スポンサーリンク

因果応報とかブーメラン効果とかカルマの法則なんてないと言い切るスピリチュアル専門家の言い分とは?

スポンサーリンク

因果応報とかブーメラン効果とかカルマの法則なんてない?

あなたは因果応報という言葉の意味をご存じでしょうか?

因果応報とは、良いことでも悪いことでも自分の行いは巡り巡って必ず自分に戻ってくるという考えです。

これと似た意味の言葉としてブーメラン効果とかカルマの法則などがありますが、基本的には同じ意味と思って差し支えありません。

自分の行いは最終的に自分に戻ってくるから、

・善い行いは幸福をもたらし
・悪い行いは不幸をもたらす

だから悪い行いは慎み善い行いだけをするように努めましょう、ということですね。

でもこれって本当でしょうか?

宗教的、教育的にはとても意義のある「教え」だとは思いますが、現実世界を生きる私たちにとってこれをそのまま受け入れるのは困難だと感じることもありますよね?

結論から言いますが、因果応報やブーメラン効果なんてただの方便です。

真に受ける必要なんてありませんよ。

今回はこの「因果応報」「ブーメラン効果」「カルマの法則」について、スピリチュアルの専門家として徹底的に解説していきたいと思います。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

なぜ人は因果応報、ブーメラン効果、カルマの法則を信じるのか?

私には常々不思議でならないのですが、なぜ多くの人は何の疑いも持たず無抵抗に因果応報とかブーメラン効果とかカルマの法則とかを信じてしまうのでしょうか?

昔も今も、私たちは大人になる過程でこの「すべての行いはめぐり巡って自分に戻ってくる」という考えを親や教師などから教え込まれてきました。

たしかに子どもの頃なら、自分よりも大きな存在である親とか教師の言うことを無防備・無抵抗にそのまま信じてしまうのも仕方のないことでしょう。

しかしあなたは大人なのではないですか?

大人なら子どもの頃にどんな教育を受けてきたにせよ、それが正しくないと思えるなら再度自分の中で考察し直すべきです。

で、質問ですがあなたはなぜ因果応報やブーメラン効果、カルマの法則が正しいと思うのでしょうか?

こうした考えに対し微塵も疑いを差し挟む余地はなかったのでしょうか?

 

因果応報やブーメラン効果が真実なら、なぜ他人を羨んだりするのか?

もしもあなたの知り合いに容姿端麗で頭脳明晰、しかも経済的にも裕福な家庭に生まれ育った友人がいたら、あなたはどう思いますか?

そんな「すべてを兼ね備えた人間」なんているはずない、どこかに欠点があるはずだ・・・そうだ、きっと性格がねじ曲がっているに違いない。

でもその友人は性格も素晴らしく、誰からも好かれる存在でした。

他にもあらゆる面で非の打ちどころのない、ある種完璧な存在だったとしたら・・・

あなたはこの友人を見てどう思いますか?

羨ましい・・・と思うかもしれませんね?

さらに自分とその友人を比較してしまい、自分に対して卑屈になってしまうかもしれませんね。

きっとその友人は普段から常にポジティブに物事を考え、誰に対しても優しく接し、いついかなる時も善行を心がけているから、その友人があらゆる面で素晴らしい存在でいられるのはそうした行いの結果、因果応報だ。

なんて説明されたら、あなたは素直に納得できますか?

 

スポンサーリンク

 

人には出来ることと出来ないことがある

因果応報、ブーメラン効果、カルマの法則などには「あなたの行いは必ずあなたに戻ってくる」という意味があります。

たしかに、犯罪を犯すなど社会のルールから外れた行いに対しては当然ながら報いを受けることになるというのはありますが、あなたの行動のすべてが本当にあなたに戻ってきているのでしょうか?

あなたがなにか行動を起こせば、それに反応するようになにかが起こるのは事実です。

しかしそれが善い行いだからと言って、あなたに返ってくる事柄が必ずしも善いこととは限りません。

こういうことを言うと多くのスピリチュアル系の人たちは「行動に対する結果が帰ってくるまでには時間差があるから、あなたが忘れた頃に善い出来事として帰ってくることもある」なんてことを言います。

では聞きますが、戻ってきた善い出来事がどうして過去のある時点の善行の結果だと判るのでしょうか?

そのふたつの出来事の関連性について、化学的でないまでも合理的な説明をしてほしいものです。

常に善行を心がけるとか簡単に言いますが、人間そんなにシンプルに生きている生き物ではありませんから常に善行なんて無理な話です。

ときには他人に嫌みや暴言のひとつも吐いてしまうかもしれませんし、雑な対応をしてしまうかもしれませんよね?

こうしたことは確かに良いことではありませんが、私たちが生きていく上で多かれ少なかれ誰でもやってしまうことだと思いませんか?

