
※本記事は、医療的・心理的な助言や治療効果を示す目的のものではなく、スピリチュアル文化にまつわる価値観や思想を丁寧に紐解くための“考察記事”として構成されています。ここで扱う内容はあくまで文化的背景や個人の解釈に関するものであり、健康状態や心身の不調に対する評価・判断を行うものではありません。体調やメンタル面に不安がある場合、あるいは専門的な判断が必要だと感じる場合は、必ず医療機関や専門機関にご相談いただき、適切なサポートを受けてください。
「シータヒーリングって、なんかヤバくね?」
……そんな率直な印象を抱く人は、実は想像以上に多いようです。スピリチュアルに詳しくない人はもちろん、ある程度知識のある人ですら、その名称を耳にした途端に一瞬かたまってしまう、あの独特の空気感。これは単なる思い込みではなく、シータヒーリングが持つ“特有のイメージ”が長年のあいだに形成されてきた結果とも言えます。
そもそもスピリチュアルの世界は、目に見えない概念や個々人の主観が多分に含まれる領域です。そのため、受け止め方の幅は非常に広く、肯定も否定もどちらも強く出やすい傾向があります。特にシータヒーリングは、その抽象度の高さや説明の難しさゆえに、賛否が分かれやすい“象徴的な存在”として扱われている印象があります。
一部では「怪しい」「危険」「気をつけたほうがいい」といった刺激的な言葉で語られることもあります。しかし、こうした評価の背景を丁寧に見ていくと、単なる誤解だけでは説明しきれない、スピリチュアル文化ならではの構造的な問題が浮かび上がってきます。
そこで本記事では、スピリチュアル専門家としての立場から、思想・文化的な観点に焦点を当てつつ『なぜシータヒーリングが“やばい”と言われるのか』を整理する考察 を行っていきます。ここで扱う内容はあくまで“文化的背景”を理解するためのものであり、技術的な効果や医学的な可否を判断するものではありません。
また、医療的な効果を裏付ける意図は一切なく、シータヒーリングそのものの良し悪しを断定するものでもありません。あくまで、スピリチュアル界隈で語られがちな固定観念やズレを読み解きつつ、「なぜここまで誤解が生まれやすいのか」を文化論的視点から解説するものとして読んでいただければと思います。
シータヒーリングとは(文化的な概要)
シータヒーリングは1990年代にヴァイアナ・スタイバル氏によって提唱された瞑想系ワークで、スピリチュアル文化の一分野として広まりました。発祥当時から多くのワークショップや学習会が行われ、スピリチュアル界隈では比較的知られた名称となっています。一方で、その抽象性の高さや情報の広がり方の特性から、受け取られ方には個人差が大きく、肯定・否定の両面で極端な意見が現れやすい傾向があります。
ただし私は実際に施術を受けた経験はありません。そのため、シータヒーリングが個別にどのような変化をもたらすのか、あるいはセッションの内容がどの程度一貫しているのかといった点に踏み込んで断定する立場にはありません。本記事の目的も、効果や可否を判断することではなく、あくまで「どういう文脈で語られてきた手法なのか」を理解しやすくするための文化的整理にあります。
また、シータヒーリングをめぐる語りには、“意識状態”や“エネルギー”といった抽象度の高い言葉が頻繁に登場します。こうした概念は科学的な枠組みとは異なる文脈で用いられることが多く、人によってイメージする内容がまったく違う場合があります。そのため、スピリチュアルに慣れていない人にとっては理解しにくく、「怪しい」「よくわからない」といった印象を持たれやすい側面もあります。
ここでは、世間で語られている“特徴として紹介される内容”を文化情報として整理し、シータヒーリングという概念の背景をより立体的に捉えやすくすることを目的としています。
一般的に紹介される要素
- 深い瞑想状態(シータ波と言われる状態)をイメージしながら行うワーク
- カウンセリングのような会話を通じて思考のクセを見つめる
- 過去の経験・想像的なイメージを扱う
これらは、スピリチュアル文化における“象徴的な表現”として紹介されることが多く、実際のセッションでは個々の施術士によってアプローチが大きく異なることも珍しくありません。例えば、瞑想的なワークといっても、深いリラックスを目的にする場合もあれば、単に心を落ち着けるための導入として軽く行われるだけの場合もあります。また、会話のプロセスについても、心理カウンセリングの手法を参考にして丁寧に問いかけを進める人もいれば、より雑談に近い雰囲気で進める人もいて、その幅は実に多様です。
