神社を参拝する人が増えています。
純粋な信仰心を持って参拝する人もいれば、パワースポットのエネルギーを感じたくて訪れる人、御朱印を集めるために訪れる人など目的もさまざまです。
霊験あらたかな神社もありますが、なかには不安な気持ちになったり怖いと感じる神社もありますよね。
この感じ方の違いは何なんでしょうか。
感じ方の違いについて多くの人は変な勘違いをしているようです。
今回は神社の「感じ方」について、スピリチュアルな視点からしっかりと説明し誤解や勘違いを正していきたいと思います。
なぜ神社を怖いと感じるのか
そもそもなぜ神社を怖いと感じるのでしょうか。
神社は神様を祀る場所であり、むしろ神聖な領域なため清涼感を感じたりするのが一般的なのですが、実際問題としてそうではない神社も少なからず存在します。
飛鳥時代よりも前、古墳時代の後半に大陸から日本に仏教が伝わってくるまでは、神は万物に宿る(八百万(やおよろず)の神)という考えが一般的であり、神様は私たちの身近にたくさん存在していました。
このため古墳時代よりも以前の日本人は常に神様とともにいたため、崇拝信仰のようなものはなかった(必要なかった)んですね。
まあ細かいことを言えば、さらに前の弥生時代にはすでに大陸との交流はあったため、宗教としてではないまでも祈祷という風習はあったようです。
弥生時代のもっとも有名な祈祷師は卑弥呼ですね。
やがて大陸から仏教が入ってきて、多神教から一気に一神教へと変化していく訳です。
こうした時代の流れの中で、日本中に多くの寺社仏閣が造られていきます。
神を信じ崇拝することで救われるという、現在の宗教観もこの時代以降に形成されたものと考えられます。
仏教伝来以前の日本では、神様はいつも私たち一人一人の身近にいて、語りかければ答えてくれる存在でした。
ですから祈るための場所すなわち寺社仏閣なんて不要だったんでしょう。
時代の変遷とともに私たち日本人の信仰心も変化してきました。
八百万の神という発想は、森羅万象(存在するあらゆる物事)に神が宿っていてそれらがみんな私たち人間を見守ってくれているというものですから、神様が怖いとかいう感覚そのものが存在しませんでした。
それが徐々に一神教(仏教)へと移っていき、さらに信じるものは救われる的な教条思想まで入ってくることで、日本人の信仰心はグチャグチャになっていきます。
この「信じるものは救われる」という考え方は「信じないものは救われない」ということであり、神様の御利益は信者限定のものへと徐々に変わっていきます。
もともと多神教である神道も、仏教との共存の中で影響を受けていきます。
人は死ねば神になるという神道の考えから、死者を神として祀る神社も数多くあります。
たとえば明治天皇を祀った明治神宮とか、菅原道真を祀った太宰府天満宮とか、乃木希典を祀った乃木神社とかが有名ですが、これ以外にも数多く存在します。
そしてこうした神社に、妙なことを言い出す人たちが増えていきました。
たとえば神田明神は平安時代の武将である平将門を祀っていますが、将門が命を落とした後に、対抗勢力が成田山新勝寺を建立したため、両方を参拝するとよろしくないことが起きるとか。
なんとも生々しい話ですよね。
こうした「生半可な気持ちで行くと痛い目に遭う」とか「よくないことが起きる」などという言い伝えがある神社っていっぱいあります。
そういう話を聞くと、何となく怖いなと感じてしまうのは仕方のないことかもしれません。
まあ、そういう因縁めいた話だけでなく、行ってみたら鬱蒼とした林の中にあって雰囲気が怖いとか、ちゃんと管理されていないため朽ち果てかけていたりして怖いとか・・・
神社が怖いと感じる理由は結構あるようです。
神社はすべてパワースポットなのか
さて、神社はパワースポットだということで、参拝することでエネルギーをもらえるという人もいますが、すべての神社がパワースポットというわけではありません。
確かに土地のパワーが強い場所にある神社が多いのは事実ですが、長い年月の間に場所を移されたりしたこともありますし、また土地のパワーが弱まってしまったようなケースもあります。
昔の人はその土地に何かのパワーを感じてそこに神社を建てたため、多くの神社はパワースポットと言われるんですね。
しかしながら、いくらパワースポットでも全ての人がそれを感じるわけではありません。
当然のことながら神社の発するエネルギーと共鳴する人もいれば共鳴しない人もいる。
共鳴する人にとってはその神社は最高のパワースポットなんでしょうが、共鳴しない人にとってはその場に行っても何も感じません。
さらに共鳴しないどころか不協和音を奏でる(要はその神社と合わない)人にとっては、その神社にいること自体が不快だし、場合によっては怖いと感じるかもしれません。
そもそもパワースポットなんて言うのは人によって感じ方が違うため、一律に「ここがパワースポットだ」なんて決められるものではないんですよ。
なお、パワースポットに関しては以下の記事で詳しく書きましたので併せてお読みくださいね。
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行ってはいけない神社
事ほど左様に、時代の流れの中で神社そのものの立ち位置が変化してきている中、多くの人が自分に都合のいいように好き勝手なことを言い始めているんですね。
神社そのものは多神教である神道の流れにあるものですから、本来何がいいとか悪いとかいう教条は一切ありません。
にもかかわらず、決め事やしきたりが大好きな日本人はそうしたある意味自由な信仰を次から次へとさまざまなルールで縛っていきました。
たとえば鳥居をくぐる際には神さまへの敬意を表して軽く会釈せよとか、参道の真ん中は神さまの通る場所だから端っこを歩けとか、参拝の前には手水社で禊ぎせよとか、参拝の際には二拝二拍手一拝だとか・・・
このようなルールはすべて後付けで作られたものです。
最も有名な二拝二拍手一拝なんて、戦後に神社祭式・行事作法にて制定されたもので、一般に広く浸透したのは平成に入ってからという説もあります。
そもそも参拝で大事なのは心であって、作法ではありません。
その辺を勘違いするから、二拝二拍手一拝の意味も分からず「みんなそうするから」とばかりに真似をして参拝するワケですよね。
こうした勘違いは誰にもコントロールされず、広く深く日本中に浸透していきます。
そんなものの中に「行ってはいけない神社」なんて話もあるわけです。
素人が行ってはいけない神社って?