そりゃ善行を心がけて常に実行できればそれに越したことはないのかもしれませんが、それが出来る人なんてほんの僅かしかいないです。

ほとんどの人は状況によってネガティブな考えにもなりますし、あまり褒められない行動をしてしまうこともあるでしょう。

それが現実世界で生きていくということなんです。

 

因果応報やブーメラン効果、カルマの法則なんてただの方便

結論をはっきりと言いましょう。

因果応報やブーメラン効果、カルマの法則なんてそもそも存在しません。

これらはただの「方便」です。

私たち人間が生きていく上で、思い通りにならない出来事や納得のいかない出来事に遭遇した時に自分自身を納得させるための「心のリリース弁」みたいなものです。

何か行動を起こして、それが思わぬ結果になったりした場合、

「あんなことしなきゃよかった・・・因果応報だゎ」
「あいつに辛辣なことを言ったせいで自分も情けない気分になっている・・・これってブーメラン効果だよな」

なんて思って自分の行動なり言動なりを反省する。

そうすることで自分の行動・言動に対する不快感を取り除こうとするワケですね。

そういう意味ではこの因果応報やブーメラン効果という考え方は実にうまく出来ているし、さまざまな場面で有効に機能しています。

ですから私は因果応報やブーメラン効果、カルマの法則といった考え方そのものを否定するつもりはありません。

そうした考え方をすることで、自分の中で少しだけでも納得できるのであればそれは決して悪いことではありませんからね。

筋肉痛に湿布を貼ると気持ちいい・・・みたいなものと言えるかもしれません。笑

しかしながらこうした考え方も、ときには大きな弊害を生むことがあります。

 

因果応報とかブーメラン効果に囚われない生き方

例えばあなたが自分の考えを主張しようとしたときに、他の人と明らかに異なった考えだった場合には、

こんなことを言ったら変人とか思われちゃうかも・・・

なんて考えて自分の想いを心の中にとどめてしまい外に出さない場合があります。

自分の周りの人たちと違った考えを発信することで、周りから自分自身を否定されるとか仲間はずれにされるとか、そうした「因果応報」を恐れてしまい行動に出ることが出来ない・・・

こうなってしまうと、それって本末転倒ですよね?

最近では多様性という言葉が広く使われるようになってきましたが、これは多様性を認めない社会があるから出てきたことです。

自分が正しいとしても、自分よりも立場が上の人が違った考えを持っていればそれに合わせないとその社会で生きていけない・・・これが忖度社会の構造といえます。

あなたにとって正しいことでも、相手にとって正しくなければそれは正しいとは判断されないんです。

つまり、あなたは正しいことをしたとしても、それによって戻ってくる結果はあなたにとっては決して正しくないものだったりすることだってあるということです。

いやそれは違う・・・と反論するスピリチュアルの専門家もたくさんいることでしょう。

正しいことをしていれば時間差で必ずその報いが来るものだ。

もうそういう詭弁はやめにしませんか?

人間生きていれば良いことも悪いこともあるでしょう。

良いことをしたからと言って必ずしもそれに見合う結果があなたに返るとは限らない。

そろそろそれを認めませんか?

最初から因果応報なんて存在しないんです。

Aという行動の結果としてBが戻ってきて、Bという行動に対してAという結果が戻ってきた。

これはそれぞれの行動に対する結果が入れ子になって戻ってきたと言うことだ、なんて無意味なことを言うのはナンセンスです。

Aという行動に対してBという結果が返ってきたなら、それはそう言うことなんですよ。

善行の結果は幸福とは限らないし悪行の結果が不幸とも限らない。

そのことにスピリチュアルの人たちも気付くべきです。

 

スポンサーリンク

 

物事や出来事の本質とは?

そもそも物事や出来事に善行も悪行もありません。

そんなことを言っている時点で、物事を正確に理解出来ていない証拠です。

物事や出来事はそれ自体、善でも悪でもありません。

単なる「イベント」に過ぎないんです。

あなたが困っている人助けた。

このこと自体はあなたの単なる行動に過ぎず善でも悪でもない。

その行動にあなた自身あるいは困っていて助けてもらった人がどう意味づけするか。

あなたがクルマを運転しながらゴミを窓から投げ捨てた。

このこと自体もたんなる「出来事」であり善も悪もありません。

それを見ていた人や投げ捨てたあなた自身がその行動にどう意味づけするか。

お分かりでしょうか?

善行が幸せを呼ぶとか悪行が不幸を招くというのはすべて「後付け」だということが。

そしてこの後付けの意味は、その意味づけをした人によって変わってくるんです。

だとしたら因果応報って何でしょうか?

こうしたことに囚われて生きると言うことが、いかに無意味なことかお分かりいただけましたか?

 

結局のところ

今回は因果応報やらブーメラン効果やらカルマの法則やらといった考えに意味がないことを解説してきました。

似たような考えに「自業自得」とか「その行動の末路」なんていうのもありますね。

こうした考えに囚われすぎると、世の中がとても生きにくいものに感じてしまうこともあります。

すべては詭弁に過ぎません。

あなたの思うように生きていけば良いんです。

もちろん、法に触れるようなことをしないとか最低限の他人に対する思いやりをもつということは必要ですが、あなた自身を制限する物事に必要以上に屈服する必要はありません。

因果応報とかブーメラン効果のような考えは、あなた自身が自分の行動や考えに一定の基準を持つためには必要かもしれませんが、他人と合わせるためのものでは決してありません。

巷で言われているような「因果応報」とか「ブーメラン効果」「カルマの法則」なてものはそもそも実態のないものですからね。

 

ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

タイトルとURLをコピーしました