死後の世界を体験したという話はいろいろありますが、どれもみな一貫性が無いと思いませんか?
いったいどれが本当なのか?
もしかして、すべて嘘?
死後の世界は死んで初めて行くことのできる世界ですから、そもそもこの世に生きている人で死後の世界を見てきた人は皆無。
だから死後世界の体験談そのものが「存在しない」のでは?
今回はその辺について、説明していきましょう。
死後体験の嘘/本当
よく、事故などで生死の境をさまよい、あの世を垣間見てきたという話を聞きますよね?
あれは「臨死体験」であり、厳密には死後体験ではありません。
だって死んでいませんから、というのが科学の視点で見た場合の結論です。
これには賛否両論があります。
臨死体験は「幻覚」か?
科学的には、臨死体験というのは脳が作り上げた「幻覚」を観ているに過ぎない、と説明しますが、そこで観る「体験」の中には科学でいう「幻覚」では説明のできないものも数多く存在します。
たとえば、病院のベッドの上で昏睡状態が続く中、自分が行ったこともない病院の建物の一角に靴があるのを上空から見た、という体験談があります(昏睡状態から回復してから語った話です)
その場所には行ったこともないし、そもそもそんな場所があることすら本人は知るよしもない場所に靴がある。
実際にその場所を調べてみると、たしかにそこには靴があったそうです。
本人が行ったことも見たこともない場所に、誰かに聞いたという事実もないにもかかわらず、靴があることをどうやって知ったのでしょうか?
偶然? 当てずっぽう?
いえいえ、あり得ません。
だって、病院にそんな場所があるということも知らず、かつそこに靴があることまで、偶然言い当てるなんてできますか?
科学では説明できない「事実」
ここまでで、臨死体験(死後体験ではなく)で見たり聞いたりする出来事は決して幻覚などではない、ということが分かりました。
では、その臨死体験で垣間見る世界とはなんなのか?
そこは死後の世界なのか?
ということで、いよいよ本題に入っていきますね。
先ほどの例で「上空から靴があるのを見た」という体験ですが、これは意識が肉体から離れて靴のある場所まで行った、と考えることができます。
意識は肉体とは独立した存在である、ということの確かな証拠といっていいでしょう。
この段階では、意識は肉体からは解放されていますが、見ている世界は現実世界、つまり「この世」です。
ということは、この体験は「死後世界」の体験ではなさそうです。
しかし、別の人の体験として、
長いトンネルを抜けた先に明るい草原が拡がっていて、色とりどりの綺麗な花が咲き乱れていた。
とか、
死んだはずのおばあさんがニコニコ笑いながら自分に向かって手を振っていた。
なんて体験談もあります。
これらは、ただ単純に意識が肉体から離れて別の場所を見てきた、というレベルの話ではなさそうですね(笑)
だって、もうこの世にはいないおばあさんが出てきたりしているわけですから、そこは現実世界ではないことが分かります。
では、そこは何処なのか?
いわゆる「死後の世界」もしくは「あの世とこの世の境界領域」といっていいでしょう。
先ほどの靴の話に出てきた体験とは、見ている世界がちがう・・・という感じがしますよね?
ではこれらの体験と、先ほどの靴を見た体験はちがうものなのか?
実は同じものなんです。
どちらも意識が肉体から離れて、肉体を通してでは見ることのできないものを見ている。
という意味において「同じ」体験です。
でも、見えている世界がちがうのでは・・・?
同じなんです。
私たちは肉体を持って、肉体を通してものを見たり体験したりする場合、それらを「物質」として認識します。
ですから、目に映るのは「場所」という「物質」なんです。
そこに建物がある、大きな木がある、川が流れている、子供が遊んでいる・・・
すべて物質を見ています。
ところが意識が肉体から解放されると、肉体を通さずに物事を見たり体験したりできるようになります。
そうすると、今まで見えなかった「非物質」の世界も見えてくるんです。
非物質の世界「も」と表現したのは、従来の物質世界も見えているからです。
だから、意識は今までの物質世界に「加えて」非物質世界も知覚できるので、病院の片隅にある靴を見たり、あの世にいる(あの世は非物質世界ですから)おばあさんに会ったりできるんです。
そういう意味で、これらの体験はすべて、意識が肉体から離れて見てきたものと説明できます。
死後世界は現実世界となにがちがうのか?
ここで疑問が出てきます。
物質世界と非物質世界は、なにがちがうのか?
ひと言で言ってしまえば、世界を構成する「波長」が異なるだけです。
非物質世界は物質が存在しない世界ですから、物理法則に縛られません。
ですから「場所」という概念も「時間」という概念も存在しません。
言い換えれば、すべての場所と時間が渾然一体となっている世界、それが非物質世界です。
ですから、非物質世界ではあなたは私であり、私は過去世の私でもあり、すべての人の意識はひとつに繋がっています。
現在は過去でもあり、そして未来でもある。
物質が存在しないということは、あらゆる物質がひとつになっているということなんですね。
この状態から、波長が下がってくると、物事が分離しはじめます。
いままで渾然一体だったものが、個々の物質へと分かれていきます。
そうして物質世界へと変化するわけです。
要は、どの波長で世界を見ているか、によって見える世界が変わるということです。
そういう意味で、臨死体験や死後世界を垣間見てきたという体験談が人それぞれで異なるのは、形のない世界を見てきたがゆえに、見え方が人それぞれ異なっているに過ぎないということです。
つまり、どの体験談も「嘘ではない」といえるんですね。
それを垣間見てきた本人にとっては、すべて「本当の体験」であり、まわりがとやかく言うべきものでもないですし(笑)
まとめ
今回は、死後の世界を見てきたという体験談について、死後世界と現実世界のちがいも交えて詳しく説明してきました。
それらのひとつひとつが異なるのは「体験」である以上、当たり前のことなんですね。
ある人が見てきた死後世界と、別の人が見てきた死後世界、どちらが本物か、なんて議論すること自体、全く意味のないことです。
ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。