人は死んだらどうなるのでしょうか?
・あの世に行く
・無に帰す
さまざまな回答があるとは思いますが、一般的にはこのどちらかだと思われます。
でもこのふたつ、とんでもなく大きな違いですよね。
果たしてどちらなのか、現段階では明確な答えは出ていません。
出てはいませんが、私はあの世は間違いなくあると信じています。
そこで今回は、あの世が本当にあるのかについて考えていきたいと思います。
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あの世について徹底的に解説していきます。
あの世って、どんなところ?
あの世とはどのようなところでしょうか?
あの世という言葉は、この世、いわゆる今生きている状態に対する対義語といえます。
生と死、と同じく、生きている人の世界と死んだ人の世界。
この世は私たちが生命活動を繰り返している世界のことです。
朝起きて、歯を磨いて朝食を食べ、仕事を始める。
昼間は家族や友人とコミュニケーションをとり、さまざまな感情体験をする。
夜帰宅して、夕食を食べ、テレビを見て楽しみ、そして1日に感謝して寝る・・・
多少の違いはあると思いますが、多くの人の1日はこんな感じでしょう。
そしてこれを死ぬまで繰り返す。
言ってみればこれがこの世での私たちです。
では、あの世ではどうでしょうか?
あなたが何らかの理由で肉体の機能を失うとします。
心臓が停止し呼吸が止まり、脳が機能しなくなる・・・
すべては脳が機能していることで認識できた「世界」が、脳の機能停止とともに跡形も無く消えてしまう。
つまり、あの世は「無」の世界・・・
科学者を中心に、このように考える人も大勢います。
あの世は「無」ですから、世界もへったくれも無い。
何も無い、何も認識できない、無いことすら認識できない、それが無ということです。
これは、意識が脳で作られたものである、意識と脳は切り離すことが出来ない一体のもので、ゆえに脳の機能が停止すれば意識もそれにあわせて消滅する、という考えがもとになっています。
これに対し、意識と肉体は別物と考えると、あの世の存在の可能性が出てきます。
意識は肉体から独立した存在ですから、肉体が機能しなくなったからといって消滅してしまうことはありません。
その肉体から離れるだけです。
肉体がしっかりと機能して、つまりこの世で生きている間は肉体と意識は一体化しています(もちろん、生きている間にも体外離脱して肉体から意識が遊離することはありますがそれについてはまた別の機会に説明します)
意識は肉体と一体化することで、さまざまな体験をします。
これが「この世」における体験ですね。
ところが、肉体の機能が失われる(すなわち死ぬ)と、意識は機能しなくなった肉体から離れます。そして意識は単体で今までとは別の世界を体験することになります。
これが死後の世界「あの世」なんですね。
あの世には物質が存在しませんから、意識が体験するのは非物質世界です。
物質が存在しないので、物理学で定義されている「時空」の概念が存在しません。
科学的には正確な表現ではありませんが、すべての場所、すべての時間がひとつになったような世界をイメージしていただければ案外近いのかな、と思います。
時空を越えたすべてがひとつになったような世界・・・なんだかよく分からない(笑)
では例え話をもとに、もう少し違った説明をしてみたいと思います。
あなたが死んで、意識だけの存在になったと仮定しましょう。
意識だけのあなたは非物質世界に行きます。
そこには、あなたの過去から現在にいたる課程で何度となく別の人間として体験してきた人生の記憶がすべてあります。
それこそ何千年、何万年も以前から数え切れないほど生まれ変わりながら、いろんな人間として生きてきた記憶がすべてあるんです。
それだけではありません。
あなた同様、あなた以外の人にもそうした数限りない記憶があります。
非物質世界では、あなたの数限りない記憶、あなた以外の人の数限りない記憶、そのすべてが繋がっています。
あの世とは、そんな世界です。
すべてがひとつになった世界、それがあの世といえます。
そんな世界ですから、自分と他人という区別もありません。
つまり、何もかもが理解できてしまう世界、衝突や争いなども皆無の世界です。
そこにいるだけで、すべてが分かってしまう世界ですから、争いなんてあるわけ無いですよね(笑)
でもここで疑問が残ります。
そんな世界、おもしろいのか?
これは個人的な見解も含みますが、私は全然おもしろくないと思います。
相手が何を考えているのか、何をしたいのか、次に何が起こるのか、などなど「意外性」がいっさい存在しない世界です。
どう考えても面白そうではありませんよね。
だから、あの世に行った意識は、再び別の人間に生まれ変わって「人生の意外性」を体験したくなるのではないでしょうか?
まとめ
今回は、あの世の存在と、あの世はどんなところかについて説明してきました。
すべてがあるというのは、ある意味なにもかもが分かってしまうと言うことであり、それって映画を見る前からラストが分かってしまうようなものです。
すべてが分かっていれば争いも起きないでしょうが、変化も何もない。
対してこの世は、肉体があるがゆえに、相手が何を考え何をしようとしているのかが分かりません。
このため相手を理解するための努力が必要となります。
ときにこれは辛かったり苦しかったりすることもありますが、でもお互いに分かり合えたときには大きな感動が待っています。
何が起きるか分からないからこそ、この世はエキサイティングであり面白い。
あの世は間違いなく存在すると思います。
あの世がどういうところか知ることで、この世に生きる意味も分かるのではないでしょうか。
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。