように見えます。
ヘミシンク体験の中で私が感じ取った中継点は、穏やかで光に満ちた場所でした。
そこでは、過去の人生で出会った人々や、自分を導いてきた存在との再会を感じることがあります。
彼らとの交流を通して、自分が歩んできた人生の意味や、そこで得た感情、経験の価値をゆっくりと理解していくのです。
まるで長い旅の終着駅で、荷物を下ろして次の目的地を決めるような時間が流れています。
この領域では、魂は自らの自由意思に基づいて次のテーマを選ぶといわれています。
たとえば「もっと人を愛することを学びたい」「挑戦する勇気を試したい」など、魂ごとに異なる動機を持っています。
その選択は誰かに強制されるものではなく、あくまで自分自身の成長と理解のための自然な流れの中で行われます。
こうした計画を立てるプロセスそのものが、魂の成熟の一部であり、いわば“意識の進化”を促す準備期間なのです。
しかし、突然死や強い未練がある場合、この中継点まで進めずに途中で留まってしまうケースもあるようです。
ショックが強すぎると、魂がまだ物質世界に焦点を合わせたままになり、光の方向へ意識を向けることが難しくなるのです。
その場合、ヘルパーや高次の存在が優しく呼びかけ、魂が安心して次の段階へ進めるようサポートします。
中継点へ辿り着くまでの過程はそれぞれ異なりますが、最終的にはどの魂も自らのペースでこの穏やかな場所に導かれていく――それが私の体験から得た確信です。
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信念体系領域と囚われの領域
非物質世界では、「信じていること」が現実を形づくるという性質があります。
そのため、生前に強い信念や価値観をもっていた人は、その信念に沿った世界を自ら創り出してしまうことがあります。
これを信念体系領域と呼びます。
この領域は、単なる幻想ではなく、意識の持つ創造力が明確に現れた世界です。
たとえば、特定の宗教観や世界観を強く信じていた場合、その教義のとおりの風景や存在を自らの意識が投影し、そこに“住まう”ことになります。
ある魂は天国のような場所に、またある魂は戦い続ける戦場のような空間に留まることもあります。
それぞれが持っていた信念体系が、まるで現実のように展開されるのです。
ヘミシンク体験を通してこの領域を感じたとき、私はそれがとてもリアルでありながら、どこか夢のようでもあることに気づきました。
そこにいる魂たちは皆、自分の信じる世界が“真実”だと思い込み、他の可能性を想像することができません。
そのため、光や導きの存在が現れても、それを「自分の信念と違うもの」として拒むこともあります。
まさに、自らの信念が自分を縛ってしまう世界――それが信念体系領域なのです。
一方、突然亡くなった方の中には、自分の死を受け入れられずに「囚われの領域」と呼ばれる状態に留まることがあります。
そこでは意識がこの世に向いたままになり、次の段階へ進むことが難しくなるのです。
この囚われの領域は、強い感情や未練、混乱によって形成される“意識の停滞地帯”のようなものです。
魂はそこに閉じ込められているわけではありませんが、自らの意識が焦点を変えられないために、結果的にその場に留まり続けてしまいます。
私が体験した中では、この領域にいる存在たちは、たいてい自分の状況を理解できず、繰り返し同じ出来事を再現しているように見えました。
ある魂は事故の瞬間を何度も再体験し、また別の魂は「帰らなければ」と言い続けながら同じ道を歩き続けている――まるで時間が止まったかのように。
その姿は哀れでありながらも、同時に深い人間性を感じさせます。
なぜなら、その根底には「生きたかった」「愛する人に会いたかった」という純粋な思いがあるからです。
こうした囚われの状態から抜け出すには、まず“気づき”が必要です。
自分がもう肉体を離れていること、そして恐れや後悔を手放してもよいことに気づくと、意識は自然に軽くなり、光の方向へ導かれていきます。
その過程では、ヘルパーと呼ばれる存在がそっと寄り添い、穏やかな理解の波を届けてくれることがあります。
魂がその光を受け入れるとき、囚われの領域は静かにほどけ、次の段階へ進む準備が整うのです。
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生きている私たちができるサポート
ヘミシンクの探求では、非物質世界に「ヘルパー」と呼ばれる存在がいて、こうした囚われた魂を導いているといわれています。
生きている私たちも、祈りや思いやりの気持ちを通じて、そのサポートに協力できることがあります。実際、意識の焦点を愛と平和に合わせるだけで、その波動が死後世界にも届くと考えられています。
私自身の体験では、亡くなった人を思い浮かべながら「ありがとう」「安心してね」と心の中で語りかけると、静かな温かい感覚が広がることがありました。
これは偶然ではなく、意識同士が共鳴しているからだと感じています。
非物質世界では、言葉や距離は障害にならず、思いそのものが届くのです。
たとえ相手が気づいていなくても、そうした思いが“光のきっかけ”となり、囚われていた魂の心を少しずつ和らげていくことがあります。
また、日常生活の中で亡くなった人の幸せを願うことも、立派なサポートのひとつです。
特別な祈りや儀式を行う必要はなく、ただ「あなたの旅路が光に満ちていますように」と静かに意識を向けるだけで十分です。
その思いは、ヘルパーたちが行う導きのエネルギーと共鳴し、より強い力となって届きます。
