あなたのところに来ては愚痴をこぼす人・・・
あからさまに嫌な顔をすることはないでしょうが、内心は穏やかではないですよね。
なんでわざわざあなたのところに来て愚痴をこぼすのでしょうか?
本当にもう、うんざりしちゃうんだよね!
なんて他の人のところに行ってボヤいていませんか?笑
愚痴をこぼす人、その愚痴を聞かされる人。
スピリチュアル的な視点に立つと、どちらにも意味があるんです。
今回は愚痴についてスピリチュアルな視点で考えてみたいと思います。
愚痴を聞かされる人はストレスでパンパン
愚痴って、自分以外の他人から不本意なことをされたり言われたりしたときに、それに対処しきれなくて自分の内側に溜まった不満のことですよね。
広辞苑には次のように出ています。
言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。
出典:広辞苑第六版
その場で処理しておけば良かったものを、上手く処理できなかった・・・あのときちゃんと処理しとけば良かったのに・・・残してしまったのは自分だし、今さら言っても仕方がないんですけどね。
つまり、自分がその場で処理しきれず自分の中に残ってしまった澱(おり)のようなものが愚痴の正体なんです。
自分の責任とは言え、それが存在すること自体あなたにとってはストレスそのものです。
これをいつまでも自分の中に溜め込んでおくと次々に折り重なって増えていきますから、気付くとあなたの心の内側はストレスでパンパンに膨れ上がった状態になってしまいます。
これを何とかしなくてはなりません。
このまま放っておくとあなたの心が壊れてしまう可能性すらありますから危険です。
知らず知らずのうちにたまったストレス・・・
溜め込んでしまったものは吐き出すしかありません。
吐き出したものが「愚痴」なんですね。
自分の中に溜まりに溜まった澱(おり)を吐き出してしまえば、あなた自身はかなり楽になります。
というわけで、あなたは誰かに愚痴をこぼすわけです。
ここまでの説明でご理解いただきたいのは、愚痴をこぼすこと自体は悪いことでも何でもなく、むしろあなた自身の心の健康を維持する意味では必要不可欠なことだということです。
そもそも愚痴を聞かされるとすごく疲れる
ここであなたはひとつの疑問を感じていませんか?
愚痴をこぼす側はそれでいいかもしれないが、聞かされる側はたまったもんじゃない!
そのとおりです。
愚痴を聞かされる側にとっては何のメリットもなく、ただただ疲れるだけです。
そりゃそうでしょう、その愚痴はあなたにとっては何の関係もないんですから。
だったら「おまえの愚痴なんか聞きたくもない、あっち行け」と言って追い払えば・・・って、それが出来たらそもそも愚痴を聞かされることはないんですけどね。笑
聞きたくもないのに聞かされる、そして聞いた後はすごく疲れる。
でもそれを避けることが難しいのには理由があります。
愚痴も過ぎればハラスメントになる
あなたに愚痴を言ってくる人を思い浮かべてみてください。
当然のことながらあなたに全く縁もゆかりもない人が愚痴を言ってくることはありませんよね?
あなたに愚痴を聞かせてくる人は、あなたと近しい関係になる人のはずです。
たとえば以下のような。
友達
仲の良い友達は、あなたが自分の愚痴を聞くのは当然といった態度で、近寄ってくるなり
「ねえねえ聞いてよ、頭に来ちゃうンだけど」
と愚痴をこぼし始めます。
あなたが聞きたくないと思っていてもお構いなしです。
それこそマシンガンのような勢いでまくし立ててきます。
あなたはそれを、為す術もなく微笑みすら浮かべながら黙って聞き続けます。
職場の同僚や上司
職場の同僚も仲の良い友達と同じく、遠慮なくあなたに向かって愚痴をこぼします。
たいがいは職場の上司や取引先の嫌な担当者などへの不満でしょう。
直接本人に言い返したり反論したりできない相手への不満をあなたにぶちまけるんですね。
職場の同僚は必ずしも仲が良いというわけでもないでしょうから、友人から聞かされる愚痴異常に疲労感は高いことでしょう。
さらに疲れるのは職場の上司からの愚痴です。
特に飲みに行った席などで延々と愚痴られたりしたらたまったものではありませんよね。
会社で上下関係がある間柄で聞かされる愚痴は、嫌な顔も出来ないでしょうし逃げることも出来ないため、溜まるストレスは相当なものです。
親や兄弟
親や兄弟からの愚痴も厄介ですね。
親や兄弟は同じや目の下に生活していたりすることが多いため、あなたに逃げ場がありません。
特に食事の時なんかに愚痴がグチグチと始まった日には、ちゃぶ台をひっくり返したい気分になりますよね。笑
ただ、救いは「聞きたくない」という意思表示が友人や職場の人たちに対してよりは言いやすい点でしょうか。
あなたが強い態度に出たとしても、時間をかけて修復できるのが親や兄弟のいいところです。
夫・妻
夫婦関係というのはある意味「愚痴のるつぼ」といえます。
もともとは赤の他人の二人がひとつ屋根の下で暮らしていくわけですから、そりゃ不満も溜まるってもんです。
で、ついつい愚痴っちゃう訳ですが、お互いに愚痴りたい状況だったりすると相手から思わぬ攻撃を受けることも多々あります。
「なんだよ、ちょっと愚痴っただけじゃないか」
は通用しません。
そこから互いの不満が爆発してとんでもない大喧嘩に発展してしまうこともしばしばです。
ここまでの例はどれも、あなたに過度のストレスを与えているということからハラスメントになることもあり得ます。
異性
これまでの例とは若干ちがいますが、異性の友人があなたに愚痴をこぼすこともあります。
たとえば学生なら同じクラスの仲の良い子とか、社会人なら職場の異性の同僚とかですかね。
同性同士とは違い、一般的には異性に対しては相当仲が良くならないと愚痴をこぼしたりはしないものです。
ですからあなたに愚痴をこぼしてくるということは・・・もしかして脈あり?
