人間、死んだらどうなるのか。
死後の世界に関しては科学をもってしても、合理的な確証を示して「こうだ」と明言することが出来ません。
現代社会は科学に洗脳されているため、科学的に説明の付かないことは認めない、という立場をとる人が大勢を占めています。
このため死後世界に関しては「存在しない」と思っている人が多いのが現状です。
でもこれは完全に間違いです。
科学で説明が付かない物事に関しては、存在しないこともまた証明できていないんです。
ですから死後世界は存在しないのではなく「存在が確認できていない」というのが正確な表現です。
死後世界に関しては数々の疑問が答えが出ないままになっていますが、中でも「死んだら記憶はどうなってしまうのか」という点について気になる人はとても多いですよね。
そこで今回は、死んだら記憶はどうなってしまうのか、を中心に死後世界の数々の疑問についてスピリチュアルな視点から解き明かしていきましょう。
死についてのいくつもの疑問
そもそも人は、なぜ生まれ死んでいくのでしょう。
生命というもの自体、突き詰めて考えれば考えるほどワケが分かりません。
生物としての研究は物理学、生物学をはじめとしたさまざまな自然科学で研究が続けられていますし、思考に関しても心理学や哲学などで古くから研究されています。
しかし、死に関してはなかなか研究が進んでいないのが現状ですよね。
特にここ100年くらいは科学万能と信じる人が大勢を占め、科学的に説明が出来ないものは認めないという狭量な人が一般的となっています。
死というのは生物としての機能停止を意味し、肉体がこれ以上活動することが出来なくなった状態ですから、肉体という意味では死イコールすべての終焉となります。
ここまでは誰もが認めることだと思います。
しかし、死に関してはまだいくつもの疑問が存在します。
・死後、意識はどうなるのか?
・死んだら生前の記憶は残るのか?
・死は無に帰すというが、無って何?
・死んだら死んだ人に会えるのか?
・死んでまた生まれ変わることはあるのか?
数え上げればまだまだ出て来そうですが、代表的なものはこんなところでしょう。
で、これら疑問のどれひとつとして、現状では科学は答えを出すことが出来ていません。
さて、あなたはどうしますか?
科学では何も言及できていない死に関するこれらの疑問、すべて否定しますか?
科学で答えが出せないのには、実は理由があります。
それは、科学は「形のあるもの」を究明する学問だからです。
形があるから観察も出来るし測定も出来る。
形があるからこそ変化する。
でもこれら死の疑問は、どれも「形のない」ものに関する疑問ですよね。
形のないものは観察したくても出来ません。
だって形がないから。
変化を見ることも出来ません。
だって形がないから。
現状の自然科学では、形のない死に関しては手も足も出ない、手に負えないものです。
それを「科学で説明できないものは存在しない」とか言ってしまうのはおかしなことだと気付いてください。
研究分野が違うものですから、説明できないのは当たり前なんですよ。
死をはじめとした「形のないもの」は、それを専門に研究する分野がありますので、そちらに任せれば良いんです。
形のない分野を専門に扱う、スピリチュアルに任せれば良いんですよ。
ということで、ここからはスピリチュアルな視点から死に関するさまざまな疑問を解き明かしていくことにします。
死んだらどうなる
さて、死についての見解は人それぞれではありますが、死後の世界を認めようが認めまいがすべての人に必ず死は訪れます。
これだけは100%確実なことです。
生きている間にどのような人生を送ったか、自分の生き様に満足か、いつ死んでも悔いはないと思える生き方が出来たか、こんな状態で死んでたまるか・・・あなたの人生がどうだったとしても、死は訪れると言うことです。
で、多くの人が気になるのが「死んだらどうなるか」ということですね。
これに関してもさまざまなことが言われています。
ことの真偽は兎も角、死んだらどうなるかについて代表的な言説について見ていきましょう。
無になる
一般的に言われることが最も多いのが「死んだら無に帰す」という説です。
これは科学を信奉する人に多い考え方ですね。
科学の基本的なスタンスは「人間は肉体」というものです。
肉体がすべてであって、肉体が機能しなくなるのが死というわけです。
死ぬとは、心臓が停止し全身に血液が流れなくなり、従って肉体に酸素が供給されなくなるため肉体すべてが機能しなくなる。
当然ですが脳も機能を停止するため、これまでの体験や記憶、思い出、楽しかったこと、辛かったこと、衝撃的なことなど、そのすべてが脳の機能停止とともに消えて亡くなる、と。
そして死は、あなたから何もかもを奪っていきます。
残るのは「無」のみ・・・
無になるのが怖い
ここで重要な疑問が生じます。
無ってなんだよ?
