人は死んだ後に何らかの理由で生き返る・・・なんてことは本当に起きるのか?
死んだ人が生き返って死後世界の様子を赤裸々に語ったとすれば、これはもう完璧な死後世界が存在する確証になるのですが、実際には死んで生き返った人が死後世界を語ったという事例は今のところ報告されていません。
この辺のことは本稿の後半で詳しく取り上げるとして、まずは「人は死後に何らかの理由で生き返ることはあるのか」について考察していきたいと思います。
多くの人にとって想定外の結論になりますので、どうか最後までお読みください。
死後に生き返る可能性
よくTVのバラエティ番組などで、死んだはずの人が棺の中から叫んでいる・・・みたいな怪談めいた話をやったりしていますが、そもそも一度死んだ人が何らかの理由で再び息を吹き返すなんてことが本当に起きるものなんでしょうか。
普通に考えれば「そんなわけないじゃん、それ何情報?」と問いただしたくなりますよね。
まあオモシロ半分のバラエティショーとかネット記事などでは、こうした情報がまことしやかにささやかれていますのであなたも目にしたことがあるかもしれません。
で、実際のところ死後に生き返るなんてことはあるのかないのか。
そこのところを海外の事例と国内の事例を見ながら考察していきます。
海外における事例
海外にはこうした事例がいくつかあるようです。
例えばヨーロッパに住む83歳の女性が自宅のベッドで呼吸停止になり、救急隊により心停止が確認された事例。
救急隊員に死亡宣告をされてから10時間経っても身体が温かいため、再度救急要請し病院に運び込んだところ、担当の医師はこの女性は死んでおらず深い昏睡状態のため生命の兆候がほとんど見られない状態であると判断しました。
その後この女性は昏睡状態から回復し意識を取り戻しました。
また、南米では76歳の女性が通夜の最中に棺の中で動いていることが確認された事例。
直ちに通夜を中断し、この女性を病院に搬送したところ、生存が確認されたとのことです。
これらの事例以外にも、南米エクアドルで通夜の最中に棺の中で呼吸している音が確認されたとか、アメリカで死後3時間経った女性が葬儀場で息をしているを確認されたとか、結構あります。
ただしこれらの事例はどれも死亡確認が不十分であり、死んでいないにもかかわらず医師が死亡宣告していた等、およそ日本では考えにくい事例がほとんどのようです。
国内における事例
では日本国内ではどうでしょう。
昔は死んだ人がしばらくして息を吹き返したという事例もあったようですし、その可能性も否定できなかったようです。
このため法律にも「死後24時間以内は火葬してはならない」と定められています。
しかしながら現在では死亡診断を受けた人がその後生き返るということは100%あり得ません。
これは日本国内における死後処理のためです。
国内においては、死亡診断が下されたご遺体は葬祭業者により速やかに死後処理を施されます。
死後処理では、肉体の機能停止に伴い体液が流出してしまうことを防止するため鼻腔や喉に凝固剤や綿を詰めますが、この処置により気道が塞がれ呼吸が出来ない状態になります。
さらに火葬までの間(法律により最短でも24時間後)はドライアイスで冷やされるため、もはや生き返りようのない状態になっていると言えます。
このため国内においては死後に生き返る可能性は限りなくゼロであると言えるわけです。
それでも火葬の最中に生き返ることがある?
しかしながら、火葬の最中にご遺体が動いたとか起き上がった、という話を聞くことがあります。
マジ?