さらに“過去の経験やイメージを扱う”という点も、そのまま過去の記憶を掘り下げるという意味ではなく、象徴的なイメージを通して自分の内面を見つめるきっかけとして用いられる場合があります。スピリチュアル文化では、比喩的な表現が心の動きや価値観を理解する手段として使われることが多く、その解釈も人によって違うため、一概に統一された方法として説明することは難しいのが実情です。
こうした背景から、ここに挙げた要素はあくまで“スピリチュアルにおける文化的な語り口の例”として捉えていただくのが自然であり、いずれも科学的・医学的な効果を保証するものではない点を改めて強調しておきます。
シータヒーリングをめぐる代表的な主張(あくまで“紹介されることがある内容”)
シータヒーリングでは、以下のような表現が語られることがあります。ただしこれは“文化的な語られ方の一例”であり、事実性や効果を示すものではありません。また、施術士によって説明のニュアンスが大きく異なることも多く、スピリチュアル文化の中で共有されているイメージ的な言語として使われる場合がある点に注意が必要です。
・前世・過去世を見るという説明
シータヒーリング関連の場面では、前世や過去世に関するイメージを扱うという説明が登場することがあります。ただし、ここで言う「見る」は、実際に映像のように視覚的に確認するという意味ではなく、象徴的・比喩的に“自分の中の物語を読み解く”という意図で使われる場合もあります。こうした物語的なイメージは、必ずしも実在の出来事を示すわけではなく、あくまで自分自身の価値観や心理的背景を整理するための“内面的な素材”として扱われることが多いようです。
また、過去のイメージを扱うプロセスは、しばしば「自分の深層に触れるきっかけ」として語られる一方で、受け取り方に大きな個人差があります。ある人にとっては象徴的な洞察をもたらすものでも、別の人にとっては単なる空想の延長のように感じられる場合もあります。この幅の広さはスピリチュアル文化の特徴でもありますが、言葉の意味を共有しにくく、解釈のズレが生じやすい原因にもなっています。
さらに、施術士によっても説明の仕方が異なります。ある施術士は比喩表現として扱いながら丁寧に補足説明を行うのに対し、別の施術士は“実際に見えている”かのような強い言い方をすることもあります。こうした表現の幅の違いが、受け手の混乱を招く一因となり、結果として“前世が本当に見えるのか?”という誤解を生む温床にもなってしまいます。
このように、前世・過去世のイメージに関する語りは文化的に極めて多義的であり、施術士や受け手によって大きく解釈が異なります。そのため、魅力的な表現である一方で、誤解が広がりやすい分野でもあります。
・インナーチャイルドを癒やすという説明
この説明は、過去の感情・体験と向き合うワークとして語られることがあります。ただし「癒やす」という言葉もスピリチュアル文脈では非常に広い意味で使われるため、その解釈には大きな幅があります。象徴的に“心の整理を促すきっかけ”という意味合いで用いられていることもあれば、あたかも“特定の問題が明確に改善される”と期待させるようなニュアンスで表現されることもあり、そこに誤解が生まれる背景があります。
また、インナーチャイルドというコンセプト自体が、専門的な心理学用語ではなく、スピリチュアル文化や自己理解の文脈で広く扱われる“象徴的な存在”として機能しています。そのため、ある人にとっては自分の感情や価値観を整理するための便利な比喩となる一方、別の人にとっては概念自体が抽象的すぎて腑に落ちない、ということもよくあります。
施術士側の説明の仕方にも大きな差があります。丁寧に言葉の意味を補足し、あくまで“心の動きを理解するための比喩”として扱う人もいれば、インナーチャイルドがまるで外側に実在する存在のように扱われることもあります。こうした表現の揺れは、受け手が「一体どういう現象なのか?」と迷いやすく、抽象性をさらに高めてしまいます。
加えて、インナーチャイルドの話題は感情に寄り添う要素が強い分、受け手側の期待値も大きくなりがちです。その結果、“癒やし”という言葉が本来の象徴的な意味を超えて、“確かな変化が起きるはずだ”という誤った期待につながるケースもあります。こうした期待と現実のズレは、スピリチュアル文化で頻繁に生じる誤解のひとつであり、この領域が特に説明の抽象性に左右されやすい理由でもあります。
・ハイヤーセルフにつながるという説明
「ハイヤーセルフにつながる」という表現は、スピリチュアル文化全体で非常に多義的に使われます。文字どおり“高次の存在とコミュニケーションを取る”と受け取る人もいれば、“自分の内側の価値観や本音に耳を傾ける”という象徴的な表現として扱う人もいます。また、なかには“人生の方向性を示す存在”としてハイヤーセルフを捉えるケースもあり、その捉え方は個人のスピリチュアル観によって著しく異なります。
