臨死体験をした人の多くが、その後の人生観が大きく変化してしまう。
そんな話を聞いたことはありませんか?
自分の持つ人生観が臨死体験を境に全くちがった物になってしまうのはなぜでしょうか?
まあ、臨死体験というのは九死に一生を得るようなとてつもない体験ですから、人生観が変わってしまうのも何となくうなずけます。
でも、ここでひとつの疑問が生じます。
臨死体験って、どんな体験?
今回は、臨死体験について説明していきたいと思います。
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臨死体験でなぜ人生観が変わるのか?
あなたは臨死体験というと、どのような体験をイメージするでしょうか?
たとえば、
交通事故で生死の淵をさまよい三途の川をみた、とか、突然の脳疾患で意識を失い3日間意識不明の状態が続き、その間にお花畑のようなところで死んだはずのおじいさんとおばあさんに会った、とか・・・
私の身近な例としては、妻が臨死体験をしています。
もう20年以上前のことですが、インフルエンザで40度の高熱にうなされている最中に持病の発作性頻脈が出てしまい、意識が遠のいてしまいました。
救急車で病院に運ばれる最中、だんだん苦しさがなくなっていき「ああ、死ぬのってそんなに苦しくないんだ・・・これなら死んじゃっても良いかも」なんて考えているときに、まだ小さかった息子の声が聞こえたと言います。
その瞬間、意識が一気に戻り、それと同時に苦しさが戻ってきたのだそうです。
別のケースとして、アメリカの脳神経外科医であるエベン・アレクサンダーに起きた出来事は有名です。
彼は臨死体験なんて科学で説明出来ない現象については完全に否定していましたが、自分自身が脳疾患によって生死の淵をさまよう体験をすることになります。
そしてその体験は、科学的かつ合理的な説明が出来ないものでした。
それ以来、彼は臨死体験でみた世界は「死後世界」として確かに存在すると確信しています。
臨死体験で垣間見る世界とは
こうしたケース以外にも、さまざまな臨死体験の報告例がありますが、これらに共通しているのは「今までの世界とは異なった世界」を垣間見ているということでしょう。
こうした現象を、
・そんなのインチキだ!
・ただの幻覚であり死後世界なんかじゃない!
・すべて脳科学で説明出来る!
と、真っ向から否定する人も少なくありません。
確かに科学の立場からは、死後世界なんて認めるわけにはいかないのでしょう。
だからといって臨死体験者がみてきたものをインチキ呼ばわりしたり、幻想幻覚と決めつけてしまうのは早計すぎます。
臨死体験のすべてが脳科学で説明出来る、というのも明らかに間違いです。
先ほど登場したエベン・アレクサンダーの体験には、科学では絶対に説明出来ない体験が含まれていますし、説明の付かない体験というのはひとつやふたつではありません。
では、そうした説明の付かない「今までの世界とは異なった世界」が死後世界である、と結論づけることは出来るのでしょうか?
はっきり言って、その世界が死後世界である証明は誰にも出来ません。
なぜなら臨死体験者といえども、死ぬことなくコチラの世界に帰還している訳ですから。
彼らがみてきたのは「死後世界」というよりも「死後世界の入り口」なのではないか、と思われます。
臨死体験により人生観はどう変化するか
さて、そうした死後世界の入り口を垣間見てきた人たちが、なぜ人生観が変わってしまうのでしょうか?
これについては、実際の臨死体験をした人たちがどう人生観が変わったかを知ることで見えてきます。
彼らの心の変化はザックリこんな感じです。
・悟りを得た(と感じた)
・宇宙を構成している原理原則に関する興味
・自分は個を超えた存在である、という感覚
・利己主義から利他主義への変化
などなど、細かくは人それぞれ若干の違いは当然あるものの、少なくともまわりの人からも「あの人は変わった」と思われる変化が起きているようです。
わかりやすい例で言えば、臨死体験前には他人を蹴落としてでも自分の出世を最優先に考えるようなバリバリのビジネスマンだった人が、臨死体験後には人が変わったように周りの人たちへの気配りをするようになった、とか。
こうした心の変化はなぜ起きるのでしょうか?
より大いなる自分の存在に気付く
臨死体験がそうした心の変化をもたらしているのは確かですが、臨死体験のどこにそんな力があるのでしょう?
それは、臨死体験によって死後の世界(の入り口)を垣間見ることによって、自分が肉体だけの存在ではないということを知るからではないでしょうか。
人間、生きていられるのはせいぜい80年前後。
死んだら何もかもが無になってしまう。
決して長くない人生だし、自分のやりたいことを思いきり謳歌しよう。
多くの人は概ねこんな考えで自分の人生を生きているのではないでしょうか。
当然、やりたいことをすべてやりきれるほど、人生は長くはありませんから、そんな限られた期間の中で精一杯生きる。
これはこれでとても素晴らしいことです。
そうして一生懸命に生きることで、人生は輝いていくのでしょう。
しかし、もし自分の人生が80年かそこらで終わってしまい、死ねばすべてが無に帰すのであれば、いったい何のために毎日生きているのか?
そう考える人も少なくありません。
いずれにしても、死んだらどうなるのかという、人間の根源に関わる問いかけを自分自身にしつつ、私たちは毎日を生きているわけです。
もしも、死が無に帰すことではなく別の意味を持っているということを知ることが出来たなら、自分の今までの人生観はガラリと変わってしまうかも、と思いませんか?
臨死体験で垣間見る世界は、そうした人間の根源的な問いに対する答えを与えてくれるのかも?
そう考えると、臨死体験により今までの人生観が全く変わってしまうということも分かります。
また面白いことに、NASAで実際に宇宙に行ってきた宇宙飛行士の多くも、臨死体験者に起こるのと同じような心の変化が起きると言われています。
これは、生きて地球に戻ってこられる保証も何もない危険なミッションを帯びて、ある種「命がけ」で宇宙まで行くことで見えてくる景色が、臨死体験で見る景色と何らかのつながりがある、ということなんでしょうか?
この共通点には個人的にとても興味があります。笑
まとめ
今回は、臨死体験によって人生観が全く変わってしまうことについて考えてきましたが、いかがだったでしょうか?
臨死体験は、誰にでも起きることではありませんが、生死の境をさまようことで奇しくもみてしまう景色には、人間を根本から変えてしまうほどの「なにか」があることだけは確かなようですね。
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。