なんて別の意味で考えちゃったりするかもしれませんね。笑
意外に多い?ステルス型の愚痴とは?
あなたに愚痴をこぼす相手というのは、あなたと近しい人間関係の人であるということは理解いただけたと思います。
ここで、ステルス型の愚痴について説明しておきたいと思います。
ステルス型の愚痴って聞きなれない言葉かもしれませんが、これが思いのほか厄介です。
ステルス型の愚痴は、愚痴っぽくない装いであなたに振りかかってきます。
たとえば、
・おまえのためを思って忠告してやってるんだ
・おれは夢を叶えられなかったからおまえにそういう思いはさせたくない
・おれたちの世代が頑張ったから今があるんだよ
みたいな。
どれももっともらしいことを言っていますが、結局のところ単なる愚痴に過ぎません。
どんなに言葉を代えてみても、聞かされる側にとってはストレス以外の何ものでもありませんから。
愚痴を聞かされるスピリチュアルな対処法とは
ここまで様々な愚痴について見てきましたが、こうした愚痴に対する対処法のようなものはないのでしょうか?
実はスピリチュアルな視点で考えると、これ以上ない対処法が見えてきます。
この対処法はシンプルかつ絶大な効果があります。
愚痴る人と距離をとれ、は間違った考え
よくスピリチュアル系のブログなんかを見ていると、愚痴る人からのネガティブな影響を受けないように離れましょう、みたいなことを書いている人が大勢います。
しかしこの考えは大きな間違いです。
こうした考えは、自分さえよければ他の人はどうなってもいいという身勝手な発想が根底にあります。
ネガティブな存在には近づくな、自分のエネルギーが吸い取られるぞ、とか言いたいのでしょうが、そうした考え方が最もネガティブなものだということに気付いてさえいないのです。
そもそもこうした考え方をする人は宇宙の仕組みが全く理解できていない「ニセモノ」と言えるでしょう。
ネガティブなものを避けて遠ざければ遠ざけるほど、宇宙の二極分化は進むでしょう。
それが物質世界の争いのもとになっていることに気付いていないのです。
ですからネガティブなものから離れろ、距離をとれみたいな子とをいい手いる人の言うことは決して信じてはいけません。
宇宙の仕組みがわかっていないから、ネガティブだポジティブだと大騒ぎするんです。
宇宙においてはネガティブもポジティブも同じことです。
この辺については別稿で詳しく説明したいと思いますので、ここでは割愛します。
愚痴はお互いさま
あなたは他人の愚痴なんて聞きたくないと思っているでしょうが、あなただって誰かに愚痴っているはずですよ?
気付いてますか?
実はこれって当たり前のことで、あなただってどこかで溜まったものを吐き出さなければ大変なことになってしまいます。
ですからあなたが誰かに愚痴っていること自体を悪いことだと思わないでくださいね。
みんな誰かの愚痴を聞かされ、誰かに愚痴をこぼすんです。
つまり「お互いさま」ってことです。
そう思うと少しは気が楽になるでしょう?
愚痴を聞かされるのは「必要なこと」
さらに深堀りしていきますね。笑
あなたが誰かに愚痴を聞かされるのって、実はあなたにとっても必要なことなんです。
え、そんなわけ無いでしょう、他人の愚痴なんて聞いても何のメリットもないよ!
そう思っているかもしれませんね。
でもそれは大きな間違いです。
あなたが相手の愚痴を聞いてあげることで、相手のストレスを解放するお手伝いをしていることになるんです。
あなたという存在があるからこそ、相手の人はストレスから解放される。
あなたが思っている以上に、あなたは相手の役に立っているんですよ。
つまり、愚痴を聞くことは「人助け」なんです。
愚痴る人と一緒になって思い切りストレスを発散させてあげてください。
そういう風に考えれば、愚痴を聞かされるのもあながち悪いことではありませんよね?
ひとしきり愚痴を聞いてあげて、相手の表情が少しでも和らいでいたとすれば、それはあなたのおかげです。
で、結局のところ
結局のところ、愚痴を聞かされるのはお互いさまなんです。
息を吸えば吐かなくてはいけません。
吸ってばかりでは死んでしまいますよね。笑
愚痴も同じことです。
自分の内側に溜まった澱(おり)を吐き出す。
誰かが掃き出した澱(おり)は別の誰かが引き受ける。
この繰り返しです。
ね、お互いさまでしょう?
そう考えれば愚痴を聞くことって別に特別なことでも何でもなくて、呼吸をするのと何も変わりません。
相手の愚痴をひと通り聞いてあげて、相手の表情が少しでも柔らかくなったとすれば、それってあなたにとっても嬉しいことではないですか?
ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。