このとき大切なのは、“悲しみ”よりも“愛”を基調とした気持ちで祈ることです。
涙や寂しさを感じるのは自然なことですが、その奥にある温かな思いに焦点を合わせると、意識の波動がより高く穏やかになり、それが死後世界にいる魂の安らぎにつながります。
ヘミシンクのセッションでも、参加者が愛と感謝のエネルギーを向けたとき、周囲の空気が柔らかく変化し、穏やかな光に包まれる瞬間を何度も目にしてきました。
具体的には、
「どうか安らかに進めますように」
「もう心配しなくていいよ」
「光があなたを包んでいますように」
と静かに願うこと。
それだけでも、囚われた魂に光が届く場合があります。
これは宗教的な儀式ではなく、愛と思いやりに基づく意識の働きかけといえるでしょう。
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まとめ:死は終わりではなく意識の移行
突然の別れは、残された人にとって大きな痛みを伴います。
しかし、ヘミシンクの体験を通して私が感じているのは、「死は意識の終わりではなく、別の形への移行」であるということです。
死は断絶ではなく、連続する意識の流れの一部に過ぎない――そう感じたとき、死そのものに対する恐怖は静かに薄れていきます。
突然亡くなった方も、時間の経過とともに自分の状態を理解し、いずれは本来の道――中継点を経て新たな旅路へ――と進んでいきます。
その過程は人それぞれですが、どの魂にも共通して見られるのは、混乱や未練を超えた先に必ず「安らぎ」や「理解」が訪れるということです。
まるで長い夜が明けて、柔らかな朝の光に包まれるように、魂は自然と次のステージへと歩みを進めます。
ヘミシンクの体験では、そうした移行の瞬間を象徴するような“光の扉”のようなイメージを見ることがあります。
それは物理的な扉ではなく、意識の変化そのものです。
魂が恐れを手放し、愛と理解に包まれた状態になるとき、その光は一気に広がり、これまでの制限や苦しみが解けていくのです。
この光の中で、魂はようやく「すべてがつながっていた」という真実を思い出すのかもしれません。
そして残された私たちも、この理解を心に持つことで、死を“終わり”ではなく“変化”として受け止めることができます。
愛する人を想うたび、その意識は確かに響き合っています。
目には見えなくても、思い出や感謝の気持ちはエネルギーとして流れ、両者を結び続けるのです。
死を恐れるよりも、「意識はつながり続けるもの」と受け止めることで、少しでも心が安らぐならば、それがこの文章の意味だと思っています。
死は悲しみの終着点ではなく、愛と意識の連続の中で新たな形に変わる旅の始まりなのです。
免責事項
本記事の内容は、筆者のヘミシンク体験および個人的考察に基づくスピリチュアルな見解です。
医学的・宗教的・科学的な根拠に基づくものではなく、特定の信念体系を推奨するものでもありません。
ここで紹介している内容は、あくまで意識や魂に関する一つの視点であり、読者に特定の行動や信念を求める意図は一切ありません。
また、本記事は癒しや自己理解の参考となる情報を目的としており、医療行為・心理療法・宗教指導などの代替にはなりません。
もしも深い悲しみや喪失感、トラウマによって心身に不調を感じる場合は、信頼できる専門家や医療機関、カウンセラーなどのサポートを積極的に受けてください。
それは弱さではなく、自分を守るための大切な選択です。
ヘミシンクや意識探求の体験は人それぞれ異なり、同じ手法を行っても同一の結果が得られるとは限りません。
そのため、ここで述べている内容を一般的な事実として解釈するのではなく、あくまで一つの体験例・研究的視点として捉えていただけると幸いです。
読者の皆さまが自分自身の感覚や価値観を尊重しながら、本記事の内容を自由に受け止めてくださることを願っています。
死や喪失に関する悩みを抱えている方は、専門の相談窓口やカウンセラーへの相談もぜひご検討ください。
専門家の助けを得ることは、悲しみのプロセスをより健やかに進めるための大切な一歩となります。
筆者プロフィール
Hiro(アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナー)
延べ1000名以上の参加者をサポートした実績を持つ。スピリチュアルな体験を、現実的かつ安心して理解できる形で伝えることをテーマに執筆活動を行っている。
ヘミシンク・トレーナーとしての活動は十数年にわたり、初心者から上級者まで幅広い層に向けて意識探求や自己理解のサポートを提供している。
特に、死後意識や魂の仕組みに関するテーマを、日常生活と結びつけながら分かりやすく解説することに定評がある。
講義やワークショップでは、体験を通じて「恐れのない死生観」「愛とつながりを実感する意識状態」を体得することを目的としており、多くの参加者が「生きることへの安心感」や「死への自然な受容」を感じたと語っている。
また、スピリチュアルな学びを偏らずに伝えることを信条としており、非科学的な断定や依存的な思考を避け、常に現実とのバランスを重視。
自身の経験をもとに、“信じる”よりも“体験して確かめる”ことの大切さを説いている。
ヘミシンクをはじめ、意識の拡張に関するトレーニングを通して、誰もが本来持っている直感と内なる静けさに気づけるよう導いている。
現在はセミナーを中心に行いながら、ブログを通して、スピリチュアルな世界を現実的に生きるためのメッセージを発信している。