肉体が機能停止する、従って脳に蓄積されていた記憶や体験などすべても一緒に消えて亡くなる。
何も残らない・・・すなわち無。
理屈では理解できても、無になるってどういうこと?
この「無」という状態って、いくら頭で考えても答えが出ません。
つまり死が無に帰すことだとした場合、自分では決して理解できない「無」という状態になってしまうということです。
これ、怖くないですか?
自分がそう遠くない将来に必ず当事者になる死という状態が、いくら考えても理解できないって・・・私は凄く怖かった。
死ぬのは避けようのないことだとしても、それが理解できない状態であることがこの上なく怖かったんです。
だから私は自分でできる限りの方法で死について、無になることについて理解しようと調べまくった・・・でも答えを見つけることは出来ませんでした。
無になるなんてありえない
いままで肉体という「形」のある存在だった自分が、死とともに無という形のない存在へと変わってしまう。
これを科学で説明することには無理があります。
先ほども説明したとおり、科学は形のあるものを観察・測定し再現性のあることが確認されたもののみを事実と認める学問です。
だから形のなくなってしまった状態の「死」は、科学では説明のしようがないんです。
科学を信奉する人たちの中には「いやいや無になるんじゃなくて、死とともに肉体が別のものに変化するだけで消えて亡くなるわけではない」と言うでしょう。
日本では死者を火葬にします。
火葬にすることで、機能しなくなった肉体は燃え、煙や灰となる。
つまり肉体が別の物質へと形を変えるだけで消えて亡くなるわけではない、と。
詭弁です。
たしかに肉体に関してはその通りでしょう。
でも私たちの生きてきた経験や記憶、感情などは何に変化したのでしょう?
経験・記憶・感情などの「意識」は、もともと形がありませんから、生きているときからその存在を科学は説明できませんでした。
だから無理矢理、脳のある部位に格納されているなどというみっともない説を唱えるわけです。
確かに脳のある部位を刺激することで特定の感情が表れたり消えたりするという実験結果はあるでしょう。
だからその部位は人の感情を司る機能がある、と。
人間の感情や記憶って、そんな単純なものでしょうか?
私には到底納得できる説明とは思えません。
意識は最初から形がないのに、私たちはその存在を認識しています。
つまり、私たちは科学では「無」と定義するものを認識していると言うことです。
だとすれば、無という状態も何らかの形で認識できるのではないか。
そう思いませんか?
無になることの証明
形あるものはその性質が変化しても消失してしまうことはない。
科学の説明しているこの内容について異存はありません。
しかしながら、最初から形のなかったものに関してはなにひとつ言及していません。
意識、すなわち生きてきた中での大家の記憶とか、その時々の感情の起伏、数々の思い出などはすべて形のないものです。
死ぬことで、これらはどうなってしまうのでしょうか。
物質という意味では最初から物質ではない意識が、生死によって何がどう変化するのか。
科学ではこうした意識そのものも脳に蓄積されたものに過ぎないため、死とともに消失すると説明します。
これはとてもおかしな話です。
人間が肉体のみの存在であるならば、死によって肉体が別の物質(水蒸気や熱、灰など)へと変化してしまうというのはその通りでしょう。
しかし意識が肉体の変質とともにどこに行ってしまうのか、何も説明していません。
形のあるものは「別の形」に変化するにしても、最初から形のないものはどうなってしまうのでしょうか。
これも無に帰す?
そんなわけないでしょう。
物質的な視点に立てば、意識は最初から物質ではないため「存在していない」わけで、そういう意味では最初から無です。
無である意識が脳のある部位に蓄積される?
だって無ですよ?
無が蓄積されるって完全に矛盾していませんか?