こうした多義性があるため、施術士ごとに言葉の意味が大きく変わりやすく、受け手にとっては「同じ言葉なのに、まったく違う話をされているように感じる」状況が発生しやすくなります。ある施術士は象徴的な表現として柔らかく説明する一方、別の施術士は“本当に明確な声が聞こえるように感じる”と語る場合もあります。この振れ幅の大きさこそが、言葉の印象を不安定にし、誤解を増幅させる原因のひとつです。
さらに、ハイヤーセルフという概念は“外側に存在する霊的存在”を指しているわけではなく、“自分自身の内的な指針を象徴化したもの”と解釈されることもあります。しかし、こうした説明が十分になされないまま「つながった」「メッセージを受け取った」と表現されると、受け手は“それは事実なのか、それとも象徴なのか?”と判断に迷いやすくなります。
スピリチュアル文化はもともと象徴性の強い世界ですが、この象徴表現がそのまま“実際の現象”として伝わってしまうと、期待や不安が必要以上に大きくなり、誤解や混乱が生じやすくなります。特に、人生の悩みや方向性に関わる相談では、施術士の言葉が重く受け取られがちなため、なおさら慎重な説明が求められます。
このような背景から、「ハイヤーセルフにつながる」という表現は魅力的でありつつも、言葉のあいまいさと解釈の幅の広さゆえに、スピリチュアル界隈における誤解を生む温床にもなっています。
・浄化・除霊といった比喩的表現
スピリチュアル文化には“エネルギー状態”という概念がよく登場しますが、これは感情・気分・雰囲気といった内面的な変化を象徴的に言い表すための言葉として活用されることがあります。たとえば「今日は気が重い」「空気がざわつく」といった日常的な比喩表現と同じく、直接的な現象を示すというよりも“状態のニュアンス”を伝えるためのものとして用いられるのが一般的です。しかしシータヒーリングにおいては、これらの象徴的な表現が“浄化”“除霊”といった強い言葉へ置き換えられることがあり、ここに誤解が生まれやすい土壌が存在しています。
元々“浄化”という言葉は、心の整理や気持ちの切り替えを象徴的に指す場合がありますが、文脈によっては“実際に外側の何かを取り除いている”かのように誤解される恐れがあります。同様に“除霊”という言葉も、文化的には比喩として使われることがあるにもかかわらず、文字どおりの霊的干渉を連想させる強い表現であり、受け手によって解釈のふり幅が非常に大きくなりがちです。そのため、施術士が象徴表現のつもりで使った言葉が、受け手にとっては“本当に目に見えない何かが起きている”と感じられてしまうケースがあります。
さらに、こうした抽象的な表現が使われる際には、施術士と受け手の間で前提となる価値観や世界観が共有されていないことも多く、言葉だけが一人歩きしてしまうことがあります。同じ“エネルギー”という言葉でも、人によっては精神状態を指す比喩として理解し、別の人にとっては外側の力の存在を意味するように感じられる、といった具合です。このような認識のズレが積み重なると、誤解が増幅し、不要な不安や混乱につながることもあります。
結果として、“浄化”や“除霊”にまつわる説明は、その象徴的性質ゆえに扱いが難しく、意図していない方向へ意味が広がってしまうことがあります。言葉の刺激の強さに対して具体的な説明が追いつかない場合、受け手の不安を招く可能性もあり、慎重な取り扱いが必要な領域であると言えるでしょう。
これらの説明は、いずれもスピリチュアル界隈で語られる“文化的・象徴的な表現”であり、科学的な現象を示すものではありません。
脳波のシータ波とは何か(“一般的な脳波の説明”の範囲)
脳波という言葉はしばしばスピリチュアル文脈でも登場しますが、ここでは一般的に知られる範囲の説明にとどめます。脳波とは、脳内の神経細胞の活動によって生じる微弱な電気信号のことで、人の意識状態やリラックス度合いによって周波数帯が変化することが知られています。この“変化”自体は研究分野でも確認されているため、意識状態の指標としてよく使われる概念です。ただし、その意味合いをどのように解釈するかは文脈によって大きく変わります。
以下は、一般的に紹介される脳波の種類です。
- ベータ波:日常的な思考時
主に活動しているとき、集中して作業しているときなど、脳が覚醒し情報処理を行っている際に現れるとされる帯域です。日常生活の大部分はこのベータ波の状態にあると言われています。 - アルファ波:リラックス時
