あなたは人生の岐路を感じたことがありますか?
人間なら例外なく誰もが人生の岐路を感じたことがあるはずです。
え、自分は人生の岐路なんて感じたことないよ、普通の人は人生の岐路なんて感じることなんて無いんじゃない?
そう思っている人も多いかもしれませんね。
しかしそんなあなただって、人生の岐路に立たされたことがあるはずですよ?
それも一度や二度ではなく。
ただあなたはそれに気付いてこなかっただけなんです。
いやいや、そんな筈ない、自分は人生の岐路なんて生まれてこのかた一度も経験していない・・・と言い張りますか?
きっとあなたは人生の岐路について誤解もしくは勘違いしています。
そんなあなたにも納得して貰えるように説明していきますね。
人生の岐路に立たされたとき
多くの人は、毎日をただ何気なく生きています。
もちろんそれが悪いということではありません、何となく毎日を平穏無事に生きられるというのは平和な社会に生きている私たちの特権ですからね。
しかし漫然と毎日を過ごすことで、多くの人生の岐路を取りこぼしてしまっていることに気付いていますか?
え、そんなに頻繁に人生の岐路ってやってくるもんなの?
はい、そりゃもう毎日のように、いや一日に何度も。
そろそろお気づきでしょうか?
私が言っている人生の岐路は、あなたが考えている人生の岐路とは違うものなのではないか・・・と。
まあ詳細は後ほど説明するとして、まずは人生の岐路に立たされたときにあなたならどうするか考えて見ましょう。
人生の岐路に立たされた覚えはないと思っている方は、仮に人生の岐路に立たされたとしたらどうするか考えて見てください。
人生の岐路でどちらを選択するか
まず、分かりやすいようにひとつのたとえ話で考えて見ましょう。
例えばあなたが今の仕事が嫌で、会社に内緒で転職先を探しているとしましょう。
そしてまだ転職先が決まらないのに、転職活動をしていることが会社にバレてしまいました。
会社からは「今すぐ転職活動をやめなければクビにする」と言われました。
さあ、あなたならどうしますか?
選択肢は
・転職活動を中止して今の会社で働き続ける
・思い切って会社を辞めて本気で転職する
のどちらかでしょう。
まあ会社には転職活動はやめました、といっておいてコッソリ転職活動を継続するという手もあるかもしれませんが、今回の選択肢としては上記の2つで考えて見てください。
どちらを選ぶかで、あなたの将来が全く違ったものになるだろうことは想像できますよね。
今の会社で働き続ける場合には、大体の人生の道筋は見えてくるかと思います。
35歳で係長に昇格し40歳で課長、45歳で次長、50歳で部長・・・
それに伴って収入も増え、ライフスタイルも豊かなものになっていく。
転職を選んだ場合、この先の人生はまったく見えてこないのではないですか?
だって希望の会社に転職出来るかも分かりませんし、出来なかった場合収入は激減するかもしれません。
そうなれば結婚生活そのものに影響することもありますし、もう全てが見えませんよね。
でも、全く先が見えないということはその分大きな可能性もあると言うことです。
もしかすると起業して大成功するかもしれませんし、まったく畑違いの分野で頭角を現すかもしれません。
リスクも大きいですがチャンスもその分大きいと言えましょう。
事ほど左様に、あなたの選択次第で人生は全く違ったものになると言うことがご理解いただけましたでしょうか?
人生の岐路に大きい小さいは関係ない
ここまでの例では「転職」という比較的大きな人生の岐路について考えて見ました。
でもこうした「岐路」って、さまざまな場面で毎日何度も直面しているって知ってました?
たとえば、ランチに寿司を食べようか焼き肉にしようか・・・とか。
え、そんなの人生の岐路でも何でも無いでしょう、単なる食べるものの選択にすぎない、満足感が多少違うかもしれないが人生には何の影響もないでしょう?
本当にそう思いますか?
寿司か焼き肉か迷ったあげく寿司にしたら、その寿司屋で高校時代に付き合っていた女性に偶然会った。
それがきっかけで再び交際が始まり、1年後に結婚した・・・
この場合、あなたが焼き肉を選んでいたら元カノとの出会いはなかったでしょう?
だとすれば元カノとの結婚も無かったでしょうし、全く違った人生になっていたかも。
これって十分に「人生の岐路」ではないですか?
もうお分かりですね?
人生の岐路って「らしくない」「ほんの些細な」「何気ない」出来事だったりするんですよ。
先ほどの転職のような、もの凄く分かりやすい形であなたの目の前に提示されることなんてほとんどありません。
大体は寿司か焼き肉か、みたいな「どうでもいい」ような選択なんです。
目の前の交差点の歩行者信号が点滅を始めた、渡るか渡らないか。
上司の異動に伴う送別会に参加するかしないか。
子供が帰ってきたときに「お帰り」と声をかけるかかけないか。
赤い靴を買うか青い靴を買うか。
こうした選択って、あなたは毎日何回もしているんじゃないですか?
その選択そのものは本当に他愛ないものかもしれませんが、どちらを選んだかであなたの人生が全く違ってしまうようなことに繋がることだって無いとは言えません。
出来事の大きさなんて全く関係ないんです。
人生の岐路で選択に迷ったときの正しい選び方とは
さて、さまざまな選択の連続で私たちは毎日を生きているわけですが、ではどの出来事が人生の岐路と言えるものなんでしょうか?
これを事前に見分けるのは至難の業です。
なぜなら先ほども見てきたとおり、人生の岐路のほとんどは「人生の岐路らしくない」姿形をしているからです。
後になって「あ、あれって人生の岐路だったんだ」って分かる訳ですが、時すでに遅しということも多々あります。
全ての出来事が人生の岐路になり得る、といえばその通りなんですが、では全ての出来事に等しく注意を向けながら毎日を過ごせるかと言えばそれは無理というものでしょう。
かといって「これが人生の岐路」ということが事前に分からない以上、どうすれば良いのでしょうか?
実は簡単な見分け方があるんです。
その方法さえ知っていれば、人生の岐路を見誤ることも劇的に少なくなります。
その見分け方とは・・・
違和感です。
選択に迷ったら、どちらが違和感なく受け入れられるかを考えて見てください。
好き嫌いではなく「違和感があるかないか」で選択するんです。
例えば中華料理かイタリアンかで迷ったら、仮に中華料理の方が好きでもそれを選択することで何らかの違和感を感じるなら、中華料理を選ぶべきではありません。
違和感というのはあなたの理屈を超えたところから来るメッセージのようなものです。
頭で考えた答えではなく、あなたが選ぶべき答えを選ぶ際の高精度な「羅針盤」です。
そもそも中華の方が好きにもかかわらずイタリアンとどちらにしようか迷う時点で何らかのメッセージがあると考えるべきなんですが、それでもあなたの理性が中華を選べと主張するなら、そのときは違和感の出番です。
違和感に頼ってさえいれば、大きく選択を誤ることはないでしょう。
この方法なら選択が必要な場面が来るたびに違和感の有無を確認するだけですから簡単ですよね。
是非ともお試し下さい。
結局のところ
今回は人生の岐路に立たされたときの正しい選択の仕方について説明してきました。
人生の岐路がいつ、どこで、どんな形で訪れるかなんて誰にも分かりません。
ですからどんな形で人生の岐路になり得る出来事が起きたとしても、それに対応できるようにしておく必要があります。
そしてその方法はあなたが考えているよりも遙かに簡単です。
だってただ違和感があるかないかを確認するだけで良いんですから。
違和感は誰にでも気軽に、いつでもどこでも使える強力なツールですから、是非あなたも使いこなして下さいね。
ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。