と思いますよね。
この「火葬の最中にご遺体が動く」というのはあり得ることのようですが、だからといって生き返ったわけではありません。
これは火で焼かれることでご遺体が反り返ったりするため、あたかも動いているように見えてしまうから。
この辺については以下の書籍(漫画)に詳しく書かれています。
つまり、決して死んだ人が生き返ったからではないと言うこと。
言い換えれば一度死んだ人が生き返る可能性なんてゼロである、と言うことですね。
死後世界を垣間見ることの可否
ここまでの説明で、人は死んでしまえば二度と生き返ることなどないと言うことが分かります。
つまり死後の世界を見てくることなんてどんなに頑張っても無理な相談だと言うことです。
言い換えれば死後世界の存在を確証をもって示すことは限りなく困難だと言うことですね。
でも私たちは例外なく死にます。
ですから私たちが死後どうなってしまうのか、すべての人にとって他人事ではないんですよ。
死後世界の存在については、科学の視点とスピリチュアルの視点で全く違った結論が出てきます。
死後ふたたび生き返ることは叶わずとも、死んだらどうなってしまうのかは誰しも興味のあることですよね。
というわけで、ここからは死後世界について科学の視点とスピリチュアルの視点でどのように結論が違うのかを見ていきます。
科学的視点
まずは科学の視点。
死は肉体の機能停止を意味しますから、肉体はこれ以上、生きていた時と同じ状態を保つことは出来なくなります。
ひとつの例外もなく肉体の全ての部位の機能が停止しますから、当然ですが脳も機能停止します。
脳には私たちが生きてきた全ての記憶や体験が格納されていますが、脳の機能停止によりこれらの記憶・体験もすべて消えてなくなってしまいます。
このことから科学では「死は全てが無に帰すこと」と明言します。
つまり私たちが生前にどんなに素晴らしい人生を送ったとしても、死んでしまえば何もかもが消えてなくなってしまうと。
果たして本当にそうなのでしょうか。
スピリチュアルな視点
スピリチュアルでは、科学とは全く違った結論になります。
科学ではなぜ「死は無」となるのか。
それは「人間が肉体である」という前提がこの結論をもたらします。
人間は肉体がすべて、それ以上でもそれ以下でもない、だから死ねば人間の全ては消えてなくなってしまう、脳に記憶された人生のあらゆる思い出や体験も。
これに対しスピリチュアルでは「人間は肉体だけの存在ではない」と考えます。
人間は肉体とは別に「意識」を持っている。
この意識は脳に記憶されたものではなく、肉体とは別に存在する「形のない」ものである。
そう考えるわけです。
意識は肉体とは別物ですから、肉体が機能停止(科学が説明する死)したとしても意識は消えてなくならず残ります。
人間が肉体から独立した「意識」を併せ持った存在である、と考えたとき、肉体の機能停止すなわち死は無に帰すことではなくなります。
肉体は消滅しても意識は残る。
そして人間の主体が肉体ではなく意識にあるとするならば、私たち人間は死なない、とも言えるわけです。
有限の存在である肉体は数十年で機能停止してしまうけれども、意識は機能停止した肉体から離れ、別の肉体と一緒になって新たな人生をスタートする。
こうしていくつもの肉体を渡り歩いてさまざまな経験を重ねていくことを「生まれ変わり」というわけですね。
このように考えてはじめて、生まれ変わりや前世・過去世について説明が付くんです。
死後に生き返ると考えることは全くの無意味
私たちが死と認識しているのは、単に肉体が機能を停止した状態に過ぎません。
肉体が機能停止すれば、肉体は時間とともに朽ち果てていきますが、意識は相変わらず存在し続けます。
つまり意識は死なないと言うことですね。
だとすれば、死後に生き返るかどうかを考えること自体に何の意味があるのでしょうか。
肉体が機能停止しても意識は存続し続けるのであれば、肉体が生き返る(機能復活する)ことに固執する理由もなくなります。
肉体が機能停止し、意識は死後世界を経て新たな肉体を得て生まれ変わります。
生まれ変わることで今の人格は失われますが新たな人格を手に入れるわけです。
肉体の脳を通してこのプロセスを知覚・認識するのは非常に困難ですが、意識はちゃんと理解・認識しています。
ですから意識が肉体から離れたときに、これまで繰り返してきた人生の総体としての記憶・経験はすべて認識することが出来るんです。
こう考えると、死後に(その死んだ肉体で)再び生き返ることが無意味であると理解できますね。
結局のところ
今回は「人は死後に生き返る」ことの可否と意味について考察してきました。
生き返ることについてはほぼ100%の確率で不可能と言って良いでしょう。
そして生き返る意味については「死」をどう捉えるかで全く違った結論に至ります。
科学の視点のように死が「無に帰す」と考えるなら、死は全ての終わりを意味します。
つまり死を遠ざけたい、死んでも生き返れるものなら生き返りたいと切望するかも知れません。
しかしスピリチュアルの視点のように死は「単なる肉体の機能停止」であり人間の主体が肉体ではなく意識にあると考えるなら、死は存在しないことになります。
であれば、死ぬとか生き返るとかを考えること自体が無意味なことになるわけです。
あなたが死についてどう考えるかで、死の意味も生き返ることの意味も全く違ったものになる。
それはあなたが決めること、なんです。
ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。