ね、科学では形のないものに関して何も説明できないんです。
スピリチュアルでは意識は肉体とは別物であると考えます。
肉体とは別物ですから、肉体の生死に関係なく常に意識は意識です。
脳に蓄積されているわけでもありません。
脳が何らかの方法で非物質である意識と交信し、情報を得ている。
つまり意識の主体は肉体にあるわけではなく、物質の存在しない世界(非物質世界)にあり、そこと繋がって情報のやりとりをしていると考えます。
もともと肉体には意識の主体はありませんから、肉体が死んでも意識は何の問題もなく非物質世界に在り続けます。
単に肉体が非物質世界の意識とコンタクトできなくなるだけの話です。
つまり死ぬと無になるのではなく、死ぬと「意識とコンタクト出来なくなる」というのがスピリチュアルの考える状態です。
無になるのではなく、意識は最初から形を持たない、物質的には「無」の状態だということなんですね。
非物質に関して、その有無を議論することはまったく無意味なことです。
死んだ人に会える
よく「死んだおばあちゃんがあの世で待ってるよ」なんていう話をしたことのある人って多いと思います。
死んだ人はあの世で待っているのでしょうか。
自分が死ぬと、先立った人たちと会うことが出来るのでしょうか。
これに関しては非常に説明が難しいです。
なぜなら、死んでしまえば意識は肉体を失うわけで、生きていたときのあなたの人格は肉体とともに薄れてしまいます。
つまり、生きているときと同じような感覚で死後世界を体験できるかというと、必ずしもそうではない気がしています。
生きているときのあなたは、死とともに肉体を失い、肉体として生きていた時の人格やアイデンティティは限りなく薄れていきます。
そういう意味では、死んだあなたは生きていた時のあなたとはかなり違うということです。
ですから死んであの世(ここであの世というのは死後世界、すなわち非物質世界のこと)に行ったとき、仮に先立った人(の意識)とコンタクトできたとしても、互いに肉体を持っていたときの状態ではないため、その邂逅がどのようなものになるのかはわかりません。
こればかりは体験した人がひとりもいないので、分からないとしか言い様がないんです。
よく臨死体験などで、三途の川の向こうに先立ったお婆ちゃんがニコニコして手を振っていた、なんて証言がありますが、これ自体は嘘ではありません。
しかしその体験はあくまで「臨死体験」であり「死後体験」ではないということに注意する必要があります。
死に限りなく近いところまで行って見てきた体験ではあっても、完全に死んだわけではないため、その体験を認識するのは肉体の脳であり、あなたという自我が消失する前の状態での体験です。
だからこそ、先立った家族や友人知人を明確に認識できるのですが、本当に死んで肉体を失った状態でこれと同じ体験が出来るかというと・・・なんとも言えないですね。
生まれ変わる
死んだ人は幾ばくかの期間を経て、別の人間として生まれ変わると言われています。
世界中には生まれ変わりを示す事例が数多く存在します。
そしてここ日本でも、世界的に有名な生まれ変わりの事例があります。
詳細は以下の記事で詳しく説明していますのでここでは割愛しますが、合理的な説明が出来なくとも生まれ変わりを否定することが困難な事例がかなりの数あることから、生まれ変わりを否定するのは困難です。
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生まれ変わりの事例|日本における研究はかなり古くからあった?
生まれ変わりというのをわかりやすく説明すると以下のようになります。
Aさんが死んで、Aさんの肉体から離れた意識が死後世界(非物質世界)を経由してBさんとして生まれ変わる。
Bさんは何らかの理由で前世のAさんの記憶を持っている。
この場合、BさんはAさんの生まれ変わり、ということになります。
通常Aさんが死ぬことで、意識はAさんの人格からの影響を受けなくなるため、その後Bさんとして生まれてもAさんの人格はBさんに影響しません。
当然のことながらAさんとして生きた(前世の)記憶もBさんには引き継がれることはないのですが、まれに何らかの理由でその記憶が顕在化してしまうことがあります。
特にBさんとして生まれて数年間、すなわち幼児期に前世の記憶が残っているケースが多いのですが、Bさんとして生きていくうちに日々の経験から多くの刺激を受けることで次第にAさん時代の記憶は消えていくようです。
結果的に、大人になっても前世の記憶を持っている人というのは非常に希で、ほとんどに人は前世の記憶なんて微塵も覚えていません。
このため、生まれ変わりとか前世・過去世みたいな話は「ただの都市伝説でしょ」と一笑に付してしまいます。
これも「死ねばすべては無に帰す」という科学のデタラメによる弊害のひとつと言えるでしょう。
死んでも意識は残りますし、無というのは非物質にとっては本来の姿であり何も不思議なことではないと言うことですね。
人は死んだらどこに行くのか
ここまで、死んだらどうなるのかについて、無に帰す、先立った人に会う、生まれ変わるといった代表的な説について説明してきました。
まとめると、死んだら肉体の機能が停止し、肉体は肉体以外の物質へと変化します。
そして生前も死後も意識は変わらずに在り続けます。
意識は肉体の死後、死後世界(非物質世界)を経由して別の肉体として生まれ変わります。
さて、意識は肉体の死後、死後世界(非物質世界)に行くと説明しましたが、死後世界って何だよ?