深呼吸や軽い瞑想、安静にしているときなど、心身がほどよく落ち着いている状態で現れる周波数帯です。リラックス効果を図る瞑想や呼吸法では、このアルファ波を意識する説明がされることがあります。 - シータ波:まどろみや深い瞑想状態と言われることがある
寝入りばなや浅い眠り、あるいは深い瞑想状態に近づいたときに現れるとされる波です。スピリチュアル文脈では“創造性が高まる状態”などと語られることもありますが、科学的には睡眠と覚醒の境目に見られる状態として理解されるのが一般的です。 - デルタ波:深い睡眠状態
最も周波数が低く、身体が深い休息を取っている時に見られるとされる波です。深い眠りの象徴として語られることが多く、身体の回復と関係があると言われます。
ただし、自分の脳波がどの状態にあるかを自覚だけで判断することはできません。測定器が必要です。
脳波は医療・研究分野で使われる装置によって初めて確認できるもので、体感だけで「今はシータ波だ」と判断することは不可能です。深いリラックス感を「シータ波っぽい」と表現することはできますが、実際の波形を知ることとはまったく別の話です。
この前提を踏まえると、スピリチュアル文脈における“脳波のシータ化”という表現は、あくまで“深いリラックス状態の比喩”的な扱いとして理解するのが自然でしょう。実際には脳波を測定して確認しているわけではなく、施術士や受け手の体感を象徴的に表現した言葉であることが多いと考えられます。こうした比喩的な表現が、実際の生理学的現象と混同されてしまうことで誤解が生まれやすくなる点は、スピリチュアル文化全体でよく見られる特徴でもあります。
シータヒーリングが「やばい」と言われる理由(思想・文化的な考察)
ここでは医療的・科学的批評ではなく、スピリチュアル文化内部の視点から見た“違和感ポイント” を、より丁寧かつ立体的に掘り下げながら整理します。単に「怪しい」「危険」といったイメージを列挙するのではなく、スピリチュアル文化の内部でどのような価値観や前提が共有され、どこにズレや誤解が生じやすいのかといった背景を含めて詳しく検討していきます。また、文化的・象徴的に使われる言葉が受け手によって異なる解釈を生み、それが結果的に“やばい”という評価につながってしまう構造についても深く触れていきます。
1. 「脳波がシータ波になった」と断定できる根拠が不明瞭
深い瞑想状態に入れる人は多くいますが、それが本当に“シータ波”と呼ばれる周波数帯に到達しているかどうかは、専門的な測定機器を用いない限り確認することはできません。体感として深いリラックスを覚えたり、意識が内面へ向かっていくような感覚を得たりすることはあっても、それが脳波としてのシータ波になっているかどうかは、主観的な感覚だけでは判断しようがないのです。つまり、多くの場合は“そう感じているだけ”であり、実際の脳波状態については不明なまま語られてしまっているというのが実情です。
にもかかわらず、スピリチュアル文脈ではしばしば、
- 「シータ波に入ったから◯◯できる」
- 「脳波が変わることでヒーリングが起きる」
といった説明が当然の前提で語られることがあります。しかし、これらの表現には“どのように脳波を確認したのか”“本当にシータ波であると判断した根拠とは何か”といった重要な情報が欠けています。科学的な検証が行われていないにもかかわらず、あたかも専門的知識に裏付けられているような語り口で説明されると、受け手が不信感を抱くのは自然なことです。
特に、脳波という科学的な概念を持ち出して説明する場合には、誤解が生じやすくなります。専門的な用語が使われることで、それが“本当らしく”聞こえてしまう一方、実際には根拠となる測定が行われていないケースがほとんどです。このギャップこそが、スピリチュアル文化における説明の“あいまいさ”を象徴していると言えます。
「根拠が曖昧なまま専門性を装ってしまうこと」 ーーこれがシータヒーリングがやばいと言われる大きな理由のひとつであり、文化的な違和感を生む最も代表的な要因でもあります。
2. “見える/つながる”という表現のあいまいさ
スピリチュラル文化では
- ハイヤーセルフ
- 過去世
- エネルギー
など、象徴として使われる言葉があります。これらは本来、内面的な感覚や価値観の変化を比喩的に表現したり、自分自身を深く理解するための“象徴言語”として機能することが多いものです。
しかし、こうした象徴表現がそのまま“実際に起きている現象”として語られ始めると、途端に説明の精度が揺らぎはじめます。たとえば「本当に見える」「確実につながっている」と断定するような口調で語られると、聞き手はその真偽や裏付けをどう捉えればよいのか判断しづらくなります。
本当に?どうやってそれを確認したの?