結論から言いますが、行ってはいけない神社なんて日本中探してもひとつもありませんから。
そりゃそうでしょう、神社って神をまつった場所ですよ。
行ってはいけないはずがないじゃないですか。
それを昔の因縁がどうとか、ネガティブなパワーが強いとか、行くと神さまの怒りに触れるとか、いかない方がいい理由をまことしやかに並べ立てている人がいますが、恥を知れと言いたいです。
いいですか。
相手は神さまですよ。
神さまが生前の因縁とか人間みたいに怒りの感情を持っているとか思う方がおかしい。
もっと言ってしまえば、そもそも神さまというもの自体、人間が作り出した産物にすぎないわけで、だからこそ人間みたいに因縁がどうのとか怒りがこうのとかくだらない話になるんですよ。
人間は死ねばそういう因縁とか怒りなどとは無縁の世界へと移行しますから、参拝に来た人に悪い影響を与えるなんてことは、あるはずがないんです。
何が面白くてそんなデタラメを広めるんでしょうか。
あるサイトを見てびっくりしたのは、素人が行ってはいけない神社があるんだそうです。
なんですか、素人って。
誰が素人で誰がプロだというのでしょう?
もうこの記事を書いた人は頭がおかしいとしか思えません。
そういう記事に振り回されないようにしたいものです。
なぜ人はそうやって依存するのか
訳の分からないことを書いて人々を不安がらせる人の存在は困ったものですが、いちばん困ったものは「それを真に受けてしまう人」です。
ちょっと考えれば分かりそうなものでしょう?
行ってはいけないといわれてその神社に行くのをやめたとか、なんでそんなに主体性がないんですか?
あなたに「その神社には行かない方がいい」と言っている人は、あなたの知り合いですか?
ほとんどはたまたまネットで見つけたサイトにそう書いてあったとか、その程度じゃないですか?
何故あなたは会ったこともない、どんな人かも分からない、発言に責任を持つ人かも分からないような人の言うことを疑うこともなく鵜呑みにしてしまうんですか。
そういうのを他人依存といいます。
自分で考えることを放棄し、一方的に相手の言うことを受け入れてしまう。
それっておかしくないですか?
神さまを祀った神社なのにどうして行かない方がいいのだろう・・・
と疑問に思うでしょ普通は。
そういう人は簡単に欺されますよ。
あなたには不吉な相が出ている、厄除けのためにこれを買って毎日祈りを捧げなさい、とか言われて真に受けて、何十万もする壺を買わされたりしちゃいますよ。
そして疑うこともなく、その壺に向かって祈り続けるんです。
そんな目に遭いたくないなら、もっと頭を使いましょうよ。
ちょっと考えれば分かることなのに考えないで欺されたら、それは欺す側と同じくらいあなたも悪いですよ。
神社が怖いと感じることはあるでしょう。
なんとなく雰囲気が好きになれないとか、人気がなくて殺風景だとか、手入れがされていなくて廃墟のようだとか。
でもそれが行ってはいけない理由にはなりません。
行って気持ちの良くない場所かもしれませんが、行ってはいけないと言うことはないんですよ。
その辺はあなた自身がしっかりすることで、相手の言っていることがまともかどうかを見極めることは出来るでしょう?
結局のところ
今回は神社が怖いと感じる意味について説明してきました。
因縁とか祟りとか神さまの怒りとか、そういうことは一切関係ありません。
ただその神社の雰囲気にあなたが馴染めない、ただそれだけのことです。
まあ行って気持ちの良くない神社なら、わざわざ何度も行く必要は無いですが、行ったことであなたに何らかの災いが降りかかるとか、そういうことはありませんから安心してくださいね。
ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。