・・・って思っていますよね。
死後世界とは意識の本来の世界で、物質の存在しない世界です。
物質が存在しませんから、私たちが何らかの方法で死後世界を観察したり測定したりすることは出来ません。
私たち生きた人間が出来ることは物質世界における事象に限られますから、物質の存在しない世界を「見える化」して周知することは不可能なんです。
スピリチュアルにおいても、死後世界はさまざまな説で説明されています。
説明する人により使用する用語も細かい描写も異なり、実際はきっと同じことを言っているにもかかわらず、同じに聞こえません。
だから余計にスピリチュアルは怪しい、とか言われてしまうんですね。笑
最もシンプルに説明すれば、物質が存在しない世界ですから、そこには時空(つまり時間や空間という概念)が存在しないということです。
時間という概念が存在しませんから、過去とか現在とか未来という概念も存在しない。
つまり過去や現在、未来を区別すること自体、意味を持たないと言うことです。
空間という概念が存在しませんから、場所についても意味がありません。
宇宙の果てがどこにあるのか、とかいうことにも何の意味もないと言うことです。
時間も空間も物質世界における物差しに過ぎず、非物質世界ではなにひとつ意味をなさない。
このことが理解できていないと、過去の霊の怨念が祟っているとかいうワケの分からないことを言い出す人になってしまいます。
また、ここで昔多くの人が殺されたので心霊現象が多く起きる、なんていう寝惚けたことを言う人になってしまうんです。
非物質世界には時間とか空間という概念がないんですから、いつどこで何が起きていたかなんて、何の意味も持ちません。
そういうことを言ってあなたを脅す人はニセ者ですから注意してくださいね。
では、時間も空間もないような非物質世界が死後世界だとしたら、私たちの意識はそこでどんな体験をするのでしょうか。
こればかりは行ってみないと分かりません。
で、死んだら記憶はどうなるのか
最後の疑問、死んだら記憶はどうなるのか。
これまでの説明で、記憶をはじめとした「意識」は脳に蓄積されるのではないことは理解されていると思います。
あなたが生きた証として、さまざまな体験や記憶は意識にありますから、肉体が死んでも消えて亡くなることはありません。
ただし、あなたという人格そのものは限りなく薄れていくはずですので、記憶に伴う感情などは今のあなたと同じ状態でリアルに残るかどうかはわかりません。
あなたの経験や記憶は、次に生まれ変わる人に無意識に引き継がれていきますが、それはあなたとして生きた記憶そのままの形ではないでしょう。
たとえばあなたがある人に振られて傷心自殺をしたとしましょう。
そして別の人として生まれ変わり、あなたの記憶はそのまま残るのではなく「異性に対する不信感」のような感情として顕現化してきます。
何故だか理由は分からないが、異性に対して異様に不信感がある。
一種のトラウマのようなものですね。
あなたが生きて体験した記憶は生まれ変わっても、何らかの形で引き継がれていきますが、今のあなたの記憶がそのまま引き継がれるわけではないということですね。
まあ、それを「記憶が引き継がれる」と言えるのかどうか、という問題は残りますが。
結局のところ
今回は、死んだらどうなるのか、ということについてさまざまな角度から考えてきました。
死というものは決して科学で説明できる類いのものではないということはご理解いただけたと思います。
そしてスピリチュアルな視点で考えても、なかなか理解するのは難しいということも理解いただけたと思います。
まあ本当のことは自分が死んでみなければ分からない、ということで。
死後世界についてさらに興味のある人は、以下の記事も参考になると思いますので併せてお読みくださいね。
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ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。