という疑問が当然浮かぶのは、この“象徴”と“事実”の境界が曖昧になってしまうためです。象徴表現は本来、比喩的・内面的な気づきを促すためのものですが、そこに実在性が付与されてしまうと、まるで外側の確かな現象として起きているかのように受け取られることがあります。
さらに問題なのは、こうした表現がクライアントの人生観や価値観に関わる深いテーマと結びつきやすい点です。施術士が何気なく語った内容であっても、受け手にとっては“自分の人生の方向性”や“自分という存在に対する答え”のように重く響いてしまうことがあります。その結果、施術士の主観や思い込みがクライアントの人生の解釈に影響を与えてしまうリスク が生じます。
また、施術士自身が「見えている」「つながっている」という感覚を持っていても、それが本当に象徴的なインスピレーションなのか、単なる思考の連想なのか、あるいは自身の期待や先入観によるものなのかは、外部から確認する術がありません。この“確認不能性”が誤解をさらに拡大させる土壌となります。
象徴と現実の境界線が曖昧なまま語られることで、受け手が過度に依存したり、誤った解釈に導かれる可能性があるため、結果として「やばい」「危ない」と言われやすくなるのです。
3. 不調を“好転反応”として片付ける風潮
スピリチュアルでは、単なる変化を“好転反応”と解釈する文化があります。もともとこの言葉は、ワークや瞑想を行ったあとに「内面が動いた結果、一時的に心身が揺れることがある」という比喩的な説明として使われていたものです。しかし近年では、その本来の意図から離れ、どんな不調でも“とりあえず好転反応”と片付けてしまうような使われ方が目立つようになってきました。
しかし、
- エネルギー的な違和感
- ワーク後の疲労感やめまい
- 気分の落ち込みや集中力の低下などの変化
といった状態が起きたとき、それらの理由を一言で“好転反応”として決めつけてしまう姿勢は、受け手にとってかえって不安材料を増やすことがあります。本来であれば、体調の変化が起きた際には「それが自分に合っていなかったのかもしれない」「ストレスや緊張が影響したのかもしれない」といった複数の可能性を丁寧に検討する必要があります。しかし、“好転反応”という言葉の便利さゆえに、その思考プロセスが省略されてしまうことがあるのです。
さらに、施術士側が説明を簡略化するために“好転反応”という言葉を使ってしまうと、受け手は「この不調は続いても大丈夫なのだろうか?」「むしろ悪化している気がするのに、これが正しい反応なの?」と混乱しやすくなります。言葉の持つ曖昧さが、安心どころか不安を助長する結果につながってしまうのです。
加えて、スピリチュアル文化では“変化=良いこと”という前提が強く語られる場面があるため、受け手が必要以上に我慢してしまうケースも起こり得ます。体が発しているサインを軽視してしまったり、違和感を無視してワークを続けてしまうと、自分を守るための感覚が鈍ってしまうこともあります。この点も、外から見れば“やばい”と感じられやすい理由のひとつでしょう。
つまり、“好転反応”という言葉の便利さが、状況の見極めを曖昧にし、結果として不調の原因を正しく判断しづらくしてしまう。その構造こそが、スピリチュアル文脈でしばしば指摘される「やばい」「危うい」という評価につながっているのです。
シータヒーリングが批判される根本原因
結局のところ、シータヒーリングへの違和感の多くは
「説明のあいまいさ」 と 「確認のしようがない主張」 に起因します。
こうした不確かさは、スピリチュアル文化全体に共通して見られる特徴であり、決してシータヒーリング特有というわけではありません。ただし、シータヒーリングは“脳波”や“潜在意識”といった専門的に聞こえる言葉を用いるため、本来は象徴表現にすぎない内容であっても、あたかも検証可能な技術であるかのように誤解されやすい側面を持っています。この誤解の生まれやすさこそが、違和感を増幅する大きな要因となっています。
