あの世とこの世の境界はどこにある?三途の川や橋が見える理由を考える

あの世に旅立つ人

あの世とこの世。

私たちが今生きているのが「この世」で、死んでから行くとされる世界が「あの世」です。

あの世が本当に存在するのかどうか。これは科学的に証明されているわけではありませんし、私にも確証があるわけではありません。ただ、世界中のさまざまな文化で、表現を変えながら「あの世」が語り継がれてきたことには、何か理由があるのかもしれないと感じています。

この記事では「あの世は存在する」という前提に立ったうえで、次のことを考えてみます。

  • あの世とこの世の間に「境界」のようなものはあるのか
  • あるとすれば、それはどんなふうに見えるのか
  • そもそも境界は「どこ」にあるのか

ここでお伝えするのは、ヘミシンクを通じた私自身の体験と、セミナーで見聞きしてきたことにもとづく「一つの視点」です。事実として断定するものではありませんので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。

目次

あの世とこの世を隔てる「なにか」

あの世が「死んでから行く世界」だとすれば、この世とは別の世界ということになります。別の世界であるなら、どこかに両者を分け隔てる境界のようなものがあってもおかしくありません。

日本では昔から「三途の川」という形で、その境界が語られてきました。

私はアクアヴィジョン・アカデミー公認のヘミシンク・トレーナーとして、死後世界の探索をテーマにしたセミナーで多くの方とご一緒してきました。ヘミシンクでは、あの世とこの世の境界にあたるとされる意識状態を「フォーカス21」と呼んでいます。

このフォーカス21を体験した方からは、次のような報告をよくお聞きします。

  • 大きな川のようなものがあった
  • 川の向こう岸に、亡くなった家族がいるのが見えた
  • 川には橋が架かっていた

私自身も、フォーカス21で川と橋、そしてその近くに建つ白いカフェのような場所を見ています。そのときの様子は別の記事に詳しく書きましたので、よろしければあわせてお読みください。

ヘミシンクそのものについては、こちらの記事で説明しています。

川や橋が見えるのは、日本人だけなのか

「川が見えた」と聞くと、多くの方はこう思われるのではないでしょうか。

子供の頃から「あの世へは三途の川を渡っていく」と聞かされてきたから、そのイメージを自分で作り出しているだけではないか、と。

もっともな疑問だと思います。私も、その可能性は否定できないと考えています。

ただ、ヘミシンクはもともとアメリカで開発された技術です。2010年に私がモンロー研究所を訪れた際、現地のアメリカ人トレーナーから、アメリカの参加者にも「川のようなものがあった」「橋が架かっていた」と報告する人が少なくないという話を直接聞きました。三途の川という文化的背景を持たない人たちにも似たイメージが現れるのだとすれば、日本の言い伝えの影響だけでは説明しきれないのかもしれません。

とはいえ、これをもって「川が客観的に存在する」と言い切ることはできないと思っています。川や橋が「こちらとあちらを分けるもの」の象徴であるのは、多くの文化に共通しています。また、セミナーに参加する方は、事前に本や他の人の体験談から情報を得ていることも少なくありません。そうした知識が体験に影響している可能性は、正直に認めておく必要があると感じています。

なぜ「川」として知覚されるのか

では、なぜ多くの人が似たようなものを見るのでしょうか。私なりの考えを書いてみます。

私たちは何かを知覚するとき、過去の経験や記憶を手がかりにしていると言われています。見たことのないものに出会うと、記憶の中から近いものを探し出して、「あれに似ている」という形で理解しようとします。

たとえば、目の前に丸くてぶよぶよしたものが突然現れたとします。ある人は「ボウリングの球みたいだ」と思い、別の人は「ブドウの粒みたいだ」と思うかもしれません。同じものを見ていても、受け取り方は人によって少しずつ違ってきます。

あの世とこの世の境界も、これと同じなのではないかと私は考えています。

境界にある「何か」は、もともと川でも橋でもないのかもしれません。それを知覚した人が、自分の記憶の中からいちばん近いものとして「川」を選んでいる。そう考えると、次のように別の形で報告する方がいることも説明がつきます。

  • こちらとあちらの間に、巨大な亀裂のようなものがあった
  • 深い谷があって、吊り橋が架かっていた

見え方は違っても、「こちらと向こうを隔てる、簡単には越えられないもの」という点は共通しているように思います。

臨死体験の話でよく聞く「トンネルを抜けた先にお花畑があった」という描写も、同じものを別の形で知覚しているのかもしれません。トンネルが橋にあたり、お花畑が向こう岸にあたるのではないか、というのが私の推測です。ただし、これは私の想像の域を出ません。

境界は「どこ」にあるのか

最後に、「境界はどこにあるのか」という問いについてです。

私は、あの世のような非物質の世界には、時間や空間の概念がない、あるいはきわめて希薄なのではないかと考えています。もしそうだとすれば、境界は「ここから何キロ先」というような場所にあるわけではないことになります。

ヘミシンクで「フォーカス21」が場所ではなく意識状態として説明されているのも、そのためだと理解しています。つまり境界とは、どこか遠くにある地点ではなく、意識のあり方が切り替わる「変わり目」のようなものなのかもしれません。

川や橋は、その変わり目を私たちが理解できる形に置き換えた姿なのではないか。今のところ、私はそのように受け止めています。

あの世とこの世そのものの違いについては、こちらの記事で詳しく書いています。

まとめ

あの世とこの世の境界について、私の体験と見聞きしてきたことをもとに考えてきました。

  • 境界を「川」や「橋」として見たという報告は多く、私自身も体験している
  • 「谷」や「亀裂」として見る人もおり、見え方は人によって異なる
  • 共通しているのは「こちらと向こうを隔てる何か」という感覚である
  • 境界は場所ではなく、意識の変わり目のようなものかもしれない

どれも確かめようのない話ですし、言い伝えや事前知識の影響を受けている可能性も残ります。それでも、国や時代を越えて似たイメージが語られてきたことは、私には興味深く感じられます。

もしあなたがその境界に立ったとしたら、そこには何が見えると思いますか。


免責事項
本記事は私自身の体験や、一般的に知られている情報・スピリチュアルな視点をもとに構成されています。記事内でご紹介している内容は、特定の効果や結果を保証するものではなく、すべての人に同じような体験が得られるとは限りません。また、ヘミシンクは医療行為ではなく、診断や治療を目的とするものではありません。

この記事を書いた人
Hiro(アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナー)
2008年よりヘミシンクを本格的に探究し、意識の拡張や内的成長をテーマに継続的に実践。アクアヴィジョン・アカデミー公認ヘミシンク・トレーナーとして、これまでに延べ1,000名以上の参加者にプログラムを提供・ガイドしてきた実績を持つ。著書に『軽トラでやってきた神さま』(ハート出版)がある。現在は、スピリチュアルや意識の世界を探究するブログを複数運営中。専門知識と体験に基づいた、初心者にもやさしい情報発信をモットーに、誰もが自分の内なる声とつながるきっかけづくりをサポートしている。

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