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何もかもどうでもいいと思うときのスピリチュアルなパワーはあなたが考えている以上に凄い!

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何もかもどうでもいいと思うときのスピリチュアルなパワー

いくら頑張っても
いくら努力しても上手くいかない。

あーもう何もかもどうでもいい・・・

誰でも経験ありますよね?

そんなとき、あなたならどうしますか?

もしかしたら、あなたはこの状況が「人生で最悪の瞬間」と感じているかもしれませんが、実はその逆なんです。

何もかもがどうでも良く感じてしまうときこそ、あなたにとって「まれに見る」人生の転機だったりしますから決してその瞬間を見逃さないでくださいね。

今回はスピリチュアルな視点で見た「何かもどうでもいい」と感じることの意味についてしっかりと説明していきたいと思います。

 

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何もかもどうでもいいという思うまでのプロセス

物事が上手くいかないとき、多くの人は「自分はツイてない」とか「自分はダメな人間」みたいに考えがちです。

そして上手くいかない状況を何とかしようともがき苦しみます。

周りの人たちはあなたに対し「もっと頑張れ」とか「君なら出来る」と励まします。

自分としてはこれ以上ないくらい頑張っているのに・・・

そのうち疲れ果ててしまい、もう何もかもどうでもいいと感じてしまうわけですね。

物事が上手くいかない、というのはあなたが「何かを目指して」いるからです。

なりたい自分、手に入れたい何かがあるからこそ、あなたはそのために一生懸命になるわけですよね?

で、あなたとしてはこれ以上ないくらい頑張ってそれを手に入れようとする。

ところがいくら頑張っても手に入らない。

周りはもっと頑張れという。

もっと頑張る・・・でも手に入らない。

周りはあなたの努力が足りないからだという。

あなたは最大限の努力をしているつもりなのに・・・

でも手に入らないなら、それは努力が足りないからだと。

さらに頑張ってみる・・・手に入らない。

もう無理、これ以上はムリ!

すると周りの人たちは「おまえは道半ばで諦めるのか」「それでいいのか」などと言い始める・・・

あーもう!

何もかもどうでもいい、と思ってしまうのはある意味当然ですよね?

そしてあなたは「途中で物事を投げ出した」自分の不甲斐なさに苛まれるようになります。

でもそれって、本当に情けないことなんでしょうか?

 

 

あなたはなぜこだわるのか

人間という生き物はある意味「欲」のかたまりです。

もっと楽しく、もっと豊かに、もっと美味しいものを、もっと格好良く・・・

もっと
もっと
もっと
もっと

何かを手に入れるたびに、次なるターゲットに狙いを定めて「もっと・・・」

人間はこの「もっと」という思いがあるからこそ人生を楽しく生きていけるのだと言えます。

それが物欲であれ性欲であれ、あるいは宗教的な高みであれ。

人間は常に、手に入れた瞬間から「その先」を目指しているものです。

え、自分はそんなことないよ、何も目指すものなんてないし毎日ゴロゴロしていられればそれで満足だよ。

そういう人もいるでしょう。

でもそれだって「その先」を目指しているって気付いていますか?

毎日ゴロゴロしている、明日もこのままゴロゴロしていたいな・・・

ね、その先を目指しているでしょう。笑

手に入れたいものが手に入らない状況というのは、その先に行けずに立ち往生している状況と言えますね。

その先に行きたくて、早く今手に入れたいものは手に入れてしまいたい。

その思いが叶わないからしんどいわけです。

いくら頑張っても手に入らない・・・でも手に入れなければ先に進めない。

だからもっと頑張る。

でもいくら頑張っても手に入らない・・・この繰り返しがあなたを疲弊させてしまいます。

ここでちょっとれいせになってみませんか?

あなたが手に入れたくて頑張っているのに手に入らないもの。

あなたは何故それにこだわるのでしょうか?

どうしてもそれでなくてはいけないのですか?

 

 

拘泥(こうでい)を手放すことの意味とは

どうしても手に入れたいのに、どうしても手に入らない。

それってあなたがそれに拘泥(こうでい)つまりこだわっているからです。

あなたがその拘泥を手放す瞬間・・・

それが「あーもう何もかもどうでもいい」と思う瞬間なんです。

拘泥を手放した瞬間、こだわっていたものだけでなく何もかもがどうでもよくなる。

いままであなたは体も心も全てに力が入りすぎていてガチガチな状態でした。

ところが拘泥を手放した瞬間、全ての力が抜けてしまうんです。

そして「どうでもいい」と完全脱力状態になります。

いままでは確固たる目標があったあなたですが、この瞬間から目指すものが全てなくなるわけです。

え、そんな不甲斐ない自分は体験したくない・・・

本当にそう思いますか?

 

無にこそ無限のパワーが宿る

なにもかも手放した状態。

そんな状態を想像してみてください。

多くの人は「そんな生きがいも何もない人生なんて嫌だ」と思うことでしょう。

でもそれって、あなたが「人生には何らかの生きがいが必要だ」と信じているからそう感じてしまうんです。

全てを手放して自分が無になってしまうなんて、きっと耐えられない・・・

そう思うかもしれませんね。

全てを手放して何もない状態になる。

この「無」の状態って、実はもの凄いんです。

無ってどういうことか?

きっとあなたは何もない、不毛な荒野がどこまでも続いているようなイメージを持っているかもしれませんが全然違いますよ。

無というのは何もないのではなく、これから何かが始まる寸前の状態です。

まだ始まっていないから「無」ですが、やがてなにかが始まるんです。

何が始まるのか。

それはあなた次第です。

何もない、なんのしがらみもない、なんの制約もない、何をやってもいい、としたらあなたは何をやりますか?

あなたは何でも出来る、何者にもなれる。

そんな無限の可能性が「無」には潜んでいるんです。

 

結局のところ

今回は、何もかもどうでもいいと思ってしまうときについてスピリチュアルな視点で説明してきました。

何かに拘泥しているうちは決して手に入らないもの。

それはあなたが「なんにでも好きなものになれる」という可能性です。

この可能性はあなたが「何もかもどうでもいい」と拘泥を手放してはじめて手に入れることが出来るものです。

何もかもどうでもいいと思うのは、実はとんでもない可能性を手に入れる前兆だったんです。

こう考えれば、何もかもどうでもいいと思うことは悪いことではないと分かりますよね。

 

ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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