さらに、スピリチュアルの世界では「感覚を信じて行う」「内側からの気づきを重視する」といった価値観が尊重されるため、説明が抽象的になりがちです。その抽象性は自由度の高さにもつながりますが、同時に受け手にとっては“本当のところ何が起きているのか”“どこまでが象徴でどこからが比喩なのか”が判別しにくくなります。結果として、施術士と受け手の間で認識のずれが生じ、体験そのものへの信頼が揺らいでしまうことがあります。
また、真面目に取り組む施術士ほど、こうしたあいまいな領域に対して葛藤を抱えることがあります。「言葉の限界」「説明しきれない感覚」「文化的表現としての比喩」といった複雑な要素を正確に伝えるためには、丁寧な姿勢と誤解を生まないための配慮が欠かせません。これが不足すると、界隈全体の信頼性が下がり、「やばい」と言われてしまう状況に拍車がかかります。
スピリチュアルは“自由な概念”だからこそ、言葉の扱い方ひとつが信頼性に大きな影響を与えます。どれほど優れた意図であっても、説明が不十分であったり、象徴表現が誤解されるまま放置されてしまうと、外から見れば不透明に映ってしまいます。こうした構造が改善されない限り、「やばい」という評価が消えることは難しいでしょう。
まとめ:スピリチュアルは“なんでもあり”ではない
今回の内容は、シータヒーリングを否定したり攻撃するためのものではありません。むしろ、スピリチュアル文化そのものを丁寧に理解し、より誤解の少ない状態へと整えていくための“文化的な視点整理”としてまとめたものです。
なぜ「やばい」と言われるのか?
その背景には、言葉の抽象性、象徴表現の多義性、そして確認のしようがない主張が混在しやすいという“構造的な問題”があります。これは特定の手法だけの話ではなく、スピリチュアルという広い領域に共通して見られる特徴でもあります。
スピリチュアルは本来、個々の感じ方や価値観を尊重する“自由度の高い領域”です。その一方で、自由であるがゆえに説明責任が曖昧になりやすく、言葉の意図が正しく伝わらないまま広がってしまうことがあります。結果として、外から見たときに「何が本当に語られているのかわからない」「どこからどこまでが象徴なのか判断しにくい」といった不信感が生まれやすくなります。
そのため、曖昧さをそのまま放置するのではなく、自分がどの立場から話しているのか、どこからどこまでが比喩で、どの部分が個人的な感覚なのか を明確にする人が増えるほど、誤解や混乱は着実に減っていくはずです。丁寧な説明ができる人が増えれば、スピリチュアル文化全体の信頼性も高まり、より健全なコミュニケーションが実現しやすくなるでしょう。
スピリチュアルを大切に思うからこそ、言葉を丁寧に扱い、誤解を避ける姿勢が欠かせない——私はそのように考えています。
免責事項
- 本記事の内容は、スピリチュアル文化にまつわる思想・価値観・表現の“文化的解説”および“主観的考察”をまとめたものであり、医療・心理・健康・治療効果を示唆する意図は一切ありません。
- 身体的・精神的な不調、もしくは健康面に関する判断が必要な場合には、迷わず医療機関・専門機関に相談し、専門家による適切な評価とサポートを受けてください。本記事はその代替となるものではありません。
- また、本記事で扱う内容は特定の団体・個人・手法に対して断定的評価を下すものではなく、スピリチュアル文化における一般的な語りやイメージの構造を“文化現象として”整理したものです。いかなる対象についても批判・断定・効果の保証を目的としていません。
筆者プロフィール(Hiro / アナザーリアル運営者)
- スピリチュアルの思想・文化研究をテーマにしたメディア「アナザーリアル」運営者。
- アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナーとして、セミナーではこれまでに延べ1000人を超える参加者をサポート。
- 実践的なワーク支援を行う一方で、“スピリチュアルを信じすぎることの危険性”に継続的に警鐘を鳴らし、健全な距離感の大切さを発信。
- 個人の価値観・解釈の自由を尊重しつつ、過度な断定や誤解を避けるスタンスで執筆し、安全で透明性のあるスピリチュアル文化の普